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来栖夏芽さんの『人外教室の人間嫌い教師』を読んできた ーー自分勝手であることの意味


(この文章は、物語だけにとどまらないネタバレが含まれます。ご注意ください!)

はじめに

教師というのは実に楽なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。              夏目漱石『吾輩は猫である』

……とはホンモノの夏目漱石の猫さんの言葉である。

夏目漱石の『吾輩は猫である』という小説は、貧乏な英語科教師の苦沙弥先生の家のネコが、鋭い観察眼をもって人間たちの様子を描いていく作品だった。この猫は、猫のくせに、ニンゲンを遥かに超えた知性と教養を持っている。その動物らしくない知性は、頭の中でどんどん言葉を生み出していく。しかし、作品の中で猫は猫でしかなく、いくら自分の考えを云っても、理解してもらえない。

では、そんな動物と人間が言葉を交わすことができたら、どうなってしまうのだろうか―――?

『人外教室の人間嫌い教師』は、うっかり、ニンゲンになりたい動物たちの学校に入ってしまった一人の教師が目撃する物語りである。この本や、来栖さんに関係する文章を読んで考えたことを徒然と描いてみたい。


MF文庫JはKADOKAWA・メディアファクトリー系列から2002年に創刊されたレーベル。

にじさんじライバー 来栖夏芽さんとは

にじさんじ所属ライバー来栖夏芽さんは、音楽(特に日本のロック)とヒツジをこよなく愛す大学生である。同期にはましろさん、奈羅花さんがいる。

わたしの周りのにじさんじファンの方が、来栖さんをじわじわ推してくるので、とりあえず見るかと思ってクリックした動画が「酔って性癖を暴露し始める来栖夏芽」で、なんかすごくすまんかった……。

普段の配信では、加賀美社長や社さんたちと遊戯王デュエルマスターズやゴ ッ ド フ ィ ー ル ドで戦いまくり、山神カルタさんと女子会を開くなどしている。非常に茶目っ気を感じるが、その茶目っ気がポンからくるのか狙っているのかわからない、お喋りを聴いていて、(いい意味で)つかみどころのない、清楚な女の子である。ちなみに敬語をとめることはできない。

2020年11月19日の放送で、マイクラ内で小説を作ったところを現在の編集者に発見され、無事に小説家デビューにつながった。この時書かれた小説のうち、1つの作品の名前は『吾輩はネコである』だった


イラストレーター 泉彩 先生

にじさんじの西園チグサさん、ホロライブの大神ミオさんをはじめ、多くのVtuberたちのキャラクターデザインを担当している。ライトノベルの代表作には『最強職《竜騎士》から初級職《運び屋》になったのに、なぜか勇者達から頼られてます』(ガガガブックス)『最強賢者の子育て日記~うちの娘が世界一かわいい件について~』(KADOKAWA)がある。


1巻の粗いあらすじ 

キャラクターたちの詳しい説明は、公式ホームページに載っている

プロローグ                                        人間嫌いと邂逅の教室                                ニンゲンではないひとたちとの出会いの物語り。                                 

人間嫌いと泡沫の花冠                                                                     人魚・水月鏡花が、人に憧れる物語り。                                 

人間嫌いと一輪の孤城                                 人狼・尾々守一咲の、裏顔を覗く物語り。                                

人間嫌いと川辺の夏休み                                ある夏休みの1日の物語り。                         

人間嫌いと天使のほうき星                             兎・右左美彗と、彼女の大好きなキザキセイコさんの物語り。                

人間嫌いと福音の帳                                    百舌鳥・羽根田トバリと、主人公・人間零の物語り。                   

人間嫌いと黎明の光                                  理事長の最終課題とタコパと謎解きのお話。                     

人間嫌いと情憬の卒業式                               ある生徒の卒業のお話。                                  

エピローグ                                     学校が何故作られたか、その理由が語られる。

小説の始まり、ヒトマ先生のプロローグから始まる。そのプロローグではこの作品のキーワードでもある「ニンゲン」が嫌いなことが明かされる。そして、一つの短編ごとに、水月は人魚の世界の掟に、一咲は自分の二面性に、優等生だった右左美は、自分がニンゲンになる理由だった人と対面する。そして最終課題の日がやってきて、「人に迷惑をかける」ことを覚えた水月が、卒業することになる。

