羽田さえ

ライター。 日本の古典文学のゆるめな解釈、旅先で自作した短歌。そのほか街や家について。…

羽田さえ

ライター。 日本の古典文学のゆるめな解釈、旅先で自作した短歌。そのほか街や家について。 研究者ではなくただの学部卒(国文学専攻)、好き勝手に書いております。だいたい毎週金曜日に更新します。

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記事一覧

【百人一首】(来ぬ人を/九七・権中納言定家)

【解釈】出典は新勅撰集 恋三 八四九。 作者は権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)。小倉百人一首の撰者、藤原定家です。 海辺の田舎で暮らす女性の立場になって…

羽田さえ
1日前
3

【百人一首】(花さそふ/九六・入道前太政大臣)

【解釈】 出典は新勅撰集 雑一 一〇五二。 作者は入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)、藤原公経(きんつね)のこと。 藤原定家の義理弟にあたり、…

羽田さえ
2週間前
6

【百人一首】(おほけなく/九五・先大僧正慈円)

【解釈】出典は千載集 雑中  一一三四。 作者は慈円僧正。平安末期から鎌倉時代を生きた人です。 関白藤原忠通の子供でありながら11歳で出家。僧として生き、天台宗の…

羽田さえ
1か月前
4

【百人一首】(みよしのの/九四・参議雅経)

【解釈】大人になって良さが分かるようになってきた歌のひとつです。 出典は「新古今集」秋下 四八三。 作者の参議雅経は、飛鳥井雅経というのだそうです。新古今集の撰…

羽田さえ
1か月前
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【百人一首】(世の中は/九三・鎌倉右大臣)

【解釈】出典は「新勅撰集」羈旅 五二五。 作者は鎌倉右大臣、源実朝(みなもとのさねとも)です。  何を詠んだかというよりも誰が詠んだのか、それにつきる歌です。 源…

羽田さえ
1か月前
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【百人一首】(わが袖は/九二・二条院讃岐)

【解釈】出典は「千載集」恋二 七五九。 結句の「かはくまもなし」は、千載集では「かはくまぞなき」と係り結びになっています。 作者は二条院讃岐(にじょういんのさぬき…

羽田さえ
3か月前
11

【百人一首】(きりぎりす/九一・後京極摂政前太政大臣)

【解釈】出典は「新古今集」秋下 五一八 。 作者は後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)、九条良経(くじょうよしつね)です。 従一位…

羽田さえ
3か月前
13

【百人一首】(見せばやな/九〇・殷富門院大輔)

【解釈】若い時には今ひとつ良さが分からなかった歌のひとつです。 出典は「千載集」恋四 八八四 。歌合せの席で恋の歌として詠まれたものとされています。 作者は殷富門…

羽田さえ
4か月前
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【百人一首】(玉の緒よ/八九・式子内親王)

【解釈】愛子さまの卒論のテーマだったとされている、式子内親王の歌です。 出典は「新古今集」恋一 一〇三四 。「忍ぶる恋」というお題のもとで詠まれました。 作者は平…

羽田さえ
4か月前
9

【椎骨動脈解離:9】退院して3ヶ月後の検査&診察

2023年の大晦日から両側椎骨動脈解離を起こしつつも、脳梗塞・くも膜下出血を起こさずどうにか乗り切り、二週間の入院生活を経て無事に退院しました。 1月末のMR &外来受…

羽田さえ
4か月前
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【百人一首】(難波江の/八八・皇嘉門院別当)

【解釈】ワンナイトの恋が忘れられない、というちょっと刺激的な歌。 出典は「詞花集」恋上  二二九 。 「旅宿に逢ふ恋」というお題のもとで作られた歌です。 作者は皇…

羽田さえ
5か月前
6

【百人一首】(村雨の/八七・寂蓮法師)

【解釈】 出典は新古今集 秋下 四九一。 作者は寂蓮(じゃくれん)法師。平安時代末期の人で、俗名は藤原定長。 藤原俊成の養子であり、新古今和歌集の選者の一人です。…

羽田さえ
5か月前
9

【百人一首】(なげけとて/八六・西行法師)

【解釈】出典は千載集 恋五 九二六。 詞書には「月前恋といへるこころをよめる」とあり、月を前にして詠む恋の歌というところでしょうか。 作者は西行法師。平安末期か…

羽田さえ
5か月前
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【百人一首】(よもすがら/八五・俊恵法師)

【解釈】出典は千載集 恋二 七六五。 「恋の歌とてよめる」というわりとそのままな詞書がついていますが、作者の実体験ではなく、女性の立場に立って詠まれた歌のようで…

羽田さえ
6か月前
11

【街と家と人】イトーヨーカドー、北海道撤退。

2024年2月9日、北海道内のイトーヨーカドーが全店閉鎖されるというニュースが報じられた。北海道・東北・信越地方から撤退してしまうのだという。 札幌のイトーヨーカドー…

羽田さえ
7か月前
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【百人一首】(ながらへば/八四・藤原清輔朝臣)

