見出し画像

【百人一首】(きりぎりす/九一・後京極摂政前太政大臣)

きりぎりすなくや霜夜のさ筵(むしろ)に衣かたしきひとりかもねん
(九一 ・後京極摂政前太政大臣)

【解釈】

コオロギが鳴き霜が降る秋の夜。むしろに自分の衣を敷いて、私はひとり淋しく眠るのだろうか。

出典は「新古今集」秋下 五一八 。

作者は後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)、九条良経(くじょうよしつね)です。
従一位・摂政、太政大臣でありながら当代きっての歌人・文化人でした。八大集の最後となった新古今集の仮名序を書いた人としても知られています。

さて、解釈。
「きりぎりす」は現在で言うコオロギのことを指しているようです。

むしろに独り寝の晩秋、というだけでも充分にもの淋しい描写ですが、効いているのは「衣かたしき」かもしれません。

当時の習慣として、男女が一緒に夜を過ごす時にはお互いの衣の袖を敷いて寝ていたのだといいます(ロマンティック!)。

ひとりだから自分の袖を敷く。わびしさが際立つ表現です。

さまざまな歌からの本歌取りも見られます。

まず「ひとりかも寝む」と言えば、思い出されるのは柿本人麻呂の歌。独り寝のパイオニアみたいな歌ですね。

そのほかに
古今集・恋四
「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」

万葉集・巻九・一六九六
「我が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣片敷きひとりかも寝む」

などの歌もベースにあると言われています。

それにしても深まる秋、むしろを敷くような旅先あるいは仮住まいで淋しく独り寝。寂寥感たっぷりですね。

恋しい人と一緒に夜を過ごしたい。

シンプルだけど、いつの時代も変わらない普遍的な思いだからこそ、今なお人の心をとらえる魅力のある歌だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?