羽田さえ

ライター。 日本の古典文学のゆるめな解釈、旅先で自作した短歌。そのほか街や家について。 研究者ではなくただの学部卒(国文学専攻)、好き勝手に書いております。だいたい毎週金曜日に更新します。

羽田さえ

ライター。 日本の古典文学のゆるめな解釈、旅先で自作した短歌。そのほか街や家について。 研究者ではなくただの学部卒(国文学専攻)、好き勝手に書いております。だいたい毎週金曜日に更新します。

マガジン

  • 枕草子

    清少納言の「枕草子」。 岩波文庫版をベースにしています。

  • 百人一首

  • 椎骨動脈解離のこと

    2023年12月に罹患した椎骨動脈解離(ついこつどうみゃくかいり)の備忘録です。

  • 街と家と人

    住んだことのある街、旅先で出会った街、何だか好きな街について。あるいは以前働いていた不動産デベロッパーでの仕事のことなど。

  • 旅の短歌

    旅先で詠んだ自作の短歌です。

最近の記事

【枕草子】九月二十日あまりのほど(第二一四段)

【解釈】NHK大河ドラマ「光る君へ」で、清少納言が登場しています。 個人的には紫式部と清少納言は面識がなかったと思っているのだけれど、ドラマでは親しい友人関係だった設定になっていますね。 最近は清少納言が悪者、というか困った人として描かれていてちょっとかなしい。中宮彰子を前にした歌の会に乗り込んできて「ここは私が歌を詠みたくなるような場ではない」と啖呵をきるシーンなど、少納言ファンとしては何もそんな設定にしなくても…と思ってしまいました。(ドラマそのものは毎週楽しく観てい

    • 【百人一首】(ももしきや/一〇〇・順徳院)

      【解釈】 出典は続後撰集 雑下 一二〇二。 作者は順徳院(じゅんとくいん)。父である後鳥羽上皇とともに承久の乱を起こし、佐渡に流された人です。また一方で、父とともに藤原定家に歌をならっていました。 この歌は承久の乱の前、順徳院が20歳ごろの作だとされています。 凝った技巧や難解な表現はなく、そのまま意味がとれる歌です。 このくらいストレートに詠むからこそ、強い悲しみやさびしさが迫ってくるのかもしれません。 すでに鎌倉幕府に政治の実権が移り、宮中に雑草が生い茂るほどに衰

      • 【百人一首】(人もおし/九九・後鳥羽院)

        【解釈】出典は「続後撰集」雑中 一一九九。 作者は後鳥羽院(ごとばのいん)。後鳥羽上皇です。 何となく承久の乱の後にでも詠まれたのかと勝手に思っていたのですが、後鳥羽院が33歳である1212年の作。承久の乱より10年近く前の歌です。 鎌倉幕府に、北条義時に敗れる前の後鳥羽院には、人や世の中がどんなふうに見えていたのか。興味深い一首です。 言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン、的な世界観でもあるのだけど、後鳥羽上皇が詠んだとなると一層深みが増しますね。 一方で

        • 【百人一首】(風そよぐ/九八・従二位家隆)

          【解釈】出典は新勅撰集 夏 一九二。 作者は従二位家隆(じゅにいいえたか)。定家とならんで著名な歌人であった藤原家隆のことです。 詞書によれば、後堀川天皇の女御入内に際して用意された屏風へ貼り付けられた歌なのだそうです。 大河ドラマ「光る君へ」にも、彰子の入内に合わせて藤原道長が屏風歌を集める描写がありました。雅な風習ですね。 さて、歌の中身。 一見むずかしい技巧はなさそうに見せつつ、名人らしい一首です。 「なら」とありますが、舞台は奈良ではなく京都。上賀茂神社の境内に

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        • 枕草子
          16本
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          9本
        • 街と家と人
          4本
        • 旅の短歌
          17本
        • 万葉集
          20本

        記事

          【百人一首】(来ぬ人を/九七・権中納言定家)