【解釈】なんだか暗い歌です。 子供の頃は、この歌の良さがさっぱり分からなかったような気がします。 出典は新古今集 雑下 一八四三。 作者は藤原清輔朝臣。平安末期…

羽田さえ
7か月前
9
【百人一首】(来ぬ人を/九七・権中納言定家)

【百人一首】(来ぬ人を/九七・権中納言定家)

【解釈】出典は新勅撰集 恋三 八四九。
作者は権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)。小倉百人一首の撰者、藤原定家です。

海辺の田舎で暮らす女性の立場になって詠まれています。

藻塩はこの時代に作られていた塩で、詳細は分かっていないものの海藻を海水に浸して煮詰めて精製する塩だと言われています。
海藻に含まれるミネラル分も入るため、風味豊かでまろやかな塩になるのでしょう。知らんけど。

淡路島に

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【百人一首】(花さそふ/九六・入道前太政大臣)

【百人一首】(花さそふ/九六・入道前太政大臣)

【解釈】

出典は新勅撰集 雑一 一〇五二。
作者は入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)、藤原公経(きんつね)のこと。

藤原定家の義理弟にあたり、平安末期から鎌倉初期を生きた人です。
鎌倉幕府と親しく、承久の乱を阻止するなどして太政大臣になり、栄華をきわめました。

技巧の面では、「降り行く」が「古り行く」との掛詞になっています。

桜の花びらが落ちて降り積もった庭の風景から、老

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【百人一首】(おほけなく/九五・先大僧正慈円)

【百人一首】(おほけなく/九五・先大僧正慈円)

【解釈】出典は千載集 雑中  一一三四。

作者は慈円僧正。平安末期から鎌倉時代を生きた人です。

関白藤原忠通の子供でありながら11歳で出家。僧として生き、天台宗の座主にのぼりつめました。

詞書には「題知らず」とあり、題詠ではない。

かつ千載集の成立年代を考えると作者はおそらく30歳前後。若い頃、思いのままに詠んだタイプの歌だと思われます。

技巧的には特に難しいところはなく、そのまま意味が

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【百人一首】(みよしのの/九四・参議雅経)

【百人一首】(みよしのの/九四・参議雅経)

【解釈】大人になって良さが分かるようになってきた歌のひとつです。

出典は「新古今集」秋下 四八三。
作者の参議雅経は、飛鳥井雅経というのだそうです。新古今集の撰者のひとりとしても知られ、源頼朝の猶子となった公卿、歌人です。

秋の夜に砧を打つ音が聞こえるというのは李白の詩にも出てくるモチーフで「擣衣(とうい)」として歌のお題に使われていたようです。
詞書によれば、この歌もそのひとつ。擣衣というお

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【百人一首】(世の中は/九三・鎌倉右大臣)

【百人一首】(世の中は/九三・鎌倉右大臣)

【解釈】出典は「新勅撰集」羈旅 五二五。
作者は鎌倉右大臣、源実朝(みなもとのさねとも)です。 

何を詠んだかというよりも誰が詠んだのか、それにつきる歌です。
源実朝は頼朝の次男。わずか12歳で征夷大将軍になり、28歳にして甥っ子に刺殺されてしまうという悲劇の人です。2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でもなかなか魅力的な人物として描かれていました。

武家の棟梁としての資質は分かりませんが

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【百人一首】(わが袖は/九二・二条院讃岐)

【百人一首】(わが袖は/九二・二条院讃岐)

【解釈】出典は「千載集」恋二 七五九。
結句の「かはくまもなし」は、千載集では「かはくまぞなき」と係り結びになっています。

作者は二条院讃岐(にじょういんのさぬき)。平安末期から鎌倉初期を生きた人です。

歌人としても有名だった源頼政の娘で、名は伝わっていませんが本人も歌の名手として知られていました。

この歌は「寄石恋」というテーマの題詠によって作られた一首。

石に寄せる恋って何やねんという

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【百人一首】(きりぎりす/九一・後京極摂政前太政大臣)

【百人一首】(きりぎりす/九一・後京極摂政前太政大臣)

【解釈】出典は「新古今集」秋下 五一八 。

作者は後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)、九条良経(くじょうよしつね)です。
従一位・摂政、太政大臣でありながら当代きっての歌人・文化人でした。八大集の最後となった新古今集の仮名序を書いた人としても知られています。

さて、解釈。
「きりぎりす」は現在で言うコオロギのことを指しているようです。

むしろに独り寝の晩秋、

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【百人一首】(見せばやな/九〇・殷富門院大輔)

【百人一首】(見せばやな/九〇・殷富門院大輔)

【解釈】若い時には今ひとつ良さが分からなかった歌のひとつです。

出典は「千載集」恋四 八八四 。歌合せの席で恋の歌として詠まれたものとされています。

作者は殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)。
平安末期を生きた女性で、後白河院の皇女である殷富門院に仕えました。当時を代表する歌人だったと言われています。

