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【百人一首】(村雨の/八七・寂蓮法師)

村雨の露もまだひぬまきのはに霧たちのぼるあきのゆふぐれ
(八七・寂蓮法師)

【解釈】


ひとしきり降ったにわか雨のしずくがまだ乾いていないうちに、杉や檜の葉の間から霧が立ち、空へと上っていく。そんな秋の夕暮れだ。

出典は新古今集 秋下 四九一。
作者は寂蓮(じゃくれん)法師。平安時代末期の人で、俗名は藤原定長。
藤原俊成の養子であり、新古今和歌集の選者の一人です。

百人一首の中でも、比較的有名な歌かな。

美しい歌です。

情景をただ描写していて余計な感傷や自分自身の心持ちは入れていないのだけど、それがかえって情感あふれる表現になっているように思います。

また、秋の歌でありながら紅葉ではなく緑の木を詠んでいるのがいい。

にわか雨に濡れた緑の木々の間から霧が立つ、そんな風景に秋の夕暮れの淋しさと美しさを想起させる。なかなか高度な技です。

こういう味わいは、大人になるにつれて深く感じられるようになるのかもしれません。真っ赤な紅葉に騒いでいるうちは、まだまだ子供。

にわか雨を表す「村雨」は日常生活ではあまり使わないけれど、美しい響きです。夕立や驟雨ともまた違う、村雨という言葉でしか表せない風情があります。

「まき」は現代で言う常緑樹の総称。都の近くにあったということであれば杉やヒノキなどでしょうか。京都では今なお鞍馬の辺りまで行くと、北山杉で覆われた山をよく見かけますね。

さて、秋の歌を解釈しつつも暦は4月1日。2024年の、新年度の始まりです。

フリーランスの身の上にはあまり実感がないけれど、入学や入社、異動などで今日から新しい環境に身を置く人がたくさんいるのですね。
素敵な春になりますように。

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