その裏でヒトマは、生徒の羽根田に何故ニンゲンが嫌いなのかを聴かれる。羽根田は実は学校の理事長で、学校をより近くで見るために生徒に紛れ込んでいた。不死鳥だった彼女は、死ぬことがなく、全てを見守ることが出来る。その彼女は、ニンゲンを静かに見守っている。ヒトマはいくつものニンゲン像を見ることによって、ニンゲンは嫌いだが、一旦、今はそのままを受け入れることを選択する。

2巻の粗いあらすじ


プロローグ

人間嫌いと徒花の恋占い                                 ドラゴン族・龍崎カリンの恋と、その終わりと始まりの物語り。

人間嫌いと英雄の万食                                     ネズミ・根津万智姉妹の物語り。なぜ彼女はこんなに物を食べるんだろう?

人間嫌いと一輪の行方                        尾々守一咲と、その進路の物語り。                                                  

人間嫌いと森林の夏休み                                  人間零と二回目の夏休み、そして願いごとの物語り。

人間嫌いと安寧の魔法                                      黒ネコ・黒沢寧々子と黒い世界の物語り。

人間嫌いと追憶の帳                             人間零と羽根田トバリの、ニンゲンの物語り。

人間嫌いと真心の本懐                                    生徒たちとそれぞれの課題の物語り。

人間嫌いと巡礼のほうき星                           右左美さんと、ほうき星のような一筋の希望を見る物語り。

人間嫌いと親愛の卒業式                                          ある生徒たちの卒業を皆でお祝いする物語り。

エピローグ                                       人間くんに試練が訪れる

ゲームづくめの日々も終わり新学期。学校にも新しい生徒たちがやってきた。ドラゴンの竜崎は王子と姫の物語を知って、零に告白するも、教師として振られてしまう。ネズミの根津が大食いだったのは、妹が死にかけた時の経験があったからだった。黒猫の黒澤は、自分自身を見つめなおして、一番好きな人の横にいるためにニンゲンになるのをやめた。

残りのメンバーたちは、卒業制作に取り組むなかで、各々の課題を何とかやり遂げる。卒業したのは、尾々守一咲と尾々守いさきのふたりだった。右左美が、自らの恩人へ手紙を渡し、尾々守たちの卒業を見届けたヒトマくん。彼が守れなかった人が学校にやってくることが告げられる。



考えたこと① ーー情報と感情の間を描く「語り」と人間零

ライトノベルを読むときに気をつけるとよいポイントがある。それはライトノベルは、他の小説の形態より圧倒的に多くの人が集まって作られていることである。そして、元々TRPGのような「語り」が中心で創られたお話に挿絵をつける本(リプレイ)が、ライトノベルの源流にあったという。

すると、必然的にそのキャラクターたちの描写(どんな服を着ているか、どんな場所にいるのか)は、イラストレーターさんの書く挿絵や読者たちの想像力に任せる部分が増えていく。細かい描写や世界観は、ある程度絵の方に任せることができるのだ。そしてその分、小説側ではキャラクターの心理描写など、目に映りにくい関係に文字数を割くことができる。

では来栖さんの小説はどうだろうか。

一例として、あえて『人外教室』ではなく、夏芽漱石さんの『吾輩はネコである』を見てみよう。原文が素晴らしいので、是非YouTubeで検索されてみてほしい。

吾輩はネコである。                                  名前はまだ無い。                                 現在、絶対絶命の窮地である。                      宿敵のイヌに囲まれてしまったのだ。                              南無三!                                                       きっとここが天命なのであろう。                          だが、わが生涯には、成し遂げていないことがある。                        吾輩には夢があった。                                       一度でいいから空を見たかったのだ。                               夏芽漱石『吾輩はネコである』冒頭                                      

