見出し画像

中国の詩、「牵牛花」秦観

「牵牛花」秦観
银汉初移漏欲残
歩虚人倚玉栏干
仙衣染得天辺碧
乞与人间向暁看

(わたしの不正確な訳)
天の川もうつろい、夜が終わるころ
仙人が空を歩いてきて、玉の欄干にもたれてる
羽衣が夜明けの緑の光に照らされてる
暁の中で、下界にその姿を一時見せてくれた


タイトルの「牵牛花」は、朝顔の花のこと。
明け方に見た朝顔の花を、仙人(仙女?)の羽衣に例えたのかな。

この詩も、タイトルに花の名前があり、本編には花が出てきません。「桃園の古き友を思う」のときと同じだ。
タイトルも〝読む〟ものなのかな…?

日本の解説本では「七夕のロマンチックな歌。仙人とは織姫のこと。シンプルに朝顔の美しさを織姫に例えている」と書いてありました。
でも、中国のサイトを翻訳して読んでみると、「仙人とは女道士のこと」だとありました。
また、「ロマンチックな面もありつつ、政治の状況を語ってもいる」という解釈が多いみたい?


观将牵牛花比喻为一个修道者,当黑夜与黎明交错的时候,即是它绽放光彩的那一刻。因为没有其他旁证,我们没有办法知道秦观究竟是纯粹歌咏牵牛花,还是意有所指。但是“道不行乘桴海上”,鲁壁藏经、静俟剥复,这也是中国传统文人的一种自我定位方式。当秦观看到牵牛花常于朝日升起之际绽放的现象时,是否心里也盼着大宋朝也有黎明驱走黑夜,好让自己能够一展长才的那一刻呢?

(日本語訳)
作者は朝顔を僧侶に例えています。夜と夜が交わるときが、花が咲く瞬間です。他に状況証拠がないため、作者が単に朝顔について歌っていたのか、それとも別の意味で歌っていたのかを知る方法はありません。しかし、「海の上での船旅は不可能だ」という『魯毘チベット経典』や『荊季培賦』は、伝統的な中国の文人にとって自己の位置づけの方法でもあります。朝日が昇ると朝顔がよく咲くという現象を見た作者は、宋の時代に夜が明ける瞬間を楽しみにして自分の才能を発揮したのだろうか。


「道不行乘桴海上(海の上での船旅は不可能だ)」の意味がわからず、困っている…。
ともかく、「政治状況の夜明けを待つ」という意味もある、と解説されています。
別のサイトでも、


牵牛花看似是在清晨绽放的,其实不然。一般在日落约9小时内开花,因此它们实际上是在凌晨2点左右开始绽放,到凌晨4点左右结束。大多数花朵在开花当天中午时分就会凋谢。所以宋代秦观认为观赏牵牛花的最佳时间是“银汉初移漏欲残”的时光。

(日本語訳)
朝顔は早朝に咲くように見えますが、そうではありません。日没から約9時間以内に開花するため、午前2時頃に咲き始め、午前4時頃に咲き終わります。花は正午までにしぼんでしまいます。したがって、宋の時代の作者は、朝顔を見るのに最適な時期は「殷と漢の王朝が去ろうとしている」時期であると信じていました。


やはり、夜明けとは「政治的な時代の変化」のことであるという解釈のようです。
うー。
日本の解説本だけじゃなく、中国のサイトも必ず読んだほうがよいような気がしてきました。


取材旅行に行ったとき。
重慶で、四川料理の真っ赤な辛い鍋を食べました。その鍋に朝顔の蕾を入れた。すごく美味しかったという記憶があります。でも、検索してもそんな料理は出てきません。さらに「朝鮮朝顔には毒があるから食べてはいけない」という情報が出てきます。
わたしが食べたのは、何の蕾だったんだろう。朝顔じゃなかったのかな。
写真を載せています↑。これ、何の花…?
美味しかったので、もう一皿お代わりしました。
また食べたいけど、何なのかわからない…🌷


【追記】2024.7.21
七夕の「織姫と彦星」の彦星のことを中国では牽牛というらしい?
男は牛を引き(農作業)、女は機織りをするからこの名前?

朝顔の花のことを「牽牛花」というのは、七夕の頃に咲く花だから。日本風にいうと「彦星の花」という意味?
だから、詩のタイトルが「牽牛花」で、詩の中に天女(織姫)が出てくる?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?