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左膝が痛くない「可能世界」

 読んでいる雑誌の中で、「物語世界」と「可能世界」という概念が出てきた。ざっくり言うと、物語世界は、何かに「抑圧」された当事者が経験を語ることによって再現される世界、可能世界は、もしその当事者を抑圧するものがなかったら展開される、「If」の世界である。読んだ論考では、その当事者が語った内容には可能世界が少なからぬ影響を与えており、歴史を考える上で「If」に目を向ける必要があると言っている。例えば被選挙権年齢の引き下げを訴えている人は、若い人が政治の場に立ったらという可能世界を想像し、それに利益があると思うからこそ、実際に行動をしている(可能世界が作用している)ということだろうか。(誤読だったらすみません。)


 可能世界を考えることには意義があるらしい。というわけで、私自身の今日の可能世界を振り返ってみたい。

 世の中的3連休最終日は、私にとって今週初めての休日だった。昨日から今日の目標を2つ掲げていた。新しい座椅子とスケジュール帳を買いに行くことだ。座椅子はボロボロで彼女が家に来る度に少し恥ずかしかったので、前々から見に行こうと思っていた。あと年末に新年用のスケジュール帳を買い忘れていたので、それも済ませたいと思っていた。それに鍋の具材が切れたから買い物もしなきゃな、そういえば地震にあまり備えられてないから非常食買っておくか、そんなことを考えながら眠りに入った。

 朝、今日の私を「抑圧」する出来事が起きた。もう5年も使っている机の高さを見誤り、左膝を強打したのである。どこかにぶつけることはよくあるのだが、今日は打った瞬間に分かった。いつもの痛さではない。膝を抱え、椅子から床に転げ落ち、数十秒悶絶した。その後数十分が経過し、膝を曲げると痛みを感じるようになった。鍋の買い物に行ったのだが、歩くと痛い。私は昼前のドンキホーテで顔を曇らせながら足を引きずって白菜を半玉買っていた。

 買い物で歩くと痛いことが分かったので、もう外出する気にはなれなかった。座椅子とスケジュール帳を買いに行くことは、可能世界になってしまった。夕方ラーメンが食べたくなって靴を履いて外に出たが、数歩歩ったらもう痛いので、部屋に引き返した。ラーメンも可能世界に逃げていった。机くんにはせっかくの休日を返して欲しい。

 そんなところで読んだ雑誌を思い出し、読み返してみた。待てよ、可能世界(=ifの世界)は現実に対して何かしら作用してくれるらしいじゃないか。Noteにでも書きながら、どんなことに役立ってくれたのか考えてみよう。

 ...ここまで来て、可能世界は今日の私に悔しさを残しただけであったことが分かった。昨年苦しんだ卒論風に言うと、「本調査は、雑誌が主張した概念を適用しても、必ずしも可能世界が現実に対し作用するものではなく、むしろ悔しさのみが残る結果となった。本稿の意義は、雑誌の主張に再考の余地があることを示す点で意義があると言える」。「謝辞:捨てようとしていたボロボロの座椅子には、今日一日膝を伸ばして座らせていただいた。ここに感謝を記したい」。

 今年は大厄らしいが、早速その洗礼を浴びている。明日からまた仕事盛りだくさんですが大丈夫なのですか左膝さん。とりあえず今日はシップ貼りまくって寝ます。









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