もしも、物語が単線的に、ただ単純に事実をなぞるだけだったら、すごくたんぱくな猫と犬の話になってしまう。しかし、小説の一人称の魅力は、現実の世界の人間ではありえない、登場人物の考えていることをのぞきながら、その思考のレンズを通して世界を見ることだ

瀬戸賢一『書くための文章読本』では、小説の「語り」には、新聞のように固い口どりで「知らせる」、感情も込めつつ、事実を言う「語る」、感情をそのままを口に出す「感じる」の三つの層が存在しているという。私見では、夏芽漱石さんは、この三つの次元の使い分け、そして「知らせる」と「感じる」の間にある「語る」の次元の使い方が非常にうまいのだ。

この文章の冒頭、「南無三!」という叫びは、死が目前に迫っているネコの「感じ方」を表している。これは直前の二行の事実から派生している。ここで死期を悟ったネコはどうするだろうか。そう、走馬灯を見ておかしくない。「南無三!」という絶望を感じた猫は、その感情に触発されて、空が見たかったという事実を語り出す。この事実は、「知らせる」ものではあるが、同時にネコの感情によるバイアスがかかっている。これが「語り」である。

人間にこびへつらうイヌを嫌っていたネコはこの後、自分が盗んだ魚をイヌの長に方面してもらう。その時、「昔、とある衰弱したイヌに、何匹ものイヌを殺したネコがいた。そのネコは死にかけのイヌに驚くべきことに施しをしてくれた。」という話を聞いて、反吐がでる気持ちになる。

しかし、あの時のネコに似た模様を持つネコ(この時、「とある」イヌだったのが、語りの流れで実はイヌの長本人だったことが判明するのもミソである)を見て、イヌは恩返しをしたかったと感慨深く「語る」。それに対して、ネコは次のように述べる。

だが、あのイヌとなら、いつか共に空をみていいかもしれないな、と少しだけ思った。                                          吾輩はネコである。                                名前はまだない。                                 この地下で『鉛筆』なるものを拾った。                     これは知らぬ誰かにも、思いを伝えることができる道具らしい。          吾輩は最期に                               この物語を記す。                             酔狂で忠義心の高い                                あのイヌとの物語を。                                      吾輩と共に空を見た                                    あの一匹のイヌの物語を。                        夏芽漱石『吾輩はネコである』結末部       

この小さな物語の最後、実は魚をネコが持っていったのかは明言されていない。さらにこの終わり際の文章は、感情を抑えた「事実」よりの語り方になっている。最初の一文、「と少しだけ思った」を抜くと、一気に感情を書いた文になってしまうだろう。最期という言葉が使われているということは、もしかしたらネコはサカナを取らずに死んでしまったかもしれない。

しかし、その残されたリアルな言葉の中で「イヌが語った話とその思いを伝える」という行為をしたことが伝えられている。感情的な言葉を介さずに、ネコがイヌに対して恩義を感じていることがはっきり伝えられているのだ。そして、そこには「猫がこの物語をきいてほしかった」という意志がこもっている。

そしてあなたが読んでいるこの物語自体が、ネコから託されている。そのことが判明した時、思わず読んでいた人たちはため息が止められなくなるのである。これは、イヌが語った一つの事実が、感情を伴ってネコにわたり、そして最期には読者のもとに届けられる、そうした時間体験を含めた「物語の力」をよく示した名文である。


なつめぇではなく夏芽漱石さんの作品の解説が長くなってしまったが、『人外教室』の方でもこのうまさはさらに磨きがかけられている。

『人外教室』は、プロローグを除くと基本的に人間零くんの一人称で進んでいく。そして、この人間くんが語る情報の抜き差しと、他のキャラクターたちが人間くんの目線に重なる、その掛け合いが魅力だ。

この小説の人外たちは、確かに自分の特殊さに苦しんだり、それぞれの考えが合わずにぶつかりあったりする。水月が人魚族だから、かまぼこを食べるのに困っていれば、一咲が代わりに食べてあげる。右左美さんから手紙をもらって、泣き始めたら、みんながどんどん泣き始めていく。それをいつも語っているのは、教師であり見守る人間であるヒトマくんである。

