【漢詩教室】第三回

「漢詩教室」第3回

●暦
昔の暦は2種類ありました。
月の満ち欠けによる「太陰暦」と、太陽の動きによる「太陽暦」です。
太陰暦は、月の形を見れば何日かわかるので便利でした。でも28日周期なので、だんだん季節がずれてしまう…。
太陽暦は、目で太陽を見ても何もわからないが、季節はずれません。
だから、太陰暦ではまだ12月なのに、太陽暦ではもう春だ、ということもありました。

たとえば、張昱の漢詩「発亥立春、在壬戌十二月二十五日」は、「太陰暦では12月25日なのに太陽暦ではもう立春だ」というタイトルです。

日本の和歌にもあります。
在原元方の「年の内に春は来にけり一年を去年とやいは今年とやいはむ」。
「太陰暦では去年なのに太陽暦では今年だ」という意味です。
これは「古今和歌集」の最初に載っている歌。でも評判がすごく悪く、「こんなつまらない歌がなぜ一番初めに載っているのか」と、江戸時代から批判されていました。今でも三年に一回ぐらい批判されているそうです。
「最初の歌で暦を誉めるのは、朝廷に媚を売るためではないか。暦は権力の象徴なのだ」という説もあります。


●楚辞
古代中国の北方の詩が「詩経」。当時は黄河流域の文明が発展していました。
南方の文化はあまり残っていなかったのですが、近年になり発掘?されました。
「楚辞」は南方の詩です。
安田さんは楚辞がとてもお好きとのこと。

屈原の「離騒経」が紹介されました。
楚の名門の生まれ。政府の方針(秦との同盟)に反対したが、聞き入れられず、左遷され、5月5日に石を抱いて入水自殺した人です。
この詩は、天に登って神に「私の考えが正しい」と証明してもらおうとするお話。白龍が引く車に乗り、鳳凰の背に乗って天に舞い上がり、天の門にたどり着くという壮大な世界です。

「九歌」「河伯」も紹介されました。
たとえば「河伯」の、

魚鱗屋兮龍堂 (魚の鱗の屋根、龍の堂)
紫貝闕兮朱宮 (紫の貝の闕、朱色の宮)

とか、厨二病を直撃するかっこいいダイナミックな漢字…!
古代の詩は、絢爛豪華な神話の世界が歌われているように読めます。
「この神話の世界は〝能〟の舞でなら再現できる」と思ったら、能楽師の安田さんが「これは能に近いですよね」と仰ったので、(当たった!)と思わずガッツポーズしました。

●江戸時代の漢詩
江戸時代、詩の文壇は政府に支配されてしまっていました。「政府は偉大だ」「親を大事にしよう」などの内容を書かされていて、いま読むとあまり面白い詩がありません。
その文壇から弾き出された詩人たちの、鬱屈した詩の方が良いものが多いです。
渡辺さんは、鳥山芝軒という詩人が好きですが、江戸時代の本にしか載ってないので、国会図書館まで調べに行ったそうです。
鳥山芝軒には、このような作品があります。

「人影」
幻中幻出是何出
多態運疑或有情
隱几逢君從後坐
杖黎見爾在前行
刘時如語消春昼
過処無蹤趁午晴
絶勝図真虎頭手
施朱傅白太分明

幻のようなものが現れたが、生き物かな?
人間みたいに、心があるのかな?
僕が机に寄りかかると、君も同じことをするね
杖をついて歩けば、僕の前を歩いているし
君と向かい合って話すと、時が経つのを忘れちゃう
虎頭(有名な画家)の絵より君の方がずっと
鮮やかに生き生きとしてるように思えてきたよ

「晩春雑興」
座睡国時昼景斜
満園新緑透窓紗
可憐無数狂胡蝶
来触蜘蛛網裡花

昼寝して起きたら、昼の日差しが斜めに差してる
カーテン越しに、外の緑の木々が綺麗だ
と思ったら、無数の蝶が狂ったように動いて
蜘蛛の巣から逃げようとしていた!

「人影」は、渡辺さんは「自分の影と対話をしているところが村上春樹っぽい」と思ったそうです。
安田さんは「ドッペルゲンガーのようで面白い」と感じたとのこと。

●漢詩を作ろう
今回は、起承転結の転を作ろう、とのことでした。
でも、転…難しいなぁ…

不眠 寂寂 花閒逕
(眠れない 静かすぎる 花が咲いてる)

月移 影澹 東流水
(月がうつろって 影が消えて 川が流れてる…あー、すべては変わっていくんだよ…へへいへーい…みたいな)

今日はやさぐれていました😨💦
どうしたの?
書いていた短編小説がうまくいかなくて、最初から書き直すことにして、すごく気落ちしているところなので…

「漢詩を作ろう」をやると、今の自分の気分がわかりますね…

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