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まいにち易経_0531【混沌】

混沌とは、区別がはっきりしないことであるが、『荘子』では、人間の分別する知恵の働きをこえた、万物が一体となった絶対無差別の真の実在の世界 (道) をあらわす。

[出典:倫理用語集:山川出版社]

人間というのは、どうしても物事を分けて考えるクセがある。それが良いとか悪いとか、有用とか無用とか、そういうレッテルを貼って安心したがる生き物だ。でも『荘子』が語る「混沌」の世界では、そういった分別の知恵を超越した、万物が一体となった絶対無差別の真の実在が存在するというのだ。この考え方は、まるで宇宙全体が一つの巨大なジャムセッションをしているような感じで、個々の音が混ざり合い、全体として完璧な調和を生み出しているかのようだ。

考えてみれば、日常生活の中でも「混沌」は意外と身近な存在だ。たとえば、都会の雑踏の中で、人々が行き交う様子は一見すると混沌としている。しかし、その中には一種の秩序やリズムが存在し、全体として見るとそれは一つの生き物のように見えることがある。あたしたちは、ついついこの「混沌」から逃れようとするが、実はその中にこそ真の実在があるのかもしれない。

さらに言えば、この「混沌」から学べることは多い。物事を分けて考えることが悪いわけではないが、その分別の枠を超えて、全体を一つとして見る視点も持つことが大切だ。そうすることで、日常の些細な出来事や人間関係の中にも、深い意味や新しい気づきが生まれることだろう。

ある企業の新人研修に招かれた老易学者が、
未来のリーダーを担うポストZ世代の若者たちに向かって語る

太極と混沌:リーダーシップの根源

まず、「太極」についてお話ししましょう。太極とは、まだ陰にも陽にも分かれていない、この世界の根源であり、混沌としたエネルギーのことを指します。易経は、この太極の世界を陰と陽に分けるところから発展してきました。この話を聞いて、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか?

例えば、創造力やアイディアの源泉とも言える「混沌」という状態。アイディアがまだ形を持たない状態をイメージしてみてください。皆さんが新しいプロジェクトに取り組むとき、最初は何もかもが混沌としていて、どこから手をつければ良いのか分からないことがあるでしょう。しかし、その混沌の中には無限の可能性が秘められているのです。

荘子の寓話:無理に道理を通すな

荘子の『応帝王篇(おうていおうへん)』に出てくる寓話を紹介しましょう。南海の帝「儵(しゅく)」と北海の帝「忽(こつ)」が、中央の帝「揮沌」の地で出会い、揮沌をもてなすために目や鼻、口をつけようとした話です。揮沌には目も鼻も口もなく、そのままでも十分に存在していたのですが、儵と忽は揮沌を「より良く」しようと考えました。結果として、揮沌は七日目に死んでしまったのです。

この話は、無理に道理を通そうとすると、かえって本来の良さを失ってしまうことを教えています。リーダーシップにおいても同様です。チームメンバーやプロジェクトの特性を無視して、自分の考えを押し通そうとすると、逆効果になることが多いのです。

陰陽のバランス:調和と統合

次に、「陰」と「陽」の概念に触れたいと思います。陰と陽は対立するものではなく、お互いを補完し合う関係にあります。リーダーシップにおいても、バランスが重要です。強いリーダーシップ(陽)のみを発揮しても、柔軟性(陰)がなければ、組織はうまく機能しません。

ここで少し豆知識を。陰陽のシンボルである「太極図」をご存じでしょうか?黒と白の渦巻きが互いに絡み合い、それぞれの中に小さな白と黒の点がある図です。この図は、陰の中に陽があり、陽の中に陰があることを示しています。つまり、すべての中に相反する要素が含まれているということです。

リーダーとしての皆さんには、陰陽のバランスを取る力が求められます。例えば、厳しい決断を下す場面(陽)では、同時に部下への配慮(陰)も忘れないことが重要です。また、新しいアイディアを推進する(陽)と同時に、現状を冷静に分析する(陰)ことも必要です。

私は経営者として、多くの困難を経験してきました。その中で学んだのは、強さだけではなく、柔軟性と調和が成功への鍵であるということです。皆さんも、これから多くの挑戦に直面するでしょう。しかし、その中で陰陽のバランスを意識し、混沌を恐れずに進んでください。

リーダーシップとは常に学び続けることです。易経の教えは、古代の知恵ですが、現代のリーダーシップにも通じる普遍的な真理が含まれています。皆さんが未来のリーダーとして、この知恵を活かし、成功を掴むことを心から願っています。


参考出典

この世界の大本を易経では「太極(たいきょく)」と定義する。太極とは、まだ陰にも陽にも分かれていない、この世界の根源であり混沌としたエネルギーである。
この太極の渾然一体とした世界を便宜的に陰と陽とに分けるところから、易経は発達してきた。
混沌である太極は何かと論ずることはできないが、荘子(そうじ)は混沌について、応帝王篇(おうていおうへん)にユニークな表現で記している。
南海の帝を儵(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を揮沌といった。儵と忽はあるとき揮沌の地で出会い、揮沌は手厚く彼らをもてなした。
揮沌には目も鼻も口もなかった。儵と忽はもてなしのお礼にと、揮沌に目鼻口耳の七つの穴を日に一つずつあけたが、七日目に揮沌は死んでしまった。
ここから物事に無理に道理を通すことを「揮沌に目口(目鼻)を空ける」というようになった。つまり、揮沌とは、まだ道理が通らない世界、状態をいうのである。

易経一日一言/竹村亞希子

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