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【書評】歎異抄はパンク

ロッシーです。

『歎異抄』を読みました。


「無人島に一冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ」by 司馬遼太郎

「自分は『臨済録』と『歎異抄』さえあれば生きていける」by 西田幾多郎

『歎異抄』とは、これら知の巨人達にそこまで言わしめるほどの本なのです。

最近『ダンマパダ』を読んで仏教に関心が出てきたこともあり、早速読んでみることにしました。

とはいいつつも、挫折する可能性が濃厚だったので、光文社古典新訳文庫でトライすることにしました。

この光文社古典新訳文庫では、なんと関西弁で現代語訳をしているのです!

なかなか攻めてますね~。さすが光文社古典新訳文庫!

文庫も全部で160ページほどだったので、思ったよりもスラスラ読めました。ただ、私は関西弁がネイティブではないので、標準語のほうが良かったですけど(笑)。


内容はざっくり言うと、

「とにかく、南無阿弥陀仏唱えてりゃOK!」

ということです。

唱えよ!さらば救われん!

分かりやすいですよね。

そりゃ、鎌倉時代に一般庶民が信仰したのもうなづけます。

それまでのエリートのエリートによるエリートのための仏教がクラシック音楽だったとしたら、親鸞の教えはもう「パンク」ですよね。

No Future なんだからAnarchy in the Buddhismになろうぜ、俺は anti エリートだぜ!

という魂の叫びを歎異抄から感じました(笑)。

そんな単純な見方をしたら、仏教専門家から怒られそうですね。ごめんなさい。

でも、やっぱりどこか人間ってそういう風に単純なメッセージにあこがれるところってあるんじゃないでしょうか。

当初はブッダの教えも『ダンマパダ』を読めば分かるように誰でも理解できる平易な内容だったわけです。

それが、中国に渡り日本に入ってきて、ゴチャゴチャしたものが教義として加わってきて、お勉強しまくった人でないと分からないものになってしまったわけです。

それに対するカウンターカルチャーが親鸞の教えだったのでしょう。

音楽理論を理解していないと演奏ができないクラシックやジャズに比べ、ペンタトニックスケールやパワーコード一発で演奏できるロックやパンクの魅力と同じようなものだと思いました。

当時の一般庶民は熱狂したと思います。

「これだよこれ!皆で唱えようぜ!南無阿弥陀仏!イェイ!」

みたいな(笑)。


ごちゃごちゃした教義を知れば知るほど、そこから解釈が分かれ、紛争が生まれるものです。そして、教義を知っているかどうかで上下関係が発生し、ピラミッドが出来上がります。そして時の権力と結びつき腐敗します。

そういうものを全部ぶっ壊して、単純に南無阿弥陀仏と唱えればいいんだぜ!というのは実は理にかなっているようにも思えるのです。

道元の只管打坐も「とにかく座ってろ!」というもので、こちらもパンクしてますよね。

極力単純な教えにするほうが、本来ブッダが目指していた悟りの境地にたどり着ける可能性が高いのかもしれませんね。

反論したくなる人もいるかもしれませんが、とにかくまずは唱えましょう。

南無阿弥陀仏!

南無阿弥陀仏!


最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

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