          【解釈】出典は新勅撰集 恋三 八四九。 作者は権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)。小倉百人一首の撰者、藤原定家です。 海辺の田舎で暮らす女性の立場になって詠まれています。 藻塩はこの時代に作られていた塩で、詳細は分かっていないものの海藻を海水に浸して煮詰めて精製する塩だと言われています。 海藻に含まれるミネラル分も入るため、風味豊かでまろやかな塩になるのでしょう。知らんけど。 淡路島にある松帆の浦では、そんな藻塩がさかんに作られていたようです。 「松帆」と恋しい

          【百人一首】(来ぬ人を/九七・権中納言定家)

          【百人一首】(花さそふ/九六・入道前太政大臣)

          【解釈】 出典は新勅撰集 雑一 一〇五二。 作者は入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)、藤原公経(きんつね)のこと。 藤原定家の義理弟にあたり、平安末期から鎌倉初期を生きた人です。 鎌倉幕府と親しく、承久の乱を阻止するなどして太政大臣になり、栄華をきわめました。 技巧の面では、「降り行く」が「古り行く」との掛詞になっています。 桜の花びらが落ちて降り積もった庭の風景から、老いていく我が身へとゆっくりと視線を、そして意識を移す演出が巧みです。 落ちた花

          【百人一首】(花さそふ/九六・入道前太政大臣)

          【百人一首】(おほけなく/九五・先大僧正慈円)

          【解釈】出典は千載集 雑中  一一三四。 作者は慈円僧正。平安末期から鎌倉時代を生きた人です。 関白藤原忠通の子供でありながら11歳で出家。僧として生き、天台宗の座主にのぼりつめました。 詞書には「題知らず」とあり、題詠ではない。 かつ千載集の成立年代を考えると作者はおそらく30歳前後。若い頃、思いのままに詠んだタイプの歌だと思われます。 技巧的には特に難しいところはなく、そのまま意味が取れます。とはいえ「おほふ」と「袖」が縁語、すみぞめは「墨染」と「住み初め」の掛

          【百人一首】(おほけなく/九五・先大僧正慈円)

          【百人一首】(みよしのの/九四・参議雅経)

          【解釈】大人になって良さが分かるようになってきた歌のひとつです。 出典は「新古今集」秋下 四八三。 作者の参議雅経は、飛鳥井雅経というのだそうです。新古今集の撰者のひとりとしても知られ、源頼朝の猶子となった公卿、歌人です。 秋の夜に砧を打つ音が聞こえるというのは李白の詩にも出てくるモチーフで「擣衣(とうい)」として歌のお題に使われていたようです。 詞書によれば、この歌もそのひとつ。擣衣というお題で詠まれたと書かれています。 技巧的に難解な部分はほぼなく、そのまま意味が取

          【百人一首】(みよしのの/九四・参議雅経)

          【百人一首】(世の中は/九三・鎌倉右大臣)

          【解釈】出典は「新勅撰集」羈旅 五二五。 作者は鎌倉右大臣、源実朝(みなもとのさねとも)です。  何を詠んだかというよりも誰が詠んだのか、それにつきる歌です。 源実朝は頼朝の次男。わずか12歳で征夷大将軍になり、28歳にして甥っ子に刺殺されてしまうという悲劇の人です。2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でもなかなか魅力的な人物として描かれていました。 武家の棟梁としての資質は分かりませんが、和歌が大好きで京都の藤原定家にリモートで教えを請い、多くの名作を残しました。

          【百人一首】(世の中は/九三・鎌倉右大臣)

          【百人一首】(わが袖は/九二・二条院讃岐)

          【解釈】出典は「千載集」恋二 七五九。 結句の「かはくまもなし」は、千載集では「かはくまぞなき」と係り結びになっています。 作者は二条院讃岐(にじょういんのさぬき)。平安末期から鎌倉初期を生きた人です。 歌人としても有名だった源頼政の娘で、名は伝わっていませんが本人も歌の名手として知られていました。 この歌は「寄石恋」というテーマの題詠によって作られた一首。 石に寄せる恋って何やねんという感じですが、有名な先行作品としてこんな和泉式部の作がありました。 わが袖は水の

          【百人一首】(わが袖は/九二・二条院讃岐)

          【百人一首】(きりぎりす/九一・後京極摂政前太政大臣)

