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詩 『幽 霊』

作:悠冴紀

誰も私を見ないでくれ
誰も何も期待しないでくれ

君等の理想は幻だ
真の私は そこにはいない

誰の目にも留まらず
誰の記憶にも残らず
触れることもできない存在になれたなら・・・

そう、 君がしたのと同じように
私も世俗の一切を締め出したかった

あらゆる人々の視界から
消えてしまいたいと今も思う

あれから何年が経つのだろう
君が独り 姿を消して
次元の異なる存在になってしまった

大勢の濁った視線の中で
道化になり果てていく私を見て
君はむしろ 幽霊であろうと決めた

君に筋違いな演技を求め
主義に反することにまで
加担させようとする人々の視界から
生きながらにして 消えてしまった

君が見えない
どこにも見えない
賢明すぎて
幽霊になった

できることなら
私もそうなりたかった

誰の幻想にも踊らされない
厳選された真実の中で
あるがままに ただ生きて
……

後ろ盾のなかった私は
生活のために 道化になった

逃げ込める場のあった君は
生活を人に任せ 幽霊になった

周囲が向ける数多の誤謬ごびゅうから
君と同じ 不可視な世界へ

あらゆる枠組みから
立ち去りたい

* * * * * * *

※ 2013年6月頃(当時36歳)の作品。

 作中の「君」というのは、以前投稿した詩作品氷の道標天狼~ハティの「君」と同じで、私と20年近い付き合いのあった幼馴染みの(元)親友Sのことです。

 引きこもりという形で自己を守る道を選んだ旧友と、偏執狂のモンスター・ペアレンツによる数々の社会的自立妨害工作のために、度々路頭にさ迷いかけて、食べていくだけで精一杯だった私との間に大きな溝ができ、離れるべくして離れていった若き日々(文壇デビューよりもずっと前)を振り返って書いた一作です。

 以前投稿した詩グリュプスの解説文でも、私が知らず知らず周りの期待や願望を酌み取って、その通りに演じるだけの単なる器と化していた時期がある、というような話をしましたが、元はと言えば、そのままのキャラでは社会に適合できない自分の実態と、上記↑のような理由により、選べる道が少なすぎたため、そうでもしなければ切実に暮らしていけない、という背景事情があって身に付いた傾向でした。また、それに加えて、外見上のギャップというのも、この手の生き辛さを感じる一因だったように思います。

 学生時代までは、飾り気のない黒づくめの服装や、ほぼ男装と言える男物の靴や鞄、また冬なら必ずトレンチなどのロングコートを纏い、ニコリともしない殺気だった表情で颯爽と歩いていく姿などから、通称「マフィア」とか「軍人」で通っていた元威圧系の私ですが、社会に出てからは、そんなムッツリした態度で過ごせるわけもなく、まずはフレッシュな新卒らしさを醸しながら面接とかに行かねばならないし、周りを注意深く見て「ふ~ん、人って、こういう時に笑うんだ。笑う顔って、こういう表情なんだ」と学習しながら、自分の感情と全くリンクしない「常識的な反応の仕方」を、死に物狂いで身につけていきました (^-^; (←私の生家では、笑っていると、その楽しみの元、幸せの元を探り当てて必ず奪い取られ、一人で勝手に自由になったり幸せになったりしないよう徹底的に踏み潰されていくので、私は何があっても常に無表情を決め込み、感情と表情とのリンクを遮断する必要がありました。そしていつからか、感情表現の仕方がわからなくなっていたのです。)

 ただ、服装や表情にさえ気をつけるようになれば、外見上はむしろ真っ当なタイプに見えたらしく、やがて人からは、愛されながらぬくぬくと成長してきた元優等生でお育ちのいい人、という正反対なイメージで決めつけられてしまい、何の根拠もない勝手な期待でがんじがらめにされるように……😥 初対面の人にいきなり指差されて「あんた、純真そうやな〜😲」とか「お嬢様ですよね?」とか言われたり、行く先々で、実際の能力を優に越えたことばかり期待されたり、何故か苦手分野の事柄ほど得意に違いないと勘違いされたりして、自分にめちゃくちゃ無理を強いる社会生活を余儀なくされていきました。

