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おじいさんの世界

 すりガラスの引き戸を開けた瞬間、思った。入る店間違えたかな…。響き渡る爆音の演歌。壁一面には隙間無く貼られた昭和を感じさせるポスターと、いつ壊れたのか分からない時計。そしてカウンターの奥には店主と思われる少し怖そうなおじいさんが、大量の鶏肉を包丁片手に切断している。他の客はゼロ。街中にポツンと佇む店の中には、本当に今が令和なのか疑いたくなる空間があった。

 卒論提出まで半月ほどに迫ったころ、研究室の友だちと飲みに行った。せっかくならお互い行ったことのない店に行こうという話になり、近場の焼き鳥屋を目指した。大学に行く道沿いにあり、毎朝前を通るその店は、外見は少し古そうだけどどこにでもありそうなお店だ。

 店内に入ると、冒頭の風景が広がった。少し怖そうなおじいさんは、(小声で、そして早口で)どうぞ、とカウンターへ案内してくれた。「後ろ置きな、後ろ」。雰囲気に呆気にとられ少し考えてしまったが、自分たちの持っていた荷物を後ろの席に置きなと言ってくれていたことに気付いた。よかった、怖そうだけど優しい。

 メニュー表から焼き鳥の盛り合わせとビールを頼んだ。おじいさんはまずサーバーでビールを注いで持ってきてくれた。ひとまず乾杯をする。おじいさんが暖簾をくぐって店の奥に消えた。その間に友だちと、(爆音の演歌の中で互いの声を聞き取るのが難しいながらに)店の雰囲気がすごいと確認し合う。

 おじいさんが炭をバケツに入れ帰ってきた。どうやら炭火で焼き鳥を焼くらしい。カウンターの高さで見えないが、自分たちの席の前に焼き場があった。おじいさんは慣れた裁きで用意をする。そしてうちわを仰ぎだした。おそらく火加減の調整を行っているのだろう。本格的だなーと思っていると、うちわに仰がれた灰がいっぱい降ってきた。

 焼き上がったようだ。皿に盛り、はいお待ち、と出してくれた。串を外し食べる。びっくりするくらいおいしい。箸とビールは進み、違う種類の盛り合わせと日本酒の熱燗を追加注文した。

 しばらくすると、客が入ってきた。40代くらいのカップルだ。2人は店に入ると、特に驚く様子もなく自然とカウンターに座る。多分馴染みの客なのだろう。メニュー表もあまり見ず、おじいさんに注文を伝えていた。

 おじいさんは(自分たちの時もだったが)、鶏を焼くときずっと演歌に合わせ細い声で歌ってる。きっとおじいさんこだわりのプレイリストなのだろう。曲のつなぎまで把握している歌い方だった。このご時世にノーマスクで鶏を焼くおじいさんの姿に、かっこよさを感じた。街中の小さな焼き鳥屋、その引き戸の向こう側はおじいさんの世界だった。



 チェーン店があふれ、どの街にいっても同じような風景がある。周囲に合わせることが良しとし、合わないものは非難される。特に日本は同調圧力の強い国だ、なんて言われる。そうでない面ももちろんあるけど、学校で、会社で、私たちはあるべき“身のこなし”や“振る舞い”をすることを求められている、画一化された人間が良いものであり、はみ出したものは悪いものとされる。そうやって私たちは没個性化されていく。

 けど、それでも引き込まれるのは、他と違ったものだ。私たちは、自分にはない何かを持っている人に惹かれる。他人が持って、感じているものに対し、(時には妬んだりもしながら)惹かれる。「いつだって世界を彩るのは、個人の趣味と好きという気持ちだ」(星野源)。

 おじいさんの世界は、おじいさんの趣味で出来ていた。その世界の存在は、きっとその世界を知っている人たちの世界を彩っている。おじいさんの世界に行ったことで、自分の世界が少し彩られた気がした。

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