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東京から嬉野へ移住。築70年の古民家をリノベしてカフェ開業に挑戦する夫婦

嬉野温泉 旅館大村屋がお届けする「嬉野温泉 暮らし観光案内所」にようこそ。連載のために月に1度は必ず嬉野温泉に泊まっている、ライターの大塚たくま(@ZuleTakuma)です。

今回の取材でやってきたのはこちら。

和多屋別荘です。

まさか、旅館大村屋のnote執筆のために、嬉野温泉の他の旅館へ行くとは……。

和多屋別荘の中にある、11月3日にオープンした「BOOKS&TEA 三服」。

嬉野で四代続く茶農家「副島園本店」の茶寮カウンターでお茶を注いでいるのが、今回お話をうかがう長田宜郎さんです。

長田宜郎さん

長田さんは1か月前に東京から嬉野へ移住してきたばかりとのこと。慣れた手つきでお茶を入れる様子からは想像できません。

長田さんが嬉野へ移住した背景や、嬉野での暮らしぶりについて詳しくうかがってみます。


移住のきっかけは「嬉野に住んでいる夢」

長田宜郎さん(右)と長田みゆきさん(左)

──長田さんご夫婦は嬉野に住み始めて、まだ1か月なんですよね。

そうですね、1か月くらいになります。

馴染みすぎじゃないですか。それまではどこで何をされていたんですか。

東京で建築の設計をしていました。妻はヨガのインストラクターをしていましたね。出身は2人とも長崎です。

──……ということは、お二人の出会いは長崎だったんですか。

そうです。前職は二人ともハウステンボスだったんですよ。妻はパレードでダンスを踊っていました。ぼくがパレードの運転手で。

なんかいい出会いですね……。

妻と籍を入れてから、建築の専門学校へ行くために東京に引っ越したんです。専門学校を卒業後、東京の設計事務所に就職しました。

──設計事務所では、どんなお仕事をされていたんですか。

オフィスビルとかかなり大きな設計が多くて。自宅のコンピュータで3Dのモデルを使って設計していました。

リモートワークでよかったんですね。

ちょうどコロナ禍が始まった時だったんですよ。けっこう家賃が高い、会社の近くに住んだのに、出勤することがなくて。で、9か月で仕事を辞めて、嬉野に来ました。

──9か月って、結構早いですよね。それは、やっぱり「設計じゃないな」と思ったんですか。

いえ、設計は生業とするつもりです。

それこそ、リモートでもできますしね。

妻もヨガをリモートでやってて。逆にリモートで働けたことで「どこででもできるな」と思いまして。だから「なんかいいところに行きたいね」という話を妻としていたんです。

──なるほど。嬉野を選択した決め手はなんだったのでしょうか。

妻がお昼寝をしていたんです。そしたら夢を見たみたいで。「なんか嬉野に住んでたよ」って。

──はい?夢……ですか?

みゆきさん、それはどんな夢だったんですか?

みゆきさんは今回、顔は避けるそうです


なんか本当にふんわりしていて……。なんか見覚えあるけど、地元じゃないなぁってところに住んでいて。私しか出てこなくて。

あ、そうなんだ。ぼく、いなかったんだ……。

で、嬉野だとわかって、すぐに起きました。嬉野の夢を見たことを夫に伝えたら「嬉野、いいね」ってなって。元から、東京に住むのが嫌になってきているところはあったので。

──夢がきっかけってすごいな……。

タイミングとしてもちょうどよかったわけですね。

大きい建物ばかりを設計していましたが、ぼくはもっと身の回りのデザインが好きで。やりたいこととの乖離は感じていたんですよね。

嬉野市のホームページを見ていたら「空き家バンク」を見つけて。それで「空き家いいね」という話になって。

昨年の年末に一度、嬉野に来たんですよ。立岩展望台に登って「この街がいいな」と思いました。

嬉野幼稚園から聞こえてくるアナウンスがかわいかったのが印象深いです。「かえりのじかんです」みたいな放送を子どもがやってて。いいなぁって、思いました。

そういう、自分たちの感覚に合うものが嬉野にたくさんあったんですね。

町の雰囲気も好きだし、土日なのにゆったりしているのが良いなぁって。いろいろ含めて、いい土地だなと思いました。


妻の「夢」から1か月で東京から嬉野へ

──嬉野という土地を選んだ理由はわかりました。今、副島園で働くようになったきっかけは何だったんですか。

私が茶屋二郎と友達で。ハウステンボス内にバーがあるんですけど、ぼくはそこにDJを教えてもらいに行ってたんですよ。二郎もDJするんで、そこでイベントするんで知り合って。

