見出し画像

人と会う


昨日、5年ぶりに1人の友達と会ってきた。
彼とは中学3年間、同じ部活、同じポジションだった。
中学のとき、彼とはぶつかることが多かった。ぼくも彼も部活への熱意は大きかったが、その目指す方向性は必ずしも同じではなかった。特に低学年のときは何度も言い争いをし、少し気の弱かった彼を何度も泣かせてしまったことを覚えている。それでも3年生になりぼくが部長になったとき、最も頼りにしたのは彼だった(部員が50人以上いて、その1年間はぼくにとって大変な時期だったと記憶している)。

彼とは同じ高校を受験した。彼は合格し、ぼくは不合格だった。そして別々の高校に進学した。それ以降、やり取りは少なくなった。

大学に進学するとき、彼に連絡をした。彼はもう一年頑張ってみる、と答えた。

1年後、彼が大学に進学したと言う連絡をくれた。ラインでお祝いのメッセージを送った。本当ならば会いたかったのだが、コロナ禍という時代はそれを許してくれなかった。彼は関東の大学で、ぼくは地方の大学でコロナ禍の学生生活を送った。

卒論が発表するところまで終わり、大学での学びを納めた。ただ、4月までにはまだ時間がある。暇を持て余し、地元に帰ってきた。2年ぶりに訪れた高校の最寄駅の前は、再開発が進んでいて、違う街になっていた。

実家にいる時間は退屈だった。そこで、誰かに会いたいと思った。しかし、同級生はみな地元を離れており、その日や次の日に急にごはんに付き合ってくれる人はなかなかいない。

何人かに断られた後、ぼくは彼を思い出した。ダメ元でLINEをすると、すぐ返事が返ってきた。長期休みは実家に帰っているようで、よしいこう、と記されていた。


待ち合わせ場所は再開発の進んだ高校の最寄駅。彼の家からは一番近いのと、ぼくがごはんの後アパートに帰るため、新幹線の通るその駅を選んだ。

みどりの窓口の前に立って待っていると、ついた、とLINEがあった。顔を上げると、彼がいた。少しおしゃれな着こなしをした、変わらない顔とメガネの彼がいた。

駅ビルの唐揚げ屋で、ビールと唐揚げで乾杯した。そういえば、地元で友達とお酒を飲むのは初めてだった。成人式は中止になっていたんだった。そう思うと、やっと友達と気兼なくお酒を飲めるやうになったのかと、少しだけ感慨深くなった。

色々な話をした。それぞれがどんな5年間を送っていたのか、今はどんなことをしているのか、中学時代の同期はどうしているのか、これからどんな将来を描いているのか。唐揚げ屋だけで足りない分は、2軒目のワインバーで話した。もちろん、それでも時間は足りなかった。新幹線でぼくは、なぜか感情的になっていた。


旧友との食事は、その経験をノートに書かせるほどにエモーショナルな感情を引き起こした。そして、人と会うことは素敵だな、と気付かせてくれた。その瞬間その場所で、ありし日の記憶と思い描く未来を共有する。特に相手が気の置けない人ならば、その瞬間は幸せだと思った。


コロナ禍は、人と人が合うと言う機会を奪った。人と会うことで生まれる幸せは、この期間剥奪されていたのだ。

時代を恨むつもりはない。人類は100年周期で感染症に脅かされているというし、起こってしまったことは仕方がない。一介の市民としてのぼくは、事実を淡々と受け入れ、状況を(それが渋々であっても)受け入れて生きていくしかない。


だからこそ、コロナ禍が終わるこれから先、ぼくは人と会いたい。人と会って、幸せな瞬間をできるだけ増やしたいと思う。旧友ももちろんだが、とにかく色々な人と話してみたい。人から受ける刺激で、多分ぼくは生きている。気分が変わる前に、こんな誓いをここに立ててみる。


未来のぼくよ、B型※のお前は多分会う直前になって面倒くさくなったり、企画が面倒くさく感じるだろう。ただ、その面倒くささを乗り越えた先には、きっと良い時間が待ってるぞ。


※(科学的根拠はないし、大きな修飾語で括ってしまった、医学研究者と全B型の人ごめん)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?