【百人一首】(なげけとて/八六・西行法師)

歎(なげ)けとて月やは物をおもはするかこちがほなるわがなみだかな
(八六・西行法師)

【解釈】

月が私に嘆くようにとさしむけて、物思いをさせるのだろうか。
いや、そうではないのだ。さも月のせいだとばかりにかこつけて、恋しい人を思うと溢れてくる涙なのだ。

出典は千載集 恋五 九二六。
詞書には「月前恋といへるこころをよめる」とあり、月を前にして詠む恋の歌というところでしょうか。

作者は西行法師。平安末期から鎌倉初期を生き、もとは武士でした。ついさっき調べていて知った俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)というのだそうです。なんかイメージちがう気がする。

21世紀の今なお、歌人としてとても人気のある人ですね。
「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」などが有名でしょうか。

そんな西行法師、23歳で出家したというのに、なかなかに恋の歌が多い。
モテる男だったようです。

百人一首に採られたこの歌に関しては、個人的にはあまり響かないというか西行ならもっと他にもいい歌があったのではと思うのだけれど、藤原定家的にはこういうのが好みだったのかな。

叶わぬ恋、待賢門院(鳥羽院の中宮・藤原璋子)への恋心を詠んだものとも言われています。

出家前の西行は鳥羽院の身辺警護をする武士だったようですから、二十歳そこそこで雇い主の奥さんを好きになっちゃったみたいな話です。それはまあ確かに叶わぬ恋というかバレたら大変というか、とにかく忍ぶ恋だったことでしょう。

出家して何年も経った後にこの歌を詠んだのだとすれば、すでに美しい思い出のひとつとしてさらりと語れるレベルになっていたということなのかな。

忘れられない恋というのは、誰にもひとつくらいはあるのかもしれません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?