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鉄の古代史(奥野正男)には、福岡県の広田遺跡の出土品について、「扁平打製石斧が採集の土掘りだけでなく、穀物栽培の農耕具としても消耗品的に使われていた可能性を示している」と述べています。

石斧だから、「オノ」と言うわけではなく、「クワ」のように使われていたと言う事でしょうか?

萬葉集冒頭の「この岡に菜摘ます子」の歌に堀串(ふくし=掘り具)と言う表現が出てきます。菜を摘むのにどうして掘り具がいるか謎でした。

この件については、萬葉集冒頭歌、「掘り具」の意味はこれだったのか?の中で芝川の土手で自生しているカラシ菜を採っている人が、株ごと抜いて根を切っているのを見て、こういう風に作業しているとすれば、掘り具もいるのかなぁと思って書きました。

しかし、扁平打製石斧が掘り具としても使われていたとなると、萬葉集冒頭歌の「堀串」は、この石斧のようなものだったのでしょうか?

フキノトウのようなものを掘り起こしているとすると、菜を摘む時に掘り具を持っていてもおかしくありません。

ところでアダム・スミスの国富論には「馬鈴薯は、現在ではわが王国の大部分で三、四十年前の価格の半分もしない。同じことが、カブ、ニンジン、キャベツについても言えるのであって、それらは以前には手鍬でしか栽培されていなかったのであるが、今ではふつう馬鍬で栽培されている」書かれています。

国富論は18世紀後半の1776年の出版で、僕が読んでいるのは、1789年第5版の日本語訳です。その三、四十年前と言うことになると、1730-40年代頃と言うことになります。

つまり、アダム・スミスは18世紀前半にはイギリスでは馬耕があまり普及していなかったが、後半には普及するようになったと言っているのでしょうか?

こうしたことも考えてみたいと思います。

さて、注文していた「備中グワ」が届きました。これまで牛用の犂を人間用に改良したもの、平クワ、踏鋤などを使用してきました。

見沼の場合、名前の通り、もともと湿地帯で、地面から30-40センチぐらい下に「硬盤」と言って粘土のような硬い土質の層があるようです。

硬盤は水が地下に浸透することを妨げ、野菜の「青枯病」の菌を滞留しやすくします。昨年は、ナスがかなり青枯病にやられました。青枯病対策は、水はけを良くする事が重要なのだそうです。

そこで備中グワを使って、地面を耕す事を思いつきました。

「土を耕す」と言っても、扁平打製石斧と馬に馬鍬をつけての耕耘、トラクターによるロータリー耕、平クワ、牛犂、備中グワでは、「耕され方」に違いがあります。

このへん、「半農生活」のための耕作方法と耕作具については、まだあまり研究が進んでいないように思います。

昨年、金属棒とスコップを組み合わせて「犂」を作ってみました。犂は、長い柄の先に刃がついていて、土を掘り起こすので「テコ」の原理を応用していると思われます。

ただ、犂それ自体の重さで土にめり込ませることや、移動しながら土にめり込み、掘り起こしていくなど、複雑な要素が絡んで運動しています。

犂についての「力学的」な解析は、ネット検索では出てきませんでした。

実際に金属棒とスコップを組み合わせてみると、柄の長さや刃先を取り付ける角度により、土に良くめり込んだり、めり込まなかったりしました。

工業物理化学専攻だった身としては、「農耕具の力学」に関心があるのですが、「犂のガリレオ」になるには、まだ時間がかかりそうです。(福山雅治の「ガリレオ」の実験室は僕のいた研究室に雰囲気がよく似ています。)

当面は、伝統的な農耕具について、いろいろ学ぶ必要がありそうです。

2週間予報は、最高気温が10℃を下回ることはなく、平年値を6℃も上回る日も多いことを伝えています。いつもは春分頃にジャガイモを植えていますが、今年は早めに植えたいと思います。ビーツやホウレンソウの種まきもしたいです。

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