人のことが嫌いになりそう。もうわからない。
これまでの日々の蓄積、昨日の出来事に加えて、さらにとどめの矢
こんな題名見たら、嫌な気持ちになりますよね。
本当にごめんなさい。
やさしい人がたくさんいるのは知ってます。
悪意がなくて言われた言葉かもしれないことも想像できなくもないです。
だけど、最近ちょっとしたことの蓄積から昨日の一撃、そして、
昨日の投稿に至り、またそれに食いついてくるひとがやっぱりいた。
自分の行動を、他人のせいにしようとして、責めるような言葉をかけてくる。
わたしが何をした、書いた内容の何がよくないというのだろう。そして、言いたいことの意味がほぼわからない。とりあえず、わたしの投稿が気に入らない、自分はこれからこうする、この記事のせいだ。それが限界。
当たり前です、だってその人の背景も置かれている状況も何も知らないから。
自分では読み返してもわからないけれど、その人にとっては、気に入らなかったのでしょう。すみませんでした。
しかし、世界中の人が賛同することなど、書けるわけがないよ、とも思いました。
自分は、自分と違う考えにあえて自分の意見や批判的なことは書かない、書きたくない、書く理由がない。
わたしは、いろいろな投稿を見て、
自分と考えが合わないと思ったら、わざわざコメントはしません。
自分はこう思った、だからこれからはこうするから、などという言わば反対意見のような批判的内容をその人に伝えることにわたしはメリットを感じないから。言われた人も、きっと多くはいい思いをしないと思うから。
意見を戦わせるのが嫌だから。
しかし。それを避けられない場面も多くあると思います。
仕事上、など、社会生活を送る中で、どうしても意見を戦わせる必要がある場合もあるかもしれません。
けれど、ここは、それぞれの人が自由に書きたいことをかけるスペース。
(もちろん、攻撃的な内容、差別や侮辱など、表現してはいけないこともあるけれど。)
そんな自由なスペースで、わざわざ相手を批判して何が楽しいのかな、
自分は嫌な気持ちになるだけなのにな。と悲しくて消えてしましたくなりました。本当に本当に消えたくなって泣き続けました。
昨日の記事に書いた通り、コメントは表示上消せても、一度読んでしまったら、心からは消えないから。
それだけ心の傷は深いということです。目には見えないし、まして会うこともない人の心の中なんて、想像しないでしょう。
でも世の中には、そんな批判的意見を相手にぶつけることを特に苦ともせず?、気にも止めずに、
あなたのせいで、自分は、と。そして、その人なりの「正論」などを一方的に押しつける人が、時々、いや、実際は多くいます。
それが現実、大人の社会です。
ここは「note」 Rinsai(つむ)🌻の居場所になりつつある
ここは「note」です。
正直、そんなことにまで責任負えません。
こんな世の中ならじぶんはやぱり生きていけない、だったらそんな細かく読んで批判しなくても、と
心の中で思い、正直、ここしばらくない猛烈な怒りを覚えました。
人と関わるには「ことば」が必要。たいへんだ。でもいつもありがとうございます。
人は、人と関わる以上、おそらく「言葉」を必要とするでしょう。
犬のようにお互いの匂いを嗅ぎ合ったり、人間にはわからない犬同士の
コミュニケーションのようなことはできません。
そして、確かにわたしは、「ねぇねぇ聞いて」の気持ちから、日々「note」を書いています。
それについて、温かい言葉をくださる方、いいねをしてくださる方など
いつもとても励みになります。
本当にありがとうございます。
しかし、時として、自分が予想もしていないことや、
前述の通り、聞いてもいないのに、わたしの記事のせいで自分はこれからこうする、など。(そんなこと聞いてないし、報告まで求めてないのにな…)
しかし、確かに当たり前といえば当たり前です。
自分はそう思っていたとしても、誰が読んで、どう感じ、
どのような行動に出るかまでは、皆目見当がつかないのです。当然のことです。
世の中にはいろいろな価値観、考え方をする人がいて、それぞれが自由に発言できるのだから、自分が「嫌だな」思うことを言われるのも当然なのです。
自分がそれを受け入れるだけの心の余裕がなかったのだと、
やっぱり自分の未熟さゆえの心、脳の大混乱なのかな、と自己嫌悪です。
じゃあやっぱりやめたほうがいいのかな、なんて思ったり。
せっかく、自分の気持ちを書ける場所を見つけたと思ったのに。
ここもだめか。
と、いま思ったりしています。
だけど、そんな誰かのコメントで、たくさんの方達が支えてくれる場を
離れてしまうのは悔しい、もったいない。
自分もそれなりにやりがいを感じているから、今日まで続けているんだ、
とも、思っています。
一方で、やっぱり、
それほどまでに自分は傷ついたんだ。これも紛れもない事実。
爆発寸前の希死念慮を身にまとっている自分としては、
かなり危機的な状況です。
「ことば」って難しい、
そんな「ことば」を使う必要がある、人付き合い、人間関係って
いつ何時、どんな場所でも、このnoteでさえもこんな思いをしないといけないのか、とつくづく大変だな、と思いました。
おわりに
読んでくださる皆さま。
コメントや、いいね、
どこかの記事に載せてくれる方など、
いつもたくさんの応援を本当にありがとうございます。
こんな自分が、今日も一日生きる励みになっていることは、確かです。
だからこれからも「note」続けたいと自分は思っています。
どうしようもなく耐えられなくなる限りは続けたいです。
なぜなら、伝えたいことがたくさんあるから。
聞いてほしいことがいっぱいあるから。
みなさんに読んでいただけるような文章にするのはなかなか大変だけど、
それでもまだ伝えたいことがあるから、
「note」続けようと思っています。
これからもどうぞよろしくおねがいします。
みなさま、いつもほんとうにありがとうございます。