早記の踊り子年譜✍️④【煙草を吸うかどうか本気で考える】
奇跡の出会いを果たし、意気揚々と代々木のダンススタジオに通い始めたかのようにみえたのだが。
しかしここでも、そうすんなりとは上手くいかない、少々ややこしい性格の早記嬢。
やはりネックとなったのは、自分にストリート感がまったく無いこと。
早記嬢と言ってるからといって、決してお嬢様なわけではなく、
変なところで頑固なので、その場に溶け込むということが出来ないといいますか…
私は私でいい!という、『ブレない自分』なんて言えば聞こえはいいけれど、単に臆病なだけで、自分にないものを柔軟に取り入れてみることをしない、
私らしさという意地はあるものの、周りを納得させて、存在感を示すことが出来るほどのエネルギーはなく、
私やっぱり浮いてるかな…って、周りの目をずっと気にしている。
そもそもそんなに周りは気に留めてない。笑
って、その時の私に言ってあげたいくらい。大変だわこの性格。笑
苦しかったよなぁ、自分で自分の首しめてさ。
※小学校の時の、いったい何の授業だったのか謎な写真。どことなく得意気。笑 『私は私』って感じがしたので掲載。
そんな状態だから、なかなかスタジオで仲良くなる子も出来ず、憧れの先生には、憧れ過ぎがゆえに緊張して上手く話せず。
おはようございます。と、ありがとうございました。だけは何としてでもご挨拶をしていたけれど、先生にとって私は、とても印象の薄い生徒だったように思う。
当時、90分か120分のレッスンの合間に、煙草休憩があって、先生と煙草を吸う生徒達と、吸わなくても先生に付いて長い生徒達は、いつもそこで楽しそうに話していたのをうらやましく思っていた。
タバコミュニケーション(ってもう死語なのか?)とはよく言ったものだけれど、あまりにもコミュニケーションが取れない自分が残念で。
本気で、煙草を吸おうかどうか考えた。🚬
少しでも、コミュニケーションが取れるタイミングがあるところに行く理由を作りたかったから。
レッスン中だけではなく、例えばクラブイベントで先生が踊るからと遊びに行った時も、(深夜イベントは、それはもう、私には大試練だった。笑)
煙草を吸わない(コミュニケーションがとれない)ということだけで、私にとってはクラブタイムが地獄だった。
クラブを楽しめないなんて、ダンサーとして致命的なのでは、とすら、本気で思い込んでいたのだけれど、
遊ぶことも全力で楽しんで、カルチャー的なこともどんどん吸収して、それがダンスの、スキル以外の部分に深みを持たせていくということを、私はなかなか出来ずにいた。
それは、中途半端な『私らしさ』という意地。
頭でっかちなスタジオダンサー。
先生が当時よく、
早記ちゃん、もっと遊んだらいいよ。
と言ってたことの本当の意味が、今ならとてもよく分かる。
そんな当時の私を唯一ほめることがあるとすれば、先生のクラスに行くことをやめなかったこと。
どうしても先生の振付が踊りたくて、先生みたいに踊りたくて、代々木以外にも、先生がクラスを持っているスタジオに通いつめた。
きっと何とかして突破口をみつけたくて。
さてこの先、早記嬢のダンス人生の行方は…
次回、早記の踊り子年譜✍️⑤【反抗期突入】
に続く♡☟
https://note.com/sakiii_bi/n/n64ec81e83511
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