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12月(とりとめのない文章の羅列)

 1年が終わる季節。SNSを開くと、みんなが「2022年の振り返り」などと題した投稿をしている。自分も何か残しておきたい。ただ、年明けに迫った卒論提出を控え、noteに考え抜いた文章を作る時間は残っていない。今回は最近思ったことを、ただストレスの発散を目的に書き連ねたい。ただのとりとめのない文章の羅列だが、教授に見られて「大丈夫でしょうか」とか言われるわけでもないし別にいいや。
 
 
 12月は自分の労力のほとんど全てを卒論が持って行った。月湯にバイトAに行って、火曜から金曜は午前中から夜まで研究室やら街中のカフェやらで卒論を書いて、土日はバイトBに行って、という生活だった。髪切りに行ってその話をしたら、「社会人より忙しいんじゃないですか」と言われた。たしかに土日くらいは休みたかったな。
 2週間おきに教授と面談して、1週間おきに1万字ずつくらい原稿を送り、修正して、という毎日は、緊張感から解放されないという面でかなり疲れる。すぐにでも解放されたいと思うこともある。
 
 ただ、そうした毎日が楽しくないわけではない。文章を書くこと自体は好きだし、テーマも自分にとって思い入れのあるものだ。教授からのメールは9割は「ここやばい」という指摘だが、1割ほど「面白い」と言われることもある。調査をさせてもらった人たちに原稿を送りつけても、「面白い」と結構言ってもらえる。単純に自分の書いた物が面白いと言われることが嬉しい。
 あとは、1つのことをここまで考え抜くという作業自体初めてだし、多分これから先もあるかないかくらいの経験だ。何かを考え詰めるという作業自体、嫌いではないのかもしれない。
 
 遅くまで卒論を書いて、安いけどおいしい居酒屋に通い詰める習慣も気に入っている。同じく卒論が辛い友だちと飲めるというモチベで多分1週間のうち3日分くらいは頑張れている。酒と話の合う友だちがいれば生きていける、と社会人になる前に知ることができて良かった。
 
12月前半は夕飯すっ飛ばして22時くらいまで研究室いるという生活だったけど、途中からお弁当を持って行くようになってからご飯を食べることの大事さにも気付いた。ご飯って脳を生き返らせるよね。土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』に影響されて、毎朝味噌汁も作るようになった。ちゃんと生活するって意外と大変だけど大事だなと、だんだん実感するようになってる。
 
年の終わり、レイ・ハラカミの「終わりの季節」がよく似合う。複雑なリズムの組み合わせがなぜか無意識に馴染む。昨日見た耳の聞こえないプロボクサーの映画、エンドロールで鳥肌立った。あんな映画はじめてだ。クリスマスのフレンチバイト、忙しすぎて笑った。冷静に考えてホールにバイトだけってわけわからん。それでもって2回転(フルコースだよ?)って構造的限界なのよ。バイトいる前提で予約取ってるし。結局人足りなくて3日前とかに呼ばれちゃうし。そんでもって入っちゃうし。変なノリで返事するの、社会人になって損しそうだからやめたい。まぁ楽しかったからいいんだけど。誰かの役に立って自分も楽しくて生きて死ねるならそれでいいのかもしれない。
 
卒論終わったら今までやれなかったこといっぱいやるんだ。浴びるほどお酒飲む。旅行行く。本読む。本当は少し院進したかった話とか、すごいと思った本の話とか、すごいと思った人の話とか、書きたいことも溜まってる。noteも書くぞ。

あと1週間、多分教授は倒せないけど、今しか味わえない楽しさを自分に与えるために卒論書きます。

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