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原典を読みながら環境・農業問題について考えてみる

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聖書や日本書紀、平家物語などを読みながら、「日本」について外国人に説明するにはどうしたらいいかとか、農村部の論理と都会人の論理がどう違うかと言ったことについてのヒントを考えていま…
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#ナス

「紙」マルチによるニンジン栽培のテスト。地代は原価+手間賃で決まる価格とは別の原理で成り立っている件など

「紙」マルチによるニンジン栽培のテスト。地代は原価+手間賃で決まる価格とは別の原理で成り立っている件など

アダム・スミスは国富論の中で、賃銀と利潤は価格の原因だが地代は結果だとしています。

「地代」について、制度や政策と言うことを離れて考えてみると、確かに「労働」によって実現される価値とは違う性格を持っていることは確かです。

価格や価値と「労働」の関係ですが、アダム・スミスは「労働価値説」、つまり、労働があらゆる価値の源泉だとしています。

たとえば、僕が大根を育てて、1本100円である飲食店に卸

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井原西鶴、近松門左衛門文学に登場する「ナス」。ナスの漬物は「わびしい食事」の代名詞だったのか。

井原西鶴、近松門左衛門文学に登場する「ナス」。ナスの漬物は「わびしい食事」の代名詞だったのか。

井原西鶴の好色一代男に「その里にゆきて、椎の葉に粟のめしを手盛りに、茄子香の物をもらいて」との描写が出てきます。

知り合った女性と二人、ひもじい旅を続ける中、途中で食べ物を恵んでもらう場面での話です。

「米」でなく、「粟のめし」にナスの漬物と言う形で、わびしい食事を表現しています。同じ西鶴の好色一代女にもナスの漬物が出てきますが、それも落ちぶれてナスの漬物だけでご飯を食べていると言う形で出てき

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農耕具のガリレオになれるか?

農耕具のガリレオになれるか?

鉄の古代史(奥野正男)には、福岡県の広田遺跡の出土品について、「扁平打製石斧が採集の土掘りだけでなく、穀物栽培の農耕具としても消耗品的に使われていた可能性を示している」と述べています。

石斧だから、「オノ」と言うわけではなく、「クワ」のように使われていたと言う事でしょうか?

萬葉集冒頭の「この岡に菜摘ます子」の歌に堀串(ふくし=掘り具)と言う表現が出てきます。菜を摘むのにどうして掘り具がいるか

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タアサイは1-2月の「つなぎ」葉菜として位置づける

タアサイは1-2月の「つなぎ」葉菜として位置づける

「人間はつねに働いて生きてゆかねばならないし、彼の賃銀は少なくとも彼の生活を維持するのに足るものでなければならない。いや、たいていの場合、賃銀はこれよりいくぶん多くさえなければならない。そうでないと家族の扶養という事が労働者にとって不可能となり、職人達の家族は一代限りとなってしまうからである。

こうした理由からカンション氏は、最下層の労働者でも平均して二人の子供を育てるためには、自分自身の生活維

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近松門左衛門「五十年忌歌念仏」にみる栽培野菜リスト

近松門左衛門「五十年忌歌念仏」にみる栽培野菜リスト

近松門左衛門の「五十年忌歌念仏」に
農民・左治右衛門が

「大根時、綿時、瓜撒くは、茄子作るは、牛蒡畑、豆畑、粟よ、黍よ、麦を撒くぞ、赤らむぞ、田を植えては草を取る、穂が出れば刈りまする、籾になれば擦りまする、米になれば炊きまする、飯になれば食べまする」

と言うセリフが出てきます。

1707年に上演されたのだそうです。

かなり興味深いセリフです。

考察はおいおい・・・

2週間予報は、クリ

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「豊かな社会」における半農半X

「豊かな社会」における半農半X

アダム・スミスの国富論にこんな話が出てきます。

「大多数の職業において労働の生産力が十倍」、「すなわち1日分の労働が、それがもともとやっていた仕事の十倍の量を生産できたとしよう」

「他方、ある特定の職業では労働の生産力が二倍にしか増進しなかった。すなわち、1日分の労働が前にやっていた仕事の量の二倍しか生産出来なかった」

「大多数の職業における1日分の労働の生産物を、この特定の職業の1日分の労

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泰平モード40年で生まれた「紅色一代男」

泰平モード40年で生まれた「紅色一代男」

井原西鶴・紅色一代男(1684刊)に「塵塚よりなた豆と言う物、いと笑しく生りさがりたる垣根」と言う表現が出てきます。

ゴミ捨て場からナタ豆が自然発芽して、垣根にツルを絡ませている様子を描写しています。

畑で雑草や野菜屑を積んでおいた場所からトマトや白菜が自然発芽してくるのはよくある話です。

ところで島原の乱の終結が1638年、寛永の大飢饉が1640年-1643年にかけてです。この後、幕府は土

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江戸時代前半、ナスとウリの評価

江戸時代前半、ナスとウリの評価

ものごと、何が書かれているかだけでなく、何が書かれていないかと言うことに注目するのも大切です。
近松門左衛門の「五十年忌歌念仏」の農民・佐治右衛門のセリフには、「ウリ」は登場しますが、「キュウリ」は出てきません。
「大根」は登場しますが、「カブ」や「ニンジン」は登場しません。
「河童の日本史(中村禎里)」によると、キュウリはナスより低級なものと考えられていたそうです。なお、同書によると我々が考えて

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