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惰性

4年生になってから抱いていた漠然とした物足りなさ。

サカナクションの『ショック!』という曲が今年リリースされたが、聴くたび聞くたびにこの曲が刺さった。日常にショックが足りないのだ。

その理由を考えていたとき、惰性という言葉をどこかで耳にした。そうだ、惰性だ、と思った。4年生になってからの生活は、惰性に支配されているのではないか。


まずは教職。1年生の頃から多くの時間と手間をかけてきたため、今さら放棄するのはもったいない。ただ、惰性で取り続けているために、3週間の教育実習、夏休み2週間の集中講義、後期の4コマの授業を取らざるを得ない。

あとはサークル。来週に迫った学祭ではもう引退してるはずなのに3バンドも乗ることになり、週4くらいで21時ー24時とかいう馬鹿げた時間に練習している。そのせいで正直今かなり疲れている。



ただ、惰性だったつもりが、重要なことに気づいた。
自分は今、惰性をそれなりに楽しんでいる。


そういえば教育実習は楽しかったし、土曜1.2限の教職演習も新しい人や出来る人たちのアイディアを受けていて、新鮮だ。

学祭も体力的にやられているが、音楽そのものが楽しい。久しぶりに会う人たちや、あんまり接してこなかった後輩と話す機会があって楽しい。


かつての自分の選択に流されている気になって、そのためにショックが足りない気になっていた。


ただ、ある程度予定が立っていたという点で惰性的だった日常も、予想していなかった出会いや気づきがあって、それはそれで自分にショックを与えている。

足りないのは、今を楽しんでいこうというポジティブな心持ちなのかもしれない。


最後の学祭。小5からやってきた楽器、一時的に離れることは何回かあったけど、学祭が終わると今回は長い別れになりそうだ。
そんなことを考えて最近1人エモーショナルに浸っている。最後の1週間頑張るか。


そして目の前には昨日図書館の書庫で借りたゴフマンの『アサイラム』と卒論ノート。絶対関連するけど分量多すぎて避けていたが、やっぱりこの本読まないとダメそうなので闘うことにした。索引まで入れて504ページあります。ほんとに卒論終わるんでしょうか。


卒論も、研究室に入った時点で運命付けられてた、ある種の惰性的なものだ。ただ、教職と学祭が教えてくれた、「今を楽しんでいこうというポジティブな心持ち」でなんとかするしかないか。

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