中国の詩、「胭脂泪(相见欢)」李煜



「胭脂泪(相见欢)」李煜

林花谢了春红,太匆匆。
无奈朝来寒雨晚来风。
胭脂泪,相留醉,几时重。
自是人生长恨水长东。

(わたしの不正確な訳)
森の春の紅(花)たちが、あまりにも慌ただしく散り終えてしまった
朝はどうしようもなく冷たい雨が降り、夜には風が吹いていたから
そうして地面に落とされた花は、まるで女の口紅や頬紅の混じる涙のように真っ赤に濡れていた
この別れの後、いつか再会の時が戻ってくるのだろうか?
人生には憎しみを生む辛い事が多くて、その思いは東に流れる川のように終わりがない



いつもよりさらに不正確な訳です。
日本の本では見つからなくて、中国語の本『李煜李清照詞集』とweb(百度百科、中国版のYahoo!知恵袋のようなサイト)を機械翻訳し、なんとか読もうとしています…


「森の花たちが枯れた」とは、一つの花ではなく、複数の花を…つまり「国の終わり」を意味しているのかな?
「赤く濡れた花」とは、「血の色」か…?
(わかりません。もっと解説がほしいです…)


中国語の解説に、

仍然在他人手下忍辱含垢,生不如死,像一个玩偶,这更是人生最大悲哀。
(他人の手による屈辱に耐え続け、死よりもひどい人形のように生きることは、人生最大の悲劇だ)

从一国之君沦为阶下之囚,天上人间的命运,难道不是无常? 兴亡无常,人生无常,命运无常。李煜的这首词,在无意之中,触碰了天机。
(王から囚人に至るまで、天地の運命は無常だ。栄枯盛衰、人生も無常、運命も無常だ。この詩は意図せず、そんな天の秘密に触れている)

とありました。

それで思い出したのですが。
先日の漢詩のお仕事のあと、皆さんと李煜の話になりました。
確か、
「『虞美人』が傑作だったから、作者の李煜は毒殺されてしまったのだ。国を追われた王が無念を歌って、それが素晴らしい詩で、あちこちで民に歌われたら、影響力がありすぎる。もし凡庸な詩人だったら、彼の命は助かったんじゃないか?」
という話になりました。そうなのかな…


それにしても。
いつも思うのですが、日本語話者の自分にとって、漢詩の「たった四行の短い言葉に、意味が濃縮されている」のは、ミラクルです。
なぜこんなに短いのか、わからない。魔法を見ているようです。
しかも複雑な文法の縛りがあるし…

複雑な文法といえば。
先日の漢詩教室で、
「中国の文化には、ルールが複雑なものが多いのではないか? 漢詩はもちろん、風水も本当はすごく複雑だ。麻雀もそう。風水は、ルールをすごく単純に書き換えた本を日本で出版したら、ブームになったけど、あれは本物とは全然違う」
というお話も聞きました。


親愛なるわたしの男性歌姫、添翼さんの歌う「几多愁(虞美人)」を聴きながら、そんなことをいろいろ思い出しています。

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