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早記の踊り子年譜✍️⑩【沖縄遠征!】

振付を作ってみたらいいのに。


ある時突然言われた。
それまでにも、iちゃんとのチーム活動はしていたし、全く振付を作ったことがないわけではなかったけれど、自分1人が振付した作品としては、まだ経験がなかった。

そんなふうにして始まって以来、振付活動は猛スピードで広がっていった。

やってみたら、意外と好きだった振付。
幸運なことに次々と機会に恵まれ、

『私はこういう活動をしています』

と手をあげることで導いてくれる新たな出会いや繋がりが増えた。

とにかく貪欲に場数を踏むべしと、走り続けた。
大きな流れに押し出されていつのまにか、つい2、3年前からは想像も出来ない程、とりまく環境が新しくなっていった。

私がダンスの環境に、作品をつくる側として戻ったことで、iちゃんはじめ、師匠の元で一緒に踊っていたメンバーが、私の作品で踊ってくれる機会も出来た。
また昔みたいに一緒に踊ることが出来て、それも本当に、感無量だった。

すべてのきっかけは、あの、ダンス人生3回目のビビビ⚡️から。

小さなきっかけが、大きく人生を動かす。

走り続けている最中は無我夢中で、
相変わらず細かいことで落ち込んだりもするし、
移動の電車も、立ったまま寝てしまうくらいだったけれど、(歩くとか、食べるとか、動作が止まると途端に、暴力的な睡魔に襲われていた)
休みが欲しいとは思わなかった。
その場に留まってしまうことが嫌だった。


また踊ること再開しました。

今度は作品をつくる側として。

振付や構成を考えるのが好きなのは、間違いなく、師匠の影響です。

そんな、振付や作品づくりに没頭していた日々がしばらく続いたある日、
突然iちゃんと私あてに、師匠から連絡があった。

沖縄で開催されるダンス発表会で、師匠が振付をする作品に参加しないかというものだった。

また師匠の振付を踊れる!!

師匠から離れて、一時はダンスからも離れてしまったけれど、
師匠から離れたところでも、また踊り始めることが出来て、私なりに続けてこられたこと。

当時から比べれば、泣かなくなったし。笑

『全然おもしろくない』と言われてた私の踊りも、
その『おもしろくない』の意味が腑に落ちるようになって。


即、参加決定。


きっと、ほめてもらいたかったんだと思う。
憧れて背中を追い続けた師匠に、成長したねって、思ってもらいたかった。


今度はサプライズではなく、
踊りで、先生を泣かそう。


iちゃんと私は、師匠から送られてくる振付動画を見ながら東京で自主リハーサル。(今となってはリモートのさきがけ)

その間に私が1度、師匠が1度、沖縄と東京を行き来した。
そういえば私が沖縄に行った時は、
ちょうど台風とすれ違う形で飛行機が飛び、沖縄に着いたら街がところどころ停電していて大変だった。



いよいよ本番前の沖縄入り。
iちゃんと私が沖縄チームと合流したのは、本番直前の会場リハーサルが初めて。


師匠は発表会全体の演出も担当していたため、思っていた以上に私達は放置プレイ(自主行動!笑)だったけれど、あっという間に意気投合した沖縄チームと東京チームは、時間が無いながらも楽しく自主リハーサルに臨んでいた。


東京でステージを作りあげている時と沖縄とでは、勝手がだいぶ違うらしく、スタッフさんへ演出の意図がなかなか伝わらなかったりと、師匠は本当に大変そうだった。


本番間際になり、
出演の子供達が、客席のドアから登場する演出の箇所で、お客さんの通行の規制をしたり、登場のタイミングを指示する人がいないことに、誰も気づいていないことに焦り、
iちゃんと私で、その役目を買って出たりした。


そんなドタバタのうちに迎えた私達の出番は、発表会の大トリ。

師匠は照明室で、照明スタッフへの指示に追われながらステージを観ていたようだった。


無事に本番2回公演を終え、
感極まって、舞台袖でiちゃんと泣いた。

師匠の振付がなつかしくて、うれしかったことと、
やはり、振付構成、演出のすばらしさ。
師匠の感性を、東京で観られない悔しさみたいなものが込み上げた。


東京に戻ってきてほしい。


そう思うのはこちらの勝手な都合かもしれなくても、そう思わずにいられなかった。

最後の最後まで運営業務に追われる師匠。

片付けもようやく終わって会場をあとにする時も、感動のハグ!みたいなものは無く。笑


じゃあまたねー!


と、まるでまた来週、スタジオで会うかのようなテンションで別れた。


師匠らしいな。


と思いつつ、沖縄最後の夜をiちゃんと2人で楽しみ、翌日東京へ帰った。



東京へ帰って数日経ち、
師匠からメッセージが届いた。

そこには、本番中もまったく構えず放置プレイしてごめん。という内容とともに、

たった数回の東京と沖縄でのリハーサルで、
しっかり仕上げてきたあなた達が誇らしかった、と。

本当は客席でゆっくり観たかったけれど、
でも客席で観てたら泣いちゃって、
まともに観られなかったかも。

照明室で、グッとこらえて観ていた。


と、綴られていた。


5歳の時、目を輝かせて入会したバレエ教室からスタートした、早記嬢のダンス人生。

師匠に出会ってから約15年。

山より谷のが多かったけれど、

ここぞという時に、ご縁に恵まれ助けられ。

頑固で臆病、自信はないが意地はある。


華々しい実績をたくさんあげられたわけではなかったけれど、
少しずつ夢の形を変えながらも、ダンスを続けてこられたことは、確実に私の人生を彩ってくれた。



2020年、コロナウイルスが世界を襲って、
ダンスやエンターテイメントの分野も大きくダメージを受け、多くのイベントや公演の類が中止を余儀なくされた。


微力ながらも、ダンスを生業とする者の一端として、
こういったリアル(生)での公演の希望をなくしたくないなと思う。


どうか1日でも早く、
大勢のお客さんに観てもらえる、にぎやかなステージが戻りますように…


早記の踊り子年譜✍️完

最後の最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました🙏🙏🙏


今後は番外編として、気まぐれに執筆していく予定です☺︎
どうぞよろしくお願い致します🎠

早記の踊り子年譜✍️最初から読む方はこちらから☟

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#エッセイ #ダンス #人生
#note初心者 #エンターテイメント








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