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大竹まこと「老人ホームは自分にとってつらい」老後を諦めない生き方とは?

タレントの大竹まことさんは、1949年生まれの74歳です。一般的には、まだまだ体が動く年齢でしょう。しかしこの先が不安になり始める年齢でもあるようです。

もし俺が老人ホームに入るなら、そこは恋愛も自由だし、何を食ってもいいし、何時までに帰ってこなくてもいいし、好きなAVがあったら見てもいいしっていう、そういう自由な老人ホームがいいかな。それだと責任が負えないって言われても、それで構わない。

さすがです!

この考え方でしたら、わざわざ老人ホームに入る必要がないってことになるんですよね。元気な人は、一人暮らしでもいいわけです。

もしもを考えて老人ホームへ入所する人がいる


元気なうちに老人ホームへ入る人がいます。それは日本という保険が利いた国で育ったからかもしれません。「もしもの時に」という考えが、昔からずっとあります。だから年取ったら、もしものことを考えて老人ホームへ入ろうとする人がとても多いです。大竹さんは、続けてこうおっしゃってられます。

栄養が整った食べ物が出てきて、誰かが手伝ってくれて、安定している生活って、ちょっと諦めに近いと俺は思うんだよね。管理される中に入るっていうことは、そういった権利を奪われるっていうことだと思うから。前を向いて生きる狂気みたいなものをしまわないといけない。老人ホームに入る方を否定するつもりはないけど、きっと自分にとってはつらいだろうなと思うよね。

大竹さんは「諦め」と表現されています。また「前を向いて生きる狂気をしまわなければならない」とも言われます。言い換えれば、「生きる気力を無くさなければならない」ということです。

入所することによって、気力がなくなっていくというより、自ら気力を無くさなければそこでは生きていけない、という意味です。

ところが元気なのに老人ホームへ入ろうとする人は、「諦め」ではなく「保険」だと考えてるからこそのことでしょう。

年取って、「もしものことが起こったらどうしよう」と考えるその「もしも」とは何を指すのでしょうか?

大竹さんは、私と同じ考えのことをそのあとで喋ってられます。

俺みたいな年齢の芸人になると、野垂れ死にする方が“諦めていない”感じがするんだよね。

いずれは外国かどこかで優雅に過ごそうとか、そんなことはこれっぽっちも考えてないよね。終活なんてのも考えてないし、老人ホームに入るなんてことも、小指の先ほども考えていない。

大竹さんの言葉から感じ取れるのは「今を生きている人」ということです。人生の後半になって「覚悟」ができていると解釈できます。

「将来を考えるから老人ホームへの入所を考えるのだ」と言う人もあるでしょう。それも一理あります。一方、「将来を考えるからこそ、老人ホームへは行かない」という考え方もあります。正解はありません。

「どう生きるか?」という考え方の違いです。それを「どう終えるか?」という問題にすり替えてはいけないと私は思います。

生きている間は、まだ死んでいません。


大竹さんは、老人ホームに入ろうとか、終活なんてことも考えないわけです。私もまったく同じ考えです。どこかで力尽きて、パタンと逝ければそれで良いと考えています。

高齢者に尋ねると「長生きしたいわけではない」と全員が言います。その言葉の裏側には「死にたくない」という意味が隠されていると思います。それよりもっと大事な言葉を忘れていませんか?

「今を楽しく生きたい!」ということを。


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