どこに漏れがあったかを発見する【真の創造のスタートラインに立てた気持ち】

実験室で、何度も何度も実験を繰り返す。公式通りにいけば得られるはずの結果が得られない。どこに見落としがあるのか。
材料を変えたり量を変えたり手順を変えたり……何をしても、実験結果には首をかしげるばかり。

――そんなフィーリングを持ち続けていた私は、この「ちょっとおかしい」感じを、ただ単に人生の中で見逃してみることもあった。自分では首をかしげるけど、これでいいのかも。こんなものなのかもしれない。「信頼していれば」それが変化して、やがて私のはかりしれない結果に繋がるのかもしれない……。

それでもやっぱりなんか違う。何かが自分に告げている。まだ見るところがある、と。私が「これだ」と確信できる実験結果が見えるまで――。

明らかな「穴」に気づいたのは、ここ最近のことだった。
え、あ、ここまではっきりしたものがあったのに、私はこれを見落とすことができたのか……? 
というより、それがあることが日常になりすぎて注目しないほど、なじんできてしまっていたのか!

当然のように日常にまぎれこんでいるフィーリングは自己主張しない。ただのルーティーンのように、それがあって当然というように居座るから、その存在に気づけない。

けれども、見ようと思えばこんなにはっきりあったのに。
私はとうとう発見した。「ここに穴があるから、漏れてたんだ!」という箇所を。つまり、完璧なはずの法則を用いても「なんか違う」と気づいていたことの根本を。

最近の記事で恐れについて取り上げたが(「恐れを、恐れの局面からは乗り越えられないという気づき」)、恐れを端的に言えば、

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