幻影から出るとき・分離の幻影の中で探さないこと

自分自身がまだパワーを与えている恐れ、それは特定の「形」を指定せずともすべてを指すが、あなたが何か恐れの威力を感じるとき、その恐れの源であるエゴ……「分離の観念と、それに基づく思考や自己像」が作る幻影は、驚くほどに複雑さを演出している。

その複雑さは「幻影の中にいれば、実際にとても複雑な体験」であり、むしろ果てしなく複雑といっていいくらいの膨大な様子なのだが、実は、これが幻影であるという点ではとてもシンプルだ。

だからこそ、その解決策も「幻影の中に入って分析すること」ではなく、「幻影から出ること」一択なのだが、幻影の中に入っているときにはその中でのものの見え方、自分の体験しているリアリティーが「本当にあるように見え、感覚や感情も伴う」ため、本来シンプルであるはずの「ただ出る」という決断を難しく感じさせている。

実際、叩けばいくらでも出てくるような悲しみであるとか、苦しみ、絶望といった感情がどばどば出てきているときには、幻影から「出る」選択など、とても無いかのように感じられるものだ。感じている本人にとっては、茫然自失の状態と言っていいくらいなのだから。

自失とはよく言ったもので、確かにこのとき私たちは「自分とは何か」を見失っている。あるはずのない(幻影内の)違う自分を見ているので、そこには何ひとつ解決に繋がるものがない。出てくるのは疑問ばかりだ。

「どうして自分はここにいるのか?」
「自分は何をしているのか?」
……表現を変えた、たくさんの「どうして」が登場しても、その答えを幻影の中で探し続けることは、どうしても答えの見つからない世界でさまよい続けることだ。


幻影から出るために必要な理解と、少しの余地

幻影から出るために、第一に必要な理解は、

「幻影の中に答えはないということを、いかに幻影がリアルに見えても思い出すこと」
「幻影の中のあれもこれも、たとえば原因や解決に見えそうなものもすべてが『まったく同じく幻影』であることを思い出すこと」

これらを満たすとき、あなたの内には「幻影の外がある」という認識の一条の光が差し込み、ほんのわずかでもその光を受け入れることで、あなたにはもう準備が整っている。

「幻影から出ること」についての具体的な、こうでなければならないという「形」はない。
それはあなたの内的な動きであり、幻影の中にいる状態にあっても、あなたの小さな決意と「何かほかの見方がある」ということを受け入れる少しの余地をあけることで十分で、それが具体的にどのような形、行為、行動を伴うかは、自然とその後の導きが「ひとりでにこうしたくなる」「おのずとこうなる」という表現で示してくれるからだ。

そして、第二の必要な理解は、


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