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石巻

書きたいものが書けない。エスノグラフィーを掲げて、生き生きとした面白い卒論を目指しているつもりだった。ただ、指導教諭に持っていくために作った一節を自分で読むと、淡々と事実を述べているようにしか見えない。案の定先生にも、出し惜しみしなくていいんだよ、と言われてしまった。

自分に何が出来るのか分からない。卒論のテーマでやっているものは、たとえ自分が取り上げたとしても、もしくは働き手として創意工夫をしても、彼らの境遇を、辛さの根源を変えることは出来ない。問題は自分ひとりなんかじゃ到底解決できない、深いところにある。

この前新聞を読んでたら、身近な人が取り上げられていた。同期のはずなのに、その人はすごく意義のある、自分から見てもすごいことをしているように見えた。さて、自分はこの4年間で何をすることができたのだろう。

ここ数日、私を支配していたのは無力感と焦燥感だった。


そうだ、石巻に行こう。
とにかく無力感と焦燥感から逃げ出したい。遠くに行きたい。そう思ったとき、ここ2ヶ月くらい行きたい欲が高まっていた石巻を思い出した。仙台から1時間かかるのかと思い敬遠しがちだったが、今日の逃げ出したい気持ちは心のブレーキをぶち壊すのには十分だった。

最寄りの駅から在来線に乗り、仙台で乗り継いで石巻へ向かった。やっぱり少し遠く感じた。電車は意外にも混雑していて、松島の近くの駅までは全然座れなかった。

石巻についた。石ノ森章太郎の漫画のキャラクターたちが迎えてくれた。まずお昼を食べようと街中をぶらぶらした。思ったよりお店が多かったが、その中の適当なラーメン屋に入った。カウンターが4席と、テーブルが3つの店内。11時半とピークを避けたつもりだったが、お客は意外にも多かった。店内は若い従業員1人しかいなかった。その上テーブル席には、おそらく向かいのクラブのお姉さんと従業員であろう人たちが5人、ビール開けまくって宴会してた(11時30分だよな?)。結局お店を出るまで1時間くらいかかった。まさかラーメン屋で石巻の洗礼を受けるとは。



ラーメン屋を出ると、市内を一望できる公園を目指して歩いた。が、海なし県出身者の特性なのか、海を近くで見たくなった。少し回り道だけど、観光船も発着する岸(正確にはそこはまだ川)に行き、ベンチに座って写真を撮った。ああ、海に来たんだと感じた(川だけど)。

それに満足すると、公園に向かった。ただこの公園、意外と高いところにある。震災の時は市民がこの場所で津波を逃れたそうだ。やっとの思いで登り切ると、前後の市内を一望できた。とてもきれいだと思った。



次に、震災伝承館を目指した。途中、工事現場や災害公営住宅をわき目に歩いた。伝承館が建てられたのは、津波の危険性から今後人が住むことができない地域だった。広い広い公園の真ん中に、丸い形をした伝承館が建っていた。

伝承館に入ると、受付の人に「時間ありますか?」と聞かれた。あると答えると、椅子に案内された。そこでは気仙沼の語り部の人による語りが行われていた。いきなり案内された動揺は、話に聞き入ることですぐになくなっていた。その方は、両親を津波で亡くし、妻も津波にのまれ数日後に再開したのだという。
「本当に辛いとき、人間涙は出ない。涙が流せるのは、余裕があるからだ」という言葉があった。両親が亡くなったことを知っても、当時は涙が出なかったそうだ。

16時の電車に乗って帰ろうと思っていたが、まだ14時過ぎなので、駅まで歩く時間を考えても時間がある。そこで、歩いている途中に気になった、普通の家みたいな震災伝承施設に行くことにした。気になった理由は、「子どもが語る」という文言が見えたからだ。どういうことなのかいまいち想像がつかなかった。

中に入ると、スタッフの方が展示について丁寧に説明をしてくれた。土地の説明、展示の説明、施設が作られた背景。展示は、亡くなった幼稚園に通っていた女の子が身につけていて、津波による火災で焼けてしまったクレヨンや靴。そして当時の小学生(自分と同い年の人もいた)の経験を、子ども目線で伝える展示があった。小さなシアターでは、幼稚園児の母親の語りが映し出されていた。普段涙なんて流さないのに、出てきてしまっていた(それは自分に余裕があるからなのかもしれない、たとえ主観ではそんなつもりはなくても)。
資料をいっぱいもらったが、小さいバッグで来てしまったため、売店でトートバッグを買った。対応してくれたのは先ほどのスタッフさんだったため、少し自分のことを聞かれた。仙台の大学に通ってることと、来年から伝える立場になることを伝えた。いつか一緒に仕事ができるかもねと言われて、嬉しかった。

その後、隣に位置する震災遺構の小学校に寄った。外観が整備されているのだと思ったら、中も広い展示場になっていた。体育館には潰れた消防車。校舎では、津波による火災で燃えた教室が保管されていた。その他、写真や詩が置かれていた。



いつの間にかに16時の電車はもう出発していた。結局夕暮れを見ながら丘を越えて駅に戻り、17時の電車に乗った。仙台までの1時間は、行きよりもあっという間に感じた。

さて、無力感と焦燥感が一日の旅で払拭されたのかと聞かれれば、そんなことはない。ただ、そんな気持ちが芽生えるのは、自分が自分のことを過信しているからでは?と思えてきた(トリガーは何かは分からない)。目の前の出来事や感じていることをリアルに伝えるのは、おそらく大学4年間なんかじゃなく、一生かかって自分が取り組むべき課題なんだと思う。

では、今の自分ができることは、すべきことはなんだろう(短期的には卒論を完成させることだけど、もっと大きなスパンで考えたいものだ)。

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