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空のむこうへ消えたきみと、一緒にいるための音楽 —―真心ブラザーズ試論


もしも一人の人間が、どうしてもやめられないことを見つけたとして
それは幸せなことだろうか。
もしも一人の人間が、心に避けられない傷を負ったとして、その人が幸せに生きる道はもうないのだろうか。


最近みていたVtuberの中で音楽に生きる人の話をよく聞いていたので考えていた。若いボーカロイドの曲を作る人と話すこともあった。
周りの若い人たちのはみんな、流行と時代をどうやって読むか、それとどうやって戦うかを考えているように見えた。特にYouTubeのランキングや、推しに見て欲しい気持ちで曲を作っている人にとっては、切実な問題だろう。

それは周囲との間をはかるために大事な謙虚さであると感じると同時に――私はその息苦しさ、答えを探し続ける戦いをずっと続けなくてはいけないような感じをぬぐえなかった。
いつか、人はいくら流行を追っていても、傷つくし老いる。
そして別れが来る。
そうして新しいものへの歩みが止まった時、人はどうすればいいのか。

そんなことを考えて、ふと、私が一番尊敬しているミュージシャンの話を書こうと思った。




真心ブラザーズは、1989年から活動を継続している倉持陽一(のちにYO-KING)と桜井秀俊による二人組によるグループである。
この二人組は、「アーティストに愛されるアーティスト」ともいえる二人組で、必ずしもオリコン一桁に並ぶヒットが多かったわけではないものの、奥田民生、HALCALI、PUFFY、マキシマム亮くん、サンボマスター、チャットモンチー、あいみょん、又吉直樹・・・と数多くのサブカルチャーや日本のロックに関わる人がその影響を公言している。
近年では宇宙三兄弟やカーリングシトーンズなど、YO-KINGがテレビにコラボで呼ばれることも多かった。そんな不思議な存在感のあるバンドである。


この記事では、特にYO-KING作詞作曲の曲を軸に、時系列順に真心ブラザーズの活動から私個人の解釈として見えてきたものを追う。どうしても桜井さん側の目線が欠けることになると思われるが、お許し願いたい。
なんせ30年のキャリアがあるグループのすべてをこの小文で把握できるはずがない。ここに描くのは、真心ブラザーズという物語の、私がみたひとつの軌跡である。キャリアの全てを網羅したものではないのはご理解ください。


初期THE真心ブラザーズ(1989-1995) ーー世界を斜めに見る


初期の真心ブラザーズは、フォークギターを中心に非常に短いタイプの曲を大量に作る、ギター少年のようなスタイルを取っていた。1990年から1992年に発表された『ねじれの位置』『勝訴』『あさっての方向』『善意の第三者』の四枚のアルバムがある。
「どか~ん」はニュースステーションや甲子園の応援歌にも使われるようになった、ホームランやスカッとする瞬間の気持ちをぎゅっと詰め込んだきょくである。同じようなタイプの底抜けに明るい曲に「花のランランパワー」「うきうき」「真夏といえども」などがある。

一方で、この時期はフォークの大会で勝ち抜いた曲である「うみ」を筆頭に、「君よりもっとこそくに」「君と金さえあれば」「うわさ」「きいてる奴らがバカだから」「ウジ虫以下」など、タイトルだけでかなり強烈な印象を残す、世間を斜に構えてみるような曲も多かった。
特に注目したいのは、後に忌野清志郎がカバーした「素晴らしきこの世界」である。

この曲は、おそらく真心ブラザーズの中で最も政治的なことを歌った曲であり、フォーク期からロック期への転換を予期させる演奏になっている。

前半では、普通に続く日常を歩む少年が、幸せに生きる日常を願う様子が、滔々とギター一本の音に運ばれてやってくる。その曲調を聞いていたら、突然、曲の中盤でブラスバンドの音が乱入してきて、民族紛争や飢餓問題の話が押し寄せてくる。そして、「オレはいつでもムキになる」の言葉の連打がやってくる。

この曲は、一歩ひきながら聞いてみると、なんでも自分の問題であるとしょいこんでしまう少年が、テレビの向こう側で起こる事件を見て本当に感情を揺さぶられてしまった様子を歌っているようにも聞こえる。
こうした目線は、やはり冷戦が終わった直後、湾岸戦争が起こるなどした時代に、ロックンローラーが持っていた精神をひとつ体現したものにあたるだろう。


中期真心ブラザーズ(1995-2001) ーーふっきれた若者と消えない傷


THEが取れた後の真心ブラザーズは、フォークを離れ一気にロック・ポップスへと接近していく。

真心ブラザーズのスタンスは、表のスタンスは初期からそんなに変わっていない。時代が変わろうと、何がおころうと自然体で楽しくいることである。

1995年以降、真心ブラザーズは1年半ごとに5枚のアルバムと1枚のベスト盤を発表した。

『KING OF ROCK』(1995)
『GREAT ADVENTURE』(1996)
『B.A.D.(Bigger and Deffer) 〜MB's Single Collection』(1997/ベスト盤)
『I will survive』(1998)
『GOOD TIMES』(1999)
『夢の日々〜SERIOUS & JOY〜』(2001)

私はデジタルの世代だが、それでもこのアルバムの出す速度が尋常ではないことはよくわかる。しかも、恐ろしいことに、これらのアルバムはそれぞれにジャンルを変えながら出されたのだから、ファンにとっても衝撃は恐ろしいものだっただろう。

『KING OF ROCK』(1995)


『KING OF ROCK』は、リード曲「スピード」をはじめとして、当時Beastie BoysやRUN-D.M.C.、Red Hot Chili Peppersが試みていたラップとロックの融合を、日本の文脈の中でもいち早く行った。ちょうどRUN-D.M.C.の2枚目のアルバムの名前も『KING OF ROCK』である。
特にLed Zeppelinを思わせるギターの音色をラップと絡めようとしたのも、かなり新しい。
「すぐやれ 今やれ」「今しかない 後がない」「マイリズム」「マイガール」など、一見すると快楽主義でわがままな言葉を並べているように見える。究極は楽しいことをしよう(「忠告」)としかいっていない。
それを伝えるためのリズムが、曲ごとにレゲエやファズ、HIP HOPのビートなどあらゆるコトバにしにくいリズムとビートの工夫が詰め込まれているのだ。


『GREAT ADVENTURE』(1996)

アルバム『GREAT ADVENTURE』は、前作のロック路線を引き継ぎながらも、そこからバンドメンバーであり、ソウルシンガーであるうつみようこさんの声を曲に取り入れる(「新しい夜明け」「拝啓、ジョンレノン」)、桜井秀俊さんのポップスを取り入れた曲(「君と一緒」)が出来るなど、のちの真心ブラザーズの活動の萌芽が生まれ始めている。

中期真心ブラザーズの特徴は、「ふっきれている」「SUPER NO BRAIN ROCK」という言葉が表しているように、言葉の意味のレベルでもいかにして考えずに楽しいところへ行くかを絶えず考えていることである。
ゆえに、曲の音数やドラムの手数、ギターの手数も多くない。
思ったことを気持ちよく外に出せるように、曲自体が作られているのだ。

1曲目「GREAT ADVENTURE FAMILY」は、ギター一本でつくられたシンプルな曲だ。2曲目の「新しい夜明け」は、ソウルフルで暗いトンネルから抜け出すような爽快感のある曲だ。
けれどもその曲たちがどことなく暗い色合いを持って聞こえるのは、それがいくら明るく聞こえようとも、常に自分の内面と向き合い、自分自身を鼓舞しようとしている曲に聞こえるからだろうか。


『I will survive』(1998)

『I will survive』は、真心ブラザーズで最も売れた、作曲家・編曲家としての桜井秀俊さんの才能が爆発したアルバムである。このアルバムでは全ての曲の編曲を桜井さんが担当。「BABY BABY BABY」「愛のオーラ」といったシングル曲たちは、まるでYO-KINGが前作で示した「楽しく生きる」ことが、そのリラックスしたなめらかな音楽として落とし込まれているようである。

日清食品のCM曲だった「サマーヌード」(1995)を、CHOKKAKUが編曲し、大ヒットとなったシングル曲『ENDLESS SUMMER NUDE』をリード曲としたこのアルバムは、のちに数多くのアーティストにカバーされることになった。アルバム全体をぼんやり聞いていると、ベースやドラム、コーラスが跳ね回り、幸せな気持ちが溢れてくる。

R&Bのように難しいリズムはこのアルバムでも慎重に廃されている。「サマーヌード」も、実はカラオケなどでメロディーラインを見るとAメロBメロは綺麗な階段状になっており、サビ頭で一気に高音がでてくる盛り上がりやすい構造になっている。
メロディーやリズムが比較的シンプルなのに、豊かな響きを感じられるのは、ひとえに彼らのバックバンドMB'sの演奏やリズム感が卓越していることがあるだろう。

ロック路線から転換したこの時期を象徴する曲が『RELAX~OPEN~ENJOY』である。粛々と生きる喜びをくれたことを感謝する歌詞を、ホーンの音が包んでいく。



『GOOD TIMES』(1999)

『I will survive』が桜井色満開だったところから一転、もう一度HIP HOPやレゲエ、さらにはファンクに近い部分をまぜこぜにしてやってきたアルバム。
シングル曲「サティスファクション」は、The Rolling Stonesの(I Can't Get No) Satisfactionをなぞらえていると思われる。

このアルバムでは、もう一度音楽性をヒップホップとソウルの方向へ戻し、しかも曲のタイトルの多くを英語にして出すという実験を行っている。前作で音楽と結びついたYO-KINGの思想はいよいよキレを増していく。


中期のポイント1 たいした人などいない ——ジョンの魂とNO BRAIN ROCK


ここで、特にYO-KINGの思想を中心に2点ポイントを捉えてみよう。

真心ブラザーズの曲は、時代によって恐ろしいほど変化していて、とらえどころがないように感じることも多いだろう。しかも、歌詞は難しい言葉を使っていないのに、何故か意味が捉えきれない。

その原因の一つはYO-KINGの持つ、エピクロスもびっくりの快楽主義的な側面があるだろう。おそらく言葉だけを捉えてしまうと、YO-KINGの言いたいことは「楽しいことをしよう」「愛を解き放