 たとえ私自身が、「いや、私はそういうタイプじゃない。ギャップ王なので中身は真逆です」と自分からカミングアウトしても、「そんな風には見えない。あなたは絶対に違う」とスルーされ、単なる謙遜と思われる始末。(← そこを謙遜と取ること自体、現実の私に対して失礼なんですけど (^_^;)💢 苦笑) 見たいものしか見ない人たちに、一方的に思いを寄せられ、都合よく甘えることしか頭にない所謂『構ってチャン』やストーカーおやじ、宗教勧誘のオバサン等に、しつこく付きまとわれるというハプニングも、一度ならずありましたね。人の世は危険だらけ!💣

(↑ だから私は、一目惚れというやつさえ、美化する気になれない。あれはようするに、自分好みの外見を持つ人物に、「こうであればいいな」という一方的な理想を押し付け、相手に妄想上の人格を重ね見るという、傍迷惑な病気の一種。そもそも相手の実際の人格に対する尊重というものがまるでなく、人形扱いしているのだから。もちろん、妄想するだけなら罪はないし、必ずしも悪い気はしないけど、実際に追いかけてくるとなると、話は別です! そうまでして見たいものだけを見続けようとする奴は、なるべく早急に離れるべきヤバイ奴だと、経験から警告しておきます! 後々の自分にとって一番危ないのは、あなたを嫌う人ではなく、あなたを気に入りすぎている相手ですよ、皆さん💦)

 ……まあ、そんなこんなで、だんだん周りが放っておいてくれなくなり、居場所(主に職場)を変えても同じことの繰り返しなので、ふと例の引きこもった旧友のことを思い出し、いっそ私も誰とも遭遇せずに済む場所に引きこもりたい、と思ったものでした。もちろん、身の上からして、そんなことはついぞ叶いませんでしたが💧 その意味で、あの頃の私から見れば、今現在のように人との間に距離を取ることを求められ、自宅にこもることさえもが、世界共通の認識として好しとされる状況は、羨ましいような状況だったかもしれません。

 皮肉なのは、そうなったのが、ちょうどそんな私が以前のような武骨さを克服し、人との接し方においても、程よい距離の取り方で微調整しながら、うまく暮らしていけるようになってからだ、という点です。特にここ数年は、やたら外向的かつ活動的になり、家の中でじっとして過ごすことの方が苦手になっていたので、タイミングとしてはワーストです💧 副業にしても、今まで色々行った中で一番自分に合っていて、居心地のいい環境だったので、その絶頂期に奪われ失業にまで追い込まれてしまったのは、運がなかったとしか言い様がありません。辞めるきっかけやタイミングをなかなか掴めないまま、ブラック企業に勤めている真っ最中などであれば、「ラッキー🎵 助かった」と喜べたでしょうに (^_^;)

 とは言え──。

 社会における幽霊化(あるいは透明人間化)なんていう極端な状態に持ち込まなくても、距離の取り方一つでトラブルを避け(全部は無理ですが)、自分に嘘をつかず肩の力を抜いて人間界を暮らしていけるようになったのは、私のような者には驚くべき進歩だし、そこを改めて自覚して自信の源にするという意味では、今回の大きな状況変化も、無駄ではなかったと思います。

 そして物理的な距離だけでなく心理的にも、やっぱり人との間に距離をおくって、大事なことだなと、改めて実感している今日この頃です。

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注)シェア・拡散は歓迎します。ただし、この作品を一部でも引用・転載する場合は、必ず「詩『幽霊』悠冴紀作より」と明記するか、リンクを貼るなどして、作者が私であることがわかるようにしてください。自分の作品であるかのように公開するのは、著作権の侵害に当たります!

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※ 作家悠冴紀の公式ホームページはこちら ▼

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