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百人一首

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記事一覧

【百人一首】(難波江の/八八・皇嘉門院別当)

【解釈】ワンナイトの恋が忘れられない、というちょっと刺激的な歌。 出典は「詞花集」恋上 …

羽田さえ
3週間前
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【百人一首】(村雨の/八七・寂蓮法師)

【解釈】 出典は新古今集 秋下 四九一。 作者は寂蓮(じゃくれん)法師。平安時代末期の人…

羽田さえ
1か月前
9

【百人一首】(なげけとて/八六・西行法師)

【解釈】出典は千載集 恋五 九二六。 詞書には「月前恋といへるこころをよめる」とあり、月…

羽田さえ
1か月前
12

【百人一首】(よもすがら/八五・俊恵法師)

【解釈】出典は千載集 恋二 七六五。 「恋の歌とてよめる」というわりとそのままな詞書がつ…

羽田さえ
1か月前
11

【百人一首】(ながらへば/八四・藤原清輔朝臣)

【解釈】なんだか暗い歌です。 子供の頃は、この歌の良さがさっぱり分からなかったような気が…

羽田さえ
3か月前
9

【百人一首】(世の中よ/八三・皇太后宮大夫俊成)

【解釈】出典は千載集 雑中 一一四八。 作者の皇太后宮大夫俊成とは、平安末期から鎌倉初期…

羽田さえ
3か月前
7

【百人一首】(思ひわび/八二・道因法師)

【解釈】出典は「千載集」恋三 八一七。 作者の道因法師とは、藤原敦頼(ふじわらのあつより)のこと。十一世紀終わりから十二世紀にかけての人です。 当代きっての歌人で、千載集にはこの歌だけでなく全部で20首もおさめられています。 また平安朝の人としては相当な長生きで、90歳頃まで歌合せに出向いていたとされています。出家も80歳を過ぎてからなので、貴族として過ごした時間が長かったようです。 長く叶わぬ恋を詠んだ歌。若い頃からずっと思い続けた相手がいたのでしょうか。 制御できな

【百人一首】(ほととぎす/八一・後徳大寺左大臣)

【解釈】 雅な歌ですね。この雰囲気、何だかとても好きです。 出典は「千載集」夏 一六一。 …

羽田さえ
6か月前
8

【百人一首】(長からむ/八〇・待賢門院堀河)

【解釈】大人の恋の歌やなあ、とローティーンの頃から心惹かれる歌でした。 お泊まりして別れ…

羽田さえ
8か月前
13

【百人一首】(秋風に/七九・左京大夫顕輔)

【解釈】 月のチラリズムを詠んだ歌です。難解な表現はないので、わりとそのまま理解できます…

羽田さえ
8か月前
8

【百人一首】(淡路島/七八・源兼昌)

【解釈】 出典は「金葉集」冬・二八八。 詞書には「関路千鳥(せきじのちどり)といへること…

羽田さえ
9か月前
10

【百人一首】(瀬をはやみ/七七・崇徳院)

【解釈】出典は「詞花集」恋上・二二九 。 作者は崇徳院(すとくいん)。12世紀半ばを生き、45…

羽田さえ
9か月前
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【百人一首】(わたの原/七六 ・法性寺入道前関白太政大臣)

【解釈】 青い海の美しさが三十一文字いっぱいにあふれた、陽キャな歌です。 「太陽の季節」…

羽田さえ
10か月前
7

【百人一首】(ちぎりおきし/七五 ・藤原基俊)

【解釈】大切な約束をあっさりスルーされて恨みごとが止まらない。そんな歌です。 出典は「千載集」雑上 一〇二三。 作者は藤原基俊(ふじわらの・もととし)。11世紀後半ごろの人で、七四の歌を詠んだ源俊頼と並ぶ歌の名手でした。 何となくはかない恋の歌かと思っていたのですが、違うようです。 一定の知識がないとさっぱり分からないタイプの作品ですね。 藤原基俊の息子は、奈良の興福寺の僧侶でした。 興福寺で毎年10月に行われる維摩(ゆいま)講に、講師として息子を取り立ててもらおうと思