さて、味わうためには、一定の教養が必要なタイプの歌です。

そもそも、これは平安中期の

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【百人一首】(玉の緒よ/八九・式子内親王)

【百人一首】(玉の緒よ/八九・式子内親王)

【解釈】愛子さまの卒論のテーマだったとされている、式子内親王の歌です。

出典は「新古今集」恋一 一〇三四 。「忍ぶる恋」というお題のもとで詠まれました。

作者は平安末期を生きた式子(しょくし/しきし)内親王。
後白河天皇の第三皇女で、賀茂斎院の立場にあった人です。

新古今集にたくさん歌が採用されていて、名の知れた歌人だった式子内親王。藤原俊成に歌を習い、俊成の息子である藤原定家と恋仲だったと

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【椎骨動脈解離:9】退院して3ヶ月後の検査&診察

【椎骨動脈解離:9】退院して3ヶ月後の検査&診察

2023年の大晦日から両側椎骨動脈解離を起こしつつも、脳梗塞・くも膜下出血を起こさずどうにか乗り切り、二週間の入院生活を経て無事に退院しました。

1月末のMR &外来受診では、解離した部分の回復度合いはまずまずですねとの診断。
このまま血管がうまいこと修復されて、動脈瘤などにならなければ手術なども不要、晴れて自由の身になれるとのことでした。

その「うまいこと修復される」のを目指し、2月・3月も

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【百人一首】(難波江の/八八・皇嘉門院別当)

【百人一首】(難波江の/八八・皇嘉門院別当)

【解釈】ワンナイトの恋が忘れられない、というちょっと刺激的な歌。

出典は「詞花集」恋上  二二九 。
「旅宿に逢ふ恋」というお題のもとで作られた歌です。

作者は皇嘉門院別当(こうかもんいんべっとう)。平安末期を生きた人です。

皇嘉門院、藤原聖子(摂政・藤原忠通の娘)に仕えた女房であったことからこのように呼ばれています。時代は少し違うけれど、紫式部や清少納言みたいなポジションですね。

さて、

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【百人一首】(村雨の/八七・寂蓮法師)

【百人一首】(村雨の/八七・寂蓮法師)

【解釈】

出典は新古今集 秋下 四九一。
作者は寂蓮(じゃくれん)法師。平安時代末期の人で、俗名は藤原定長。
藤原俊成の養子であり、新古今和歌集の選者の一人です。

百人一首の中でも、比較的有名な歌かな。

美しい歌です。

情景をただ描写していて余計な感傷や自分自身の心持ちは入れていないのだけど、それがかえって情感あふれる表現になっているように思います。

また、秋の歌でありながら紅葉ではなく

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【百人一首】(なげけとて/八六・西行法師)

【解釈】出典は千載集 恋五 九二六。
詞書には「月前恋といへるこころをよめる」とあり、月を前にして詠む恋の歌というところでしょうか。

作者は西行法師。平安末期から鎌倉初期を生き、もとは武士でした。ついさっき調べていて知った俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)というのだそうです。なんかイメージちがう気がする。

21世紀の今なお、歌人としてとても人気のある人ですね。
「願はくは花の下にて春死なむその如

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【百人一首】(よもすがら/八五・俊恵法師)

【百人一首】(よもすがら/八五・俊恵法師)

【解釈】出典は千載集 恋二 七六五。
「恋の歌とてよめる」というわりとそのままな詞書がついていますが、作者の実体験ではなく、女性の立場に立って詠まれた歌のようです。

作者は俊恵(しゅんえ)法師。「しゅんけい」でも「としえ」でもなく、重箱読みで「しゅんえ」です。不思議な語感が美しいですね。

生きた時代は平安末期、方丈記の作者として知られる鴨長明の師匠に当たる人です。歌の才にたけていて、歌詠みが集

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【街と家と人】イトーヨーカドー、北海道撤退。

【街と家と人】イトーヨーカドー、北海道撤退。

2024年2月9日、北海道内のイトーヨーカドーが全店閉鎖されるというニュースが報じられた。北海道・東北・信越地方から撤退してしまうのだという。

札幌のイトーヨーカドーがなくなるという話は噂レベルで何度も耳にしていてそれなりに覚悟していたつもりだったけれど、やっぱりショックだった。

札幌に引っ越した時から通い詰めているヨーカドーがなくなるのだ。大変だ。

基本的には、イトーヨーカドーは関東地方の

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【百人一首】(ながらへば/八四・藤原清輔朝臣)

【百人一首】(ながらへば/八四・藤原清輔朝臣)

【解釈】なんだか暗い歌です。
子供の頃は、この歌の良さがさっぱり分からなかったような気がします。

出典は新古今集 雑下 一八四三。

作者は藤原清輔朝臣。平安末期の十二世紀を生きた人です。
六条藤家3代にあたり「奥義抄」「袋草紙」の作者。平安時代の歌学を大成した人物とも言われています。

とはいえそれほど華々しい人生という訳ではなさそう。
父との折り合いが悪く、40代くらいまで位階は従五位下と、

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