茶屋二郎
2016年9月より嬉野茶生産農家・副島園に師事し、2020年に独立して、新規就農した茶農家。1993年生まれ、長崎県佐世保市出身。

──すごい、そういう繋がりだったんですね。

二郎が「俺は嬉野でハッパを育てているんだ」と言ってたから、ヤバいヤツかと思ったら、茶葉でした。

──そりゃそうでしょ。

まあ、そんなこともあったんで「嬉野といえば二郎だ」と思って。「嬉野を案内してほしい」と連絡したんです。

──二郎さんに連絡して、どうなったんですか。

二郎が「イベントがあるから来てよ」と誘ってくれました。ちょうどその時、おひるね諸島さんで、ワークショップを絡めたイベントをやってたんです。

おひるね諸島
嬉野温泉の「RIVER SIDE HOUSE by Ryokan Oomuraya」の玄関にあるコーヒースタンド&本&ギャラリー。

それで、お茶のことが好きになって。嬉野ももっと好きになって。

──どんどん気持ちが盛り上がったわけですね。

そんな時に茶工場のバイトの話があって。そこで、副島園の副島仁さんにもお会いしたんです。「今度田植えするから来て」と言われたので、暇だから行って。そこから、仁さんと何回か会うようになって。

──すごい。どんどん人間関係をつくっていく。

そしたら「11月に三服がオープンするんだけど、オープニングスタッフにどうですか」と言ってもらえて。嬉野のことも知りたいし、お茶のことも知りたいなと思って、夫婦で働くようになりました。

──もうつながった。

すごいトントン拍子ですね。

夢を見て、嬉野へ行くまで1か月くらいだったんですよ。

──えっ!?

本当ですか!

ぼくもまだ設計事務所に入って9か月だったんで……。ここから面白くなるかもと思っていたんですが、ある日妻が「仕事辞めてきた〜♪」みたいな感じで帰ってきて、びっくりして。そのまま「じゃあ、嬉野行こう」と。

──すごい決断力……。直感的だ。

じゃあ、どちらかと言うと、みゆきさん主導だったんですね。

建築士なら誰もが「勤めたい」と思うような会社に入れていたことはわかっていました。でも、本人が東京でキツそうだし、このままズルズルいくと辞めにくくなるだけかなとも思ったんです。