一人称の小説はこうした、蓄積されていく感情や物語を描くことに特化している反面、それがどういう状況かを一望する視点を描写することは苦手だ。だから、重要なシーンやキャラクターの様子が一望できるシーンが効果的に泉彩先生の挿絵で描いている。『人外教室』の場合、挿絵は「写真」と同じような効果を出している。



考えたこと② ーー自分勝手の意味が変わるとき

真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。実を云うと僕の妹も昨日真面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。君もこの際一度真面目になれ。人一人ひとり真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。――どうだね、小野さん、僕の云う事は分らないかね                      夏目漱石『虞美人草』

夏目漱石の『吾輩は猫である』の猫は、最期、ビールを飲んで酔っ払い、水甕の中で溺死してしまう。この小説の猫は、超能力を持っていて、半分テレパシーのような力で他人のことが分かってしまうらしい。でもその猫は、にゃーにゃーと鳴くことしかできない。猫は、死ぬ前も周りの先生たちを死ぬほど見下げて毒を吐き続けるが、その目線にはどこか愛が存在している。夏目漱石の小説は、坊ちゃんからこころまで、このような「コミュニケーションの差」「知識量の差」そして、「孤独」に対してどう接すればよいかという問いだったという。


『人外教室』には、難しいことばは出てこない。でも当然だが、小説が平易であることがその価値をなくすわけではない。

『人外教室』をよく読んでみるとこの小説に出てくる動物たちは、結構、明らかに人間くんが嫌いだったはずの「自分勝手」なやつらであることに気づく。それぞれの人外たちは、自分の言葉でニンゲンであることを目指す。果てはヒトマくんも、トラウマがあるとはいえ、よく見ると、休みの日にはひたすらゲームのことしか考えていない。その孤独な決意や言葉は、時に挿入されるモノローグとして現れる。

大事なのは、ヒトマくんをはじめ、人外教室の人たちのみんなは――時に、学校を脱走してまでも――目の前にいる人の願いに「真面目」に向き合っていることだ。それがギャグに聞こえようが、ケンカになりそうだろうが、きちんと向き合っている。「ニンゲン」になることに対して、それぞれが自分なりに考えた意味に、向き合っているのだ。その打ち返した言葉が、希望を生む時に、「自分勝手」なはずだった言葉は他人を想う言葉に、その意味を変える。

そしてその応答が、一つ一つ星のようにつながって、楽しげな教室の様子を描き出している。ひとつひとつの言葉や、教室から溢れてくる動物たちの声がこれほど喜怒哀楽のひとつひとつを描き出せているのは、作者がヒトマくんや羽根田さんたちと同じ視点に立って、キャラクターたちの声に耳を澄ませて、その子たちの考えたことに応えようとしたからである。作者は、物語りの最初の読者なのだから。

この文章ではあえて強くは細かい描写の話に踏み込まなかった。それはこの小説が一つの音楽であり、その人外たちの言葉に触れていくのは、それぞれの読者たちだからだ。(但し一点だけ、ヒトマ君と星野先生の見た目がそっくりなのはおやおや~~~~と感じたことだけは置き土産にしよう)。素晴らしい小説でした。これからも来栖先生とヒトマくんの進む道を見守っています。


参考文献

来栖夏芽 2022『人外教室の人間嫌い教師 ヒトマ先生、私たちに人間を教えてくれますか……?』

     2022『人外教室の人間嫌い教師2 ヒトマ先生、私たちの希望を見つけてくれますか……?』MF文庫J

いとうせいこう×奥泉光 2017『漱石漫談』河出書房新社

夏目漱石 1906『吾輩は猫である』青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html)

     1907『虞美人草』青空文庫                         (https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/761_14485.html)

太田祥暉他 2021『ライトノベルの新潮流』スタンダーズ株式会社

瀬戸賢一 2019 『書くための文章読本』インターナショナル新書


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