sakurabakazuki

旧約聖書や美術史の勉強用メモとして始め、最近は主に漢詩の勉強

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最近の記事

中国の詩「黄鶴楼」四首

黄鶴楼は「中国四大名楼」の一つです。 湖北省武漢の黄鶴楼 湖南省岳陽の岳陽楼 江西省南昌の勝王閣 山東省蓬莱の蓬莱閣 黄鶴楼と岳陽楼と勝王閣は「江南三大名楼」とも呼ばれています。 由来として、 「酒屋に老人が来て、ただ酒を飲み続けた。半年経ち、店へのお礼にと、店の壁に黄色い鶴を描いて去った。鶴の絵は、客の歌に合わせて舞い、店は繁盛した。十年後、老人が再訪し、笛を吹くと、鶴が壁から出てきた。老人は鶴にまたがり、雲と共に空に消えた。酒屋は仙人に感謝し、黄鶴楼を建てた」 という伝

    • 中国の詩「清平調」

      昨日、『漢詩への招待』(石川忠久)という本を読んでいたら、李白の「清平调」が出てきました。 今月14日に、添翼さんがこの漢詩の歌を歌っていました。どんな詩なのか気になっていました。楊貴妃の美しさがテーマの歌のようです。 「清平调」李白 云想衣裳花想容 春风拂槛露华浓 
若非群玉山头见 会向瑶台月下逢 一枝秾艳露凝香 云雨巫山枉断肠 
借问汉宫谁得似 可怜飞燕倚新妆 名花倾国两相欢 长得君王带笑看 
解释春风无限恨 沉香亭北倚阑干 (訳) 雲は絹のよう。花はかんばせ。春風

      • 日本語の歌は母音「あ」が多い…?

        母音が「あ」の音(あかさたなはまやらわ)で歌い出す歌のことが、気になっています。 昔、アイドルの松田聖子さんの80~90年代の歌唱を、 「『あ』の発音がうまい。だから作詞家も松田さんの歌に『あ』を使うことが多いのだろう」 と分析する評論を読んだからかもしれない。 松田聖子さんの歌で、歌い出しが「あ行」の歌は、確かに多いです。 【松田聖子】 あぁ,わたしの恋は南の風に… 赤いスイートピー… 風立ちぬ… 渚のバルコニーで待ってて… 懐かしい痛みだわ… ガラスの林檎たち… 夏

        • 歌詞「小路」「忘记他」

          「小路」 这小路静悄悄 听得见心儿跳 我和妳在一起 这还是头一遭 天上的云到处地飘 飘到哪里不知道 妳不要像天上的云 飘啊飘啊飘得不见了 走小路有无数 走大路只一条 妳要往哪里走 也该让我知道 天上的云到处地飘 飘到哪里不知道 妳不要像天上的云 飘啊飘啊飘得不见了 走小路有无数 走大路只一条 妳要往哪里走 也该让我知道 (わたしの不正確な訳) この道は静かだ 心臓の鼓動が聞こえる 私はあなたと一緒にいる 初めてのこと 空には雲があちこちに浮かんでいる どこに浮かんでいるのか

        中国の詩「黄鶴楼」四首

          不思議な日本語、「声明(しょうめい)」

          また勉強会に行きました。 そういえば、先月ここに書いた、 「不思議な日本語、共話」 について、一つ書き忘れていたことがありました。 能は、シテとワキの二人芝居です。 シテとワキの台詞は、演者の所属する流派によっては、逆になっていることがあります。 でも、二人の台詞が入れ替わっても、まったくストーリーは変わりません。 それは、シテとワキの会話が〝共話〟だから。二人で一つの文を作るように、流れるように会話しているから、どの台詞をどちらが言ったとしても、内容は変わりません。

