最近の記事

時をかけるキムチ

このキムチが消費期限を迎える頃、自分はどうなっているのだろう? 3月最後の日曜日、スーパーで食材をまとめ買いしてる時に思った。翌日からは部署異動で、全く違う仕事をすることになっていた。社内でも過酷と呼ばれる部署。自ら希望したものの、いざ働くとなると、急に不安になっていた。 4月1日、出勤すると早速仕事が待っていた。経験のない仕事を、午前中のうちに仕上げなければいけなかった。なんとかこなしたが、気付くと冷や汗が垂れていた。 「この一年は修行だと思って頑張って」 前の職場

    • 左膝が痛くない「可能世界」

       読んでいる雑誌の中で、「物語世界」と「可能世界」という概念が出てきた。ざっくり言うと、物語世界は、何かに「抑圧」された当事者が経験を語ることによって再現される世界、可能世界は、もしその当事者を抑圧するものがなかったら展開される、「If」の世界である。読んだ論考では、その当事者が語った内容には可能世界が少なからぬ影響を与えており、歴史を考える上で「If」に目を向ける必要があると言っている。例えば被選挙権年齢の引き下げを訴えている人は、若い人が政治の場に立ったらという可能世界を

      • はじめての九州 長崎編

         九州旅行2日目、私たちは博多から長崎に向かった。目的はただ1つ、本場のちゃんぽんを食べること。それも、ちゃんぽん発祥のお店で食べること。長崎は他にも見るべきところがあるだろと思われるかも知れないが、旅の目的なんてメジャーなものでなければないほどオリジナルな旅になる。型にはまった旅なんて嫌なのだ。  朝、レンタカーを借りて出発した。福岡の高速道路は街の高架上を走る、いかにも都会的な道だった。ただしばらく行くと、田んぼや畑も目に付くようになる。佐賀に入る頃には棚田も目に入るよ

        • 生きているだけで

          生きているだけで、私はエアコンを使い、料理をし、電気やガスを使っている。それらは化石燃料を使い作られ、地球温暖化を加速させている。 生きているだけで、私はコーヒーを飲み、バナナを食べ、外国で作られた農作物を食べる。それらは大規模なプランテーションや過酷な児童労働があって安い値段で売られ、環境や人権を損なってる。 生きているだけで、私はアンゼンホショウというものに守られている。それらは沖縄の美しい自然を削ぎ作られた基地によって作られ、そこに住む人々を危険や騒音にさらしている

        時をかけるキムチ

          はじめての九州 福岡編

           10月、遅めの夏休みを取り九州に出かけた。中学高校と同じだった友だちが福岡に就職したので、彼と自分を含め定番のメンバー4人で旅行をしたのだ。  搭乗するのは10時台の飛行機だ。ただ、前日は会社の同期と久しぶりに集まる機会があり、話が弾んで2時半まで飲んでいた(しかも3軒目は大学時代に定番だった2時間1○○○円の格安店、そこで出てくるお酒の質には安いなりの理由がある)。ろくに寝ず二日酔いだったため、まず空港まで行くことが試練だった。電車に揺られなんとか空港まで着いたものの、

          はじめての九州 福岡編

          6月 夜の西側

          6月の日は長い。夕方は19時を過ぎても明るく、反対に朝はすぐに訪れる。 仕事に慣れてきた6月。夜の勤務にも身体が慣れ、それに適応した遅寝遅起きの習慣が確立されてきた。 日付を超えてから帰宅しても、仕事でフルにエンジンを回した頭にはなかなか眠気が訪れず、穏やかな覚醒状態が続く。覚醒状態から元の自分に帰還するため、(あともともと好きなため)、ど深夜からグラスを傾ける。最近のマイブームは少し濃いめのハイボールをゆっくり飲むことだ。 ハイボール片手に本を読んだり、BSで再放送し

          6月 夜の西側

          深夜のタクシー

          最近、ほぼ毎日タクシーに乗っている。 勤務時間が深夜まで及び地下鉄が動いていないため、代金は会社持ちでタクシーを使って帰宅するのだ。 貧乏性な自分はこれまでタクシーをほとんど使ったことがなかったため、こんな世界があるんだという新鮮さを味わっている。 タクシーという乗り物の特徴は、乗客と運転手との距離の近さだ。電車やバスは基本的に大勢の乗客に対して運転手が1人。それに対しタクシーは、運転手1人に対して乗客も1人(1組)。 もう1つの特徴は、運転手の多くは高齢

          深夜のタクシー

          かなり健康で文化的な4月

          とうとう来ました。「04月30日までに記事を書くことで連続投稿を8か月に伸ばすことができます。今月もnoteを書いてみませんか?」という通知。現在の時刻は23:40。連続させるために記事を書くことは本末転倒な気もするけど、続けられないと悔しいので超短縮4月の振り返りでも書いてみる。 4月。新社会人になって最初の月。会社では、4月のほとんどが研修にあてられた。 [面食らった配属先とその後の気持ちの移ろい] 最初の日、会議室に置かれた自分の名札の上には、想像と違

