不思議な日本語、「共話」2

「共話」の続き

今日、カフェに仕事しに行って、バリスタさんと世間話をしました。
その会話も「共話」になっていた、と後で気がつきました。

「はい、コーヒーです。お待ちどうさま」
「ありがとうございます。今日、暑いですね〜」
「暑いですね〜。ランチを食べに行ったら、冷やし中華が始まってましたよ」
「あぁ! 暑い日に冷やし中華、おいしそう」
「そう! でも温かい牛肉麺もおいしそうで、すごく迷って、牛肉麺にしたんです。でもやっぱり冷やし中華にすればよかった〜と思って」
「わかる。どっちもおいしいですよね。迷いますよね〜」
「そうなんですよ。しかもすごくおいしいお店なんです。この近くの◯◯っていうお店」
「知らない店です。行ってみたいなー」
「ここですよ(データをスマホで表示)」
「あ、おいしそう。お腹がすいているから、あとで行ってみますね」

と、二人で一つの川の流れを作るように話していました。
お互いに共感して、相手の言葉を肯定しながら、会話をまるで一本の「鎖」のように繋げていく。
海外のドラマや映画では、こういう会話は見ないような気がします。

でも、「共話」が成立しないときがあります。
先週、わたしは「怖マスターの店に入った! 助けて…」とSNSに書いたのですが、そのときはこんな会話がありました。

マスター「はい、コーヒーです。お待ちどうさま」
わたし「ありがとうございます。あの、写真撮ってもいいですか?」
マスター「だめです! うちは撮影禁止です。黙って撮る客もいるけど盗撮です! ネットにたくさん載っていて、怒ってます!」
わたし「わかりました。写真は撮りません」
隣の席の客「(立ち上がり)すみません! 僕さっき写真を撮りましたよね! データを消します!」
わたし「えっ」
マスター「消さなくていい! でもあなたは盗撮したんですよ!」
隣の席の客「すみません………🤮」
わたし「………🤮」

怖かったです…。
わたしと、隣の席の客は、マスターの言葉を肯定する返事をしています。マスターは否定の言葉を使っています。
マスターの主張も、間違っているとは言えないです。誰も、すごく悪い人はいないのだが、共話のパターンから外れたせいか、どうしたらいいのかわからなくなりました。

そういえば、ですが。
朝によく行く喫茶店も、怖マスターの店でした。最初は怖かったです。
常連になると、マスターは優しくなった…というか、わたしと「共話」をするようになったので、怖くなくなりました。

「共話」は、「仲間」「味方」だと認めた相手とする会話なんじゃないでしょうか?
逆に「余所者」を排除するときは、わざと否定的な返事をして会話を終わらせたり、返事をしなかったりして、「共話」にならないようにする。
相手がわざとやっていることに、気づくときもあります。
(極端な例だと、挨拶したのに、わざと無視されるということもあります)

日本の人は、礼儀正しく肯定的に話すという習慣があるかも。でもそれは、仲間と認めた人との間ですることなのかも?

その「境界線の引き方」が独特かも?

もうちょっと考えます。今夜はもう、たくさん考えたので…

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