          不思議な日本語、「声明(しょうめい)」

          いろいろな歌詞2

          「使爱情更美丽」 「遇见你」 「无奈」 の三曲です。 「使爱情更美丽」 一阵阵一阵阵雨 飘落大地 朦朦的烟朦朦的雨 叫我想起你 可爱的可爱的你 就象小雨 为我带来淡淡柔情 那样甜蜜 你对我有真情意我也喜欢你 让我俩心心相系 不论在何时也不论在何地 永远保持淡淡柔情 就象那绵绵小雨 滋润你我的心房 使爱情更美丽 にわか雨 地球に落ちる 霧の煙、霧の雨 あなたのことを思い出させてください 素敵な素敵なあなた 小雨のように 優しさのタッチをもたらして とても甘い あなたは私に対

          いろいろな歌詞2

          いろいろな歌詞

          せっかく歌詞を翻訳しても、忘れてしまうことがあるので、ここにメモしておきます。 「光亮」 「女儿圈」 「菊花黄」 「东方之珠」 です。 「光亮」 海上一阵风吹起 白云涌向陆地 季风带走沙粒 四季 冷暖的交替 多鲜活的生命 又枯萎的痕迹 是奔跑中突然袭来的风雨 是黑暗中一根火柴燃烧的光明 也许你猜不透未知的宿命 像流星飞翔着它却不知目的 可是啊 我却 却愿意相信 最渺小最微弱最柔软最无畏的你 用尽了全力 努力地回应 再无边再无尽再无解总有一线生机 光亮你自己 (戏曲念白)

          いろいろな歌詞

          中国の詩、「牵牛花」秦観

          「牵牛花」秦観 银汉初移漏欲残 歩虚人倚玉栏干 仙衣染得天辺碧 乞与人间向暁看 (わたしの不正確な訳) 天の川もうつろい、夜が終わるころ 仙人が空を歩いてきて、玉の欄干にもたれてる 羽衣が夜明けの緑の光に照らされてる 暁の中で、下界にその姿を一時見せてくれた タイトルの「牵牛花」は、朝顔の花のこと。 明け方に見た朝顔の花を、仙人(仙女?)の羽衣に例えたのかな。 この詩も、タイトルに花の名前があり、本編には花が出てきません。「桃園の古き友を思う」のときと同じだ。 タイトル

          中国の詩、「牵牛花」秦観

          〈只要你心里有我〉〈微风細雨〉の歌詞

          「只要你心里有我(大阪时雨)」 云儿你悄悄地飘来 又默默地去 莫非你比我更情深 离别时候难开口 常言两座青山不能相见 人与人能碰头 只要你心里有我 啊 相逢时候情依旧 水儿要走一刻也不停留流过我心头 想起天边的那片云不知何时再聚首 我常时刻怀念遥远地方有一位好朋友 只要你心里有我 啊 相逢时候情依旧 (わたしによる不正確な日本語訳) 雲のように静かに君が来て、静かに去る もしかして君は私よりも愛情深いのだろうか さよならを言うのは難しい ことわざにあるように、2 つの青山は

          〈只要你心里有我〉〈微风細雨〉の歌詞

          中国の詩、「清夜悠悠」秦观

          「清夜悠悠(桃源忆故人)」秦观 玉楼深锁薄情种,清夜悠悠谁共? 羞见枕衾鸳凤,闷则和衣拥。 无端画角严城动,惊破一番新梦。 窗外月华霜重,听彻《梅花弄》。 (私の不正確な訳) 「桃園で古い友を偲ぶ」 夫が不在で、まるで翡翠の塔に閉じ込められているような気持ちだ この晴れた夜を、誰と共に過ごせるのか? 見るのも恥ずかしいが、布団に鴛鴦のカップルの刺繍がある 人間なのに、私という女は、鳥にも劣っているんだと思う ようやく眠って、良い夢を見た気がするけれど、城からの角笛に起こさ

          中国の詩、「清夜悠悠」秦观

          能と、明星の歌

          能を見ることと、明星の歌を聴くことの間に、わたしは共通点を感じているので、そのことをなんとかして言葉で説明したいです。 わたしだけの感覚かもしれないし、日本の独特の感覚かもしれないし、万国共通の感覚かもしれないです。 そこはまだわかりません。 能(能楽、猿楽)は、古代中国の散楽が伝来し、独自の文化になりました。 登場人物は、シテとワキの2人です。 ワキは、旅人のことが多いです。 旅の途中、ワキが道で休憩していると、シテが通りかかります。 シテが「昔この場所で事件(戦争など

          能と、明星の歌

          不思議な日本語、「共話」2

          「共話」の続き 今日、カフェに仕事しに行って、バリスタさんと世間話をしました。 その会話も「共話」になっていた、と後で気がつきました。 「はい、コーヒーです。お待ちどうさま」 「ありがとうございます。今日、暑いですね〜」 「暑いですね〜。ランチを食べに行ったら、冷やし中華が始まってましたよ」 「あぁ! 暑い日に冷やし中華、おいしそう」 「そう! でも温かい牛肉麺もおいしそうで、すごく迷って、牛肉麺にしたんです。でもやっぱり冷やし中華にすればよかった〜と思って」 「わかる。

          不思議な日本語、「共話」2

          不思議な日本語、「共話」

          今日会った方の中に、日本語の「共話」について論文を書いた方がいました。 共話とは、共感(Sympathy)による会話のこと。 相手の話に、肯定的な相槌を打ち、相手が話しやすいように励ますこと。 そして、自然に相手の話の続きを引き受け、途中から自分が話し、二人で一つの文を作ること。 (例) 1「今日は天気が良くてさ」 2「うん、うん」 1「部屋が暑くてさー」 2「わかる。ぼくも冷房つけたよ」 1「だよね? 私もつけた」 1が話すことを、2が相槌(うん、わかる)で肯定する。そ

          不思議な日本語、「共話」

          中国の詩、「胭脂泪(相见欢)」李煜

          「胭脂泪(相见欢)」李煜 林花谢了春红,太匆匆。 无奈朝来寒雨晚来风。 胭脂泪,相留醉,几时重。 自是人生长恨水长东。 (わたしの不正確な訳) 森の春の紅(花)たちが、あまりにも慌ただしく散り終えてしまった 朝はどうしようもなく冷たい雨が降り、夜には風が吹いていたから そうして地面に落とされた花は、まるで女の口紅や頬紅の混じる涙のように真っ赤に濡れていた この別れの後、いつか再会の時が戻ってくるのだろうか? 人生には憎しみを生む辛い事が多くて、その思いは東に流れる川のよう

          中国の詩、「胭脂泪(相见欢)」李煜

          【漢詩教室】第三回

          「漢詩教室」第3回 ●暦 昔の暦は2種類ありました。 月の満ち欠けによる「太陰暦」と、太陽の動きによる「太陽暦」です。 太陰暦は、月の形を見れば何日かわかるので便利でした。でも28日周期なので、だんだん季節がずれてしまう…。 太陽暦は、目で太陽を見ても何もわからないが、季節はずれません。 だから、太陰暦ではまだ12月なのに、太陽暦ではもう春だ、ということもありました。 たとえば、張昱の漢詩「発亥立春、在壬戌十二月二十五日」は、「太陰暦では12月25日なのに太陽暦ではもう立

          【漢詩教室】第三回

          中国の詩、「春晩(武陵春)」李清照

          「春晩(武陵春)」李清照 風住尘香花已尽 日晩倦梳头 物是人非事事休 欲语泪先流 闻说双溪春尚好 也擬拟泛轻舟 只恐双溪舴艋舟 载不动许多愁 風住み 塵香りて 花すでにつき 日たかくして 倦みながら頭を梳く 物は是なるも 人は 非にして 事事休し 語らんと欲して 涙先に流る 聞くならく 双渓 春尚ほ好く 也た擬して 輕舟を泛ばすと 只だ恐る 双渓の小舟 載せて動かせず 許多の愁ひ (私の不正確な訳) 風は止み、塵に香りが移り、花はすでに散ってしまった 日が高くなってから

          中国の詩、「春晩(武陵春)」李清照