          【解釈】出典は「新古今集」秋下 五一八 。 作者は後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)、九条良経(くじょうよしつね)です。 従一位・摂政、太政大臣でありながら当代きっての歌人・文化人でした。八大集の最後となった新古今集の仮名序を書いた人としても知られています。 さて、解釈。 「きりぎりす」は現在で言うコオロギのことを指しているようです。 むしろに独り寝の晩秋、というだけでも充分にもの淋しい描写ですが、効いているのは「衣かたしき」かもしれま

          【百人一首】(きりぎりす/九一・後京極摂政前太政大臣)

          【百人一首】(見せばやな/九〇・殷富門院大輔)

          【解釈】若い時には今ひとつ良さが分からなかった歌のひとつです。 出典は「千載集」恋四 八八四 。歌合せの席で恋の歌として詠まれたものとされています。 作者は殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)。 平安末期を生きた女性で、後白河院の皇女である殷富門院に仕えました。当時を代表する歌人だったと言われています。 さて、味わうためには、一定の教養が必要なタイプの歌です。 そもそも、これは平安中期の歌人である源重之の歌 の本歌取り。殷富門院大輔や藤原定家の時代には、本歌取りが

          【百人一首】(見せばやな/九〇・殷富門院大輔)

          【百人一首】(玉の緒よ/八九・式子内親王)

          【解釈】愛子さまの卒論のテーマだったとされている、式子内親王の歌です。 出典は「新古今集」恋一 一〇三四 。「忍ぶる恋」というお題のもとで詠まれました。 作者は平安末期を生きた式子(しょくし/しきし)内親王。 後白河天皇の第三皇女で、賀茂斎院の立場にあった人です。 新古今集にたくさん歌が採用されていて、名の知れた歌人だった式子内親王。藤原俊成に歌を習い、俊成の息子である藤原定家と恋仲だったとされています。 ここでうたわれている忍ぶ恋の相手というのが藤原定家だったのか、

          【百人一首】(玉の緒よ/八九・式子内親王)

          【椎骨動脈解離:9】退院して3ヶ月後の検査&診察

          2023年の大晦日から両側椎骨動脈解離を起こしつつも、脳梗塞・くも膜下出血を起こさずどうにか乗り切り、二週間の入院生活を経て無事に退院しました。 1月末のMR &外来受診では、解離した部分の回復度合いはまずまずですねとの診断。 このまま血管がうまいこと修復されて、動脈瘤などにならなければ手術なども不要、晴れて自由の身になれるとのことでした。 その「うまいこと修復される」のを目指し、2月・3月も全力でおだやかに過ごしました。 一時的に頭痛が続いたことはあっても、ロキソニン

          【椎骨動脈解離:9】退院して3ヶ月後の検査&診察

          【百人一首】(難波江の/八八・皇嘉門院別当)

          【解釈】ワンナイトの恋が忘れられない、というちょっと刺激的な歌。 出典は「詞花集」恋上  二二九 。 「旅宿に逢ふ恋」というお題のもとで作られた歌です。 作者は皇嘉門院別当(こうかもんいんべっとう)。平安末期を生きた人です。 皇嘉門院、藤原聖子(摂政・藤原忠通の娘)に仕えた女房であったことからこのように呼ばれています。時代は少し違うけれど、紫式部や清少納言みたいなポジションですね。 さて、解釈。なかなかに技巧多めの歌です。 難波江は歌の世界によく出てくる大阪の入り江

          【百人一首】(難波江の/八八・皇嘉門院別当)

          【百人一首】(村雨の/八七・寂蓮法師)

          【解釈】 出典は新古今集 秋下 四九一。 作者は寂蓮(じゃくれん)法師。平安時代末期の人で、俗名は藤原定長。 藤原俊成の養子であり、新古今和歌集の選者の一人です。 百人一首の中でも、比較的有名な歌かな。 美しい歌です。 情景をただ描写していて余計な感傷や自分自身の心持ちは入れていないのだけど、それがかえって情感あふれる表現になっているように思います。 また、秋の歌でありながら紅葉ではなく緑の木を詠んでいるのがいい。 にわか雨に濡れた緑の木々の間から霧が立つ、そんな

          【百人一首】(村雨の/八七・寂蓮法師)