なるほど。リモートでお互い家でやっているからこそ、わかったわけですね。リモート勤務だったからこそ、夫婦の時間が増え、会話が増えますしね。

コロナ禍によって「九州に帰りたい欲」が強く刺激されました。「東京はちょっときついね」って、思って。

──なぜ「東京はちょっときつい」と思うようになったんでしょうか。

慌ただしくて。空が狭くて。日が暮れるのが早くて……。

ぼくも4年間、世田谷区に住んでいたんです。人が本当に多くて……。移動だけで疲れるじゃないですか。

刺激、情報、人との出会いなどを求めて、東京に憧れて行ったんですけど、実際はそんなに友達すらそんなにできなくて。これはぼくの性格の問題でしょうけど……。

──ぼくも東京で働いていた時期があります。東京はたしかに人や情報は多いけど、自分は一人。そう簡単に世界は広がらないんですよね。

人と情報が多すぎて、ぼくはむしろ「埋もれてしまう」と感じていました。どっちが良い悪いということはなく、ぼくは東京で生きるのが合っていなかったんです。

──東京の世界を知った上で、田舎の良さを再確認して、嬉野に来る。それもまた、いいですね。


嬉野の子どもたちの「あいさつ」に感動

──嬉野に住んで1か月ということですが、嬉野に住んでみて気になったことはありますか。

街の子どもたちが最高ですね。すごく素直で、道で「こんにちは!」と元気よく挨拶してくれます。

──たしかに。ぼくも嬉野で歩いていると、挨拶されて驚いたことがありました。

嬉野では、街の人に挨拶をするように教わるんですよ。子どものころから「あいさつ運動」っていうのがあって。

おじいさんにも「こんちはっ!」と挨拶してもらうことがありますね。

──挨拶が街の文化なんですね。ぼくは子供のころ「知らない人に気をつけろ」としか、教わっていなかったな……。

ぼくが東京に住んでいた頃、引越しが終わって近くのコンビニに初めて行ったんですよ。自宅からかなり近くのお店だから「ここで挨拶しなきゃ」と思って。

──えっ、でも、コンビニですよね……。

大きな声で「佐賀から来ましたっ」て。

そしたら「は?」って感じで……。でも、近くに住んでいるから「住んでいるよ」って教えないとなって、思ったんです。

──たしかに実際に遭遇すると、びっくりしちゃうかも。絶対いい人なんだけど。

あとはみんな自転車の乗り方のマナーがいいですよね。横断歩道でこなれた様子で必ず降りて歩く。みんなしっかり守りますよね。

小学校で「自転車講習会」っていうのがあって。運動場に白線を引いて、自動車教習所のようにして、自転車の乗り方を教えるんです。講習会で合格して免許をもらないと、子どもたちは公道で自転車に乗っちゃダメなんですよ。

──な、なんだそれは。子どもの頃、そんなのなかったですよ。

無免許運転だ!

地元の長崎は坂が多いし、「自転車講習会」もなかったので、自転車に乗れない人が多いですもんね。

──嬉野、ほんとに面白い街だなあ……。


嬉野の手厚い移住支援も決め手のひとつ

──ヌルッと嬉野にきて、なんとかなるもんですね。

嬉野移住を決断した時は、仕事も決めてないわけですから、すごいですよね。その空き家バンクで見つけた古民家は買ったんですか?

買いました。割ときれいだったんですけど、一部ちょっと壁がないくらいで。築70年で240万円でした。

車より安いですね。

東京の家賃が月12万だったので「東京に2年住んだら古民家買えるぞ」と思いまして。

──東京の家賃と比較すると、インパクトが凄いな。

土地付きですもんね。庭もあるし。それで240万円は凄い。物件を見た時も、夢を見た時みたいに直感ですか。

また私の直感で……。「絶対ここだ」と思いました。あとは移住支援が手厚かったことも、移住先に嬉野を選んだ決め手のひとつですね。

──なるほど、移住支援!

嬉野市の補助金にもとてもお世話になりました。移住するだけでもらえたり、空き家バンクで買うとまたもらえたりして、手厚いんです。国の支援もありますし。

そうなんですね! そんなに手厚かったとは!

ほとんど他人の力で生活しています。


お茶とコーヒーを出すカフェをつくりたい

ご夫婦でされている、副島園でのお仕事はどうです?お茶にけっこう触れているじゃないですか。面白いですか?

お茶は面白いです。もともとカフェをやりたいねって話していて。「古民家の自宅についている倉庫を改装してやりたい」と話していたんですけど、お茶も取り入れたいです。コーヒーとはまた違う面白さがあります。

──なんだかんだ、みんなコーヒー好きですよね。ぼくも大好き。

副島園の仁さんもコーヒーが好きって言ってて。ぜひお店を出したら淹れて〜。お茶も出して〜。とか言ってくださるので、嬉しいです。もっとお茶を勉強しようと思います。

「嬉野だからお茶」という発想はしなくていいと思います。コーヒースタンドを出している「おひるね諸島」も「お茶」という構想もあったんですが、大門さんが純喫茶マニアだったので「絶対コーヒーがいいよね」と。

▲おひるね諸島についてはこちら

──自分の好きなものがいいですよね。

嬉野にいろんなものがあった方がいい。お茶ばかりじゃなくていいですからね。今、お店の改装はどれぐらい進んでいるんですか?

お店の改装はまだできてなくて。まずは家からですね。家の改装もまだ4割くらいでしょうか……。

なるほど。お店の名前は決まっていますか?

「ピマピマコーヒー」です。

ピマピマコーヒー?

店名の由来を教えていただけますか?

妻の別名が「ピロシキピマアイピマジロウ」というんですね。

ピロシキピマアイピマジロウさん

──……はい?

そこの「ピマ」をとって、「ピマピマコーヒー」です。

……なるほど。 「ピマ」をとってね!

──急に宇宙人みたいな発想で、ぜんぜん追いつかないんですけど……。

えっと、ハウステンボスでダンサーをやっていたときに「キャッチフレーズをつけてほしい」と言われたことがあって。それで「ひまわりの瞳 みゆき」みたいなキャッチフレーズをつけたんです。

──あー、たしかに。瞳の色素が薄くて、ひまわりが入っているように見える方いますね。

それで「ヒマちゃん」と呼ばれるようになりました。

で、それが「ピマちゃん」に。

なるほど。「ヒマちゃん」から「ピマちゃん」になったわけですね。それで「ピマピマコーヒー」と。

別名が「ピロシキピマアイピマジロウ」となった経緯も説明できますが。

──あ、それはまたの機会で大丈夫です。

みゆきさんのニックネームからとった店名、ということはカフェの主体はみゆきさんなんですね。どんな感じのお店にしたいと思っていますか。

周囲がとてもいい景色なんです。川が流れていて、田んぼがあって。山がすごくきれいに見えて。開放的なところです。10人ぐらいの規模で、半分は外の席という感じにしたいなぁ、と。


楽しいけど大変な古民家生活

──古民家の生活にはいろいろ不便なところもあるんじゃないですか。

ありますよ。たとえば、今は室内で水が出ません。外の水道しか出ない状態になっちゃっています。室内のトイレもお風呂も使えません。

めちゃくちゃ不便じゃないですか。奥さんはどうしているんですか。

山の上にダムがあるんですけど、ダムのトイレまで行っていました。

──ええっ……!!

けっこうな生活をされていますね……。

ぼくはもう寝泊まりしていますが、妻はやっぱり水回りができるまでは厳しいということで。両方の実家に帰ったり、仲間の家に行くこともあります。ぼくもあまりに寒いときは、実家に帰ってます。

──ちょっとそのお宅、ぜひ見せてほしいんですけど。

いいですよ。ぜひ来てください!


築70年、240万円の衝撃の古民家

こちらですね。

おお、いいですね。ここをカフェにするんですね。

いえ、カフェにするのはここです。

廃墟……?

──え……。 ここ……??

骨組みしかない

これ、倉庫……ですか?

もともと牛小屋だったみたいです。

ここを「自分でカフェにしよう」と考えるのは、元設計士ならではですね。すごい。もう見えているんですか?

はい、ここに席があって、ここをテラス席にして、ここが厨房になって……。

──この光景でその話をされると、どちらかというと「カフェを失った人」に見えてきますね……。

ここがカフェになる様子は、追って見ていきたいですね。わくわくします。


「難儀」を楽しみ、チャレンジする姿はかっこいい

その後は、改装中の自宅を見せてもらいました。

自力でモルタルを塗って仕上げたキッチン。

模型を作って、大工さんとやり取りをしながら、リノベーションを進めていく点も設計士ならではです。

難儀なことを「楽しみ」ととらえ、乗り越えていこうとする姿はかっこいいと思います。今後のリノベーションの状況や、カフェ開業も楽しみです。

そんな古民家の今後が気になりすぎたぼくは、長田さんといっしょにYouTubeを始めました。題して「日本一開業から遠い古民家カフェ」

今後はこちらのYouTubeチャンネルでも、長田さんの古民家のリノベ状況を報告していきますので、引き続きご注目ください。

「嬉野温泉 暮らし観光案内所」次回もご期待ください。

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