マガジンのカバー画像

早記の踊り子年譜✍️①〜⑩

11
5歳の時、目を輝かせて入会したバレエ教室から始まる早記のダンス人生。 山より谷のが多かったけれど、 ここぞという時にご縁に恵まれ助けられ。 全10話、ツラツラと綴りました。 ぜ…
運営しているクリエイター

記事一覧

踊り子年譜✍️番外編【已已巳已みたいな私達】

踊り子年譜✍️番外編【已已巳已みたいな私達】

師匠のバースデーサプライズをするために、東京からはるばる沖縄までやってきた、iちゃんと私。

2月といえど、やはり沖縄は東京のように寒くはない。
刺すような寒さから解放され、着ていたコートを脱ごうとした私達は、お互いの姿をみて手が止まる。

やっぱりね、被る気がしたんだよね。

同じ格好をしていた。
お揃いを着てきたわけではない。
大きめなグレーのセーターに、スキニージーンズ。
同じアイテムを着て

もっとみる
早記の踊り子年譜✍️⑩【沖縄遠征!】

早記の踊り子年譜✍️⑩【沖縄遠征!】

振付を作ってみたらいいのに。

ある時突然言われた。
それまでにも、iちゃんとのチーム活動はしていたし、全く振付を作ったことがないわけではなかったけれど、自分1人が振付した作品としては、まだ経験がなかった。

そんなふうにして始まって以来、振付活動は猛スピードで広がっていった。

やってみたら、意外と好きだった振付。
幸運なことに次々と機会に恵まれ、

『私はこういう活動をしています』

と手をあ

もっとみる
早記の踊り子年譜✍️⑨【キーパーソンと出会う】

早記の踊り子年譜✍️⑨【キーパーソンと出会う】

サプライズ沖縄から帰京し、
iちゃんと私はダンスへの意欲を取り戻した。
チーム活動を再開することにしたのだ。

チーム活動というのは、
振付も使用する楽曲も衣装も、すべて自分達で決めて作品をつくり、主にクラブなどで開催されるダンスイベントに出演する、というもの。

その昔、私にとってクラブイベントが試練以外の何物でもなかった頃には(早記の踊り子年譜✍️④参照)自分がクラブイベントで踊るなんて、生ま

もっとみる
早記の踊り子年譜✍️⑧【サプライズ沖縄!!】

早記の踊り子年譜✍️⑧【サプライズ沖縄!!】

師匠がいなくなってから、
ダンスを完全には辞めてないものの、私は受けるクラスの定まらない、レッスンジプシー状態でいた。

別にクラスが定まらずとも、ダンスへの情熱を傾ける方法はいくらでもあったのだけれど、

そもそも意欲もあまりない状態で、踊る機会も減っていた。

その頃私はスポークラブのスタッフとして勤めていて、ボクササイズやストレッチなどのレッスンも担当していたため、

全くダンスが活かせない

もっとみる

早記の踊り子年譜✍️⑦【かけがえのない仲間、そして突然のお別れ】

スタジオ発表会、クラブイベント、師匠のアシスタントとして現場に入らせていただくお仕事…
いつでも厳しい師匠だったけれど、相変わらずピーピー泣いたり、卑屈になったりしながらも、しつこく通い続ける早記嬢。

あるリハーサルの最中、私が踊っている耳元で、

全然面白くない。

といわれたこともあったから、確実に私の心臓は強くなっていった。
(こうやって書くと、師匠がすごいひどいこと言ってるみたいだけれど

もっとみる
早記の踊り子年譜✍️⑥【泣こうが喚こうが卑屈になろうが、納得するものを出すまでは、前では踊らせない】

早記の踊り子年譜✍️⑥【泣こうが喚こうが卑屈になろうが、納得するものを出すまでは、前では踊らせない】

ひとりの先生に長く習っていると、その先生の振付に慣れてくる。

動き、音の取り方、独特のニュアンス…

私はとにかく、先生(いや、もう、師匠!)そのものになりたいと思っていたから、
細かい動きのいちいちを、コピーするかのように真似ていた。

目線とか顔の角度とか、動きの『間』とか。これは言葉でなかなか説明できない、踊ってる時の空気、みたいなものまで。

だけど、私に足りない『遊び』の部分。
そして

もっとみる
早記の踊り子年譜✍️⑤【反抗期突入】

早記の踊り子年譜✍️⑤【反抗期突入】

挨拶しかしないけれど、そういえば毎週レッスンに来るよね、くらいには認識してもらえたら…
というようなスタンスで、とにかくその事だけは自分に負けないように通い続ける先生のレッスン。

私が黙々としつこく通い続けるものだから、先生も顔を覚えてくれたようで、

ねぇ、名前なんていうの?

と聞かれた時には、天にも昇るような嬉しさだった。
その時の感情を今、急に思い出したけれど、毛穴という毛穴から汗が噴き

もっとみる
早記の踊り子年譜✍️④【煙草を吸うかどうか本気で考える】

早記の踊り子年譜✍️④【煙草を吸うかどうか本気で考える】

奇跡の出会いを果たし、意気揚々と代々木のダンススタジオに通い始めたかのようにみえたのだが。

しかしここでも、そうすんなりとは上手くいかない、少々ややこしい性格の早記嬢。

やはりネックとなったのは、自分にストリート感がまったく無いこと。

早記嬢と言ってるからといって、決してお嬢様なわけではなく、

変なところで頑固なので、その場に溶け込むということが出来ないといいますか…

私は私でいい!とい

もっとみる
早記の踊り子年譜✍️③【奇跡の出会い!】

早記の踊り子年譜✍️③【奇跡の出会い!】

早記嬢、18歳。
意地と頑固と自己否定がせめぎ合い、続けてきたJAZZダンススクールも、そろそろまた、発表会のリハーサルがスタートしそうな頃。(断片的な記憶だけれど、たぶんそんな時期だったと思う。また長いリハーサルが始まる恐怖を感じてたっていう強い印象。)

私は、毎週月曜の22:00から始まる、某国民的アイドルグループのバラエティー番組を欠かさずみていた。
だいたい番組の最後に歌のコーナーがあっ

もっとみる
早記の踊り子年譜✍️②【天狗👺早記嬢、鼻をへし折られる】

早記の踊り子年譜✍️②【天狗👺早記嬢、鼻をへし折られる】

早記嬢、12歳。
中学生になり、なぜか水泳部に入った早記嬢。なぜ入ったのかいまだに理由を思い出せない…スイミングクラブでの苦い思い出しかないのに。

そして案の定、水泳には向かないということを自覚し退部。合唱部に再入部。理由は、年度末に部活動の一環として、劇団四季の公演を観に行けるから!

ただ、文化祭で披露するミュージカル(とは言えないものだったと思う…音楽劇に近い。)があることは盲点だった。

もっとみる
早記の踊り子年譜✍️①【ダンス人生の始まり始まり】

早記の踊り子年譜✍️①【ダンス人生の始まり始まり】

早記嬢 当時5歳。
※写真は、たぶん3歳か4歳。ヘルメット頭と満足気なご様子が愛らしいので載せただけ。笑

ご近所のお友達に誘われて、バレエ教室の体験レッスンに行く。
目を輝かせて、即入会決定。
ここからダンス人生の始まり始まり✨

思えば物心ついた頃から、母に連れられコンサートやらミュージカルやらと足を運び、エンターテイメントの世界に触れる機会が多かったように思う。

子供にとってみれば、いった

もっとみる