          かなり健康で文化的な4月

          〈詞〉春の一人称単数

          冬が終わろうとすると、いつも君のことを考えてしまう。 そして、いつも君は期待を裏切らず、ぼくのもとにやってくる。 君との出会いは、いつも突然だ。気づくと君はすぐそばにいる。 君の気配は、すぐにぼくの目を赤らめる。 君は目には見えない。もちろん他の人にも見えない。 ただぼくは、君を気配で感じることが出来る。まるで船の魚群探知機のように。 君を意識し始めると、他のことに手が付かない。 君は、ぼくの生活の大部分を支配し、虜にしてしまう。 今、ぼくは君に支配されている。精神的

          〈詞〉春の一人称単数

          人と会う

          昨日、5年ぶりに1人の友達と会ってきた。 彼とは中学3年間、同じ部活、同じポジションだった。 中学のとき、彼とはぶつかることが多かった。ぼくも彼も部活への熱意は大きかったが、その目指す方向性は必ずしも同じではなかった。特に低学年のときは何度も言い争いをし、少し気の弱かった彼を何度も泣かせてしまったことを覚えている。それでも3年生になりぼくが部長になったとき、最も頼りにしたのは彼だった(部員が50人以上いて、その1年間はぼくにとって大変な時期だったと記憶している)。 彼とは同

          人と会う

          社会人になるに寄せて

          あと2ヶ月弱で社会人だ。私はジャーナリズムに携わる、という進路選択をした。 おそらく4月からは今よりも忙しく、自分のことについて今より深く考える余裕もなくなるだろう。日々に余裕のある今のうちに、なぜ自分がこの選択をしたのか、記録しておきたいと思う。将来辛くなったりして、人生の岐路に立った時のために。 「将来の夢はなんですか?」 年齢が若ければ若いほどされるこの質問。小学校の4月の自己紹介カード、卒業文集、立志式...。私たちは小さい頃から、将来の自分像を思い描くよう強いられ

          社会人になるに寄せて

          おじいさんの世界

           すりガラスの引き戸を開けた瞬間、思った。入る店間違えたかな…。響き渡る爆音の演歌。壁一面には隙間無く貼られた昭和を感じさせるポスターと、いつ壊れたのか分からない時計。そしてカウンターの奥には店主と思われる少し怖そうなおじいさんが、大量の鶏肉を包丁片手に切断している。他の客はゼロ。街中にポツンと佇む店の中には、本当に今が令和なのか疑いたくなる空間があった。  卒論提出まで半月ほどに迫ったころ、研究室の友だちと飲みに行った。せっかくならお互い行ったことのない店に行こうという話

          おじいさんの世界

          12月(とりとめのない文章の羅列)

           1年が終わる季節。SNSを開くと、みんなが「2022年の振り返り」などと題した投稿をしている。自分も何か残しておきたい。ただ、年明けに迫った卒論提出を控え、noteに考え抜いた文章を作る時間は残っていない。今回は最近思ったことを、ただストレスの発散を目的に書き連ねたい。ただのとりとめのない文章の羅列だが、教授に見られて「大丈夫でしょうか」とか言われるわけでもないし別にいいや。  12月は自分の労力のほとんど全てを卒論が持って行った。月湯にバイトAに行って、火曜から金

          12月(とりとめのない文章の羅列)

          石巻

          書きたいものが書けない。エスノグラフィーを掲げて、生き生きとした面白い卒論を目指しているつもりだった。ただ、指導教諭に持っていくために作った一節を自分で読むと、淡々と事実を述べているようにしか見えない。案の定先生にも、出し惜しみしなくていいんだよ、と言われてしまった。 自分に何が出来るのか分からない。卒論のテーマでやっているものは、たとえ自分が取り上げたとしても、もしくは働き手として創意工夫をしても、彼らの境遇を、辛さの根源を変えることは出来ない。問題は自分ひとりなんかじゃ

          石巻

          惰性

          4年生になってから抱いていた漠然とした物足りなさ。 サカナクションの『ショック!』という曲が今年リリースされたが、聴くたび聞くたびにこの曲が刺さった。日常にショックが足りないのだ。 その理由を考えていたとき、惰性という言葉をどこかで耳にした。そうだ、惰性だ、と思った。4年生になってからの生活は、惰性に支配されているのではないか。 まずは教職。1年生の頃から多くの時間と手間をかけてきたため、今さら放棄するのはもったいない。ただ、惰性で取り続けているために、3週間の教育実習

          惰性

          午前5時の異社会

          生きていて何となく空しさを感じる現代人は、私だけだろうか。 「人は1人では生きていけない」という言説は、目につきすぎてむかつくほどに世の中にあふれている。ただ、その言説を何とか否定しようとしても、やはりそれは認めざるを得ないのだと感じる。一人暮らしを4年したおかげで、一人の時間の楽しみ方はそれなりに知った。しかし、それでも誰かとつながりたいという欲求がなくなることはない。 現代の日本では、ネット環境が整備され、オンライン上では誰かといつでもつながっている。だけど、顔を合わ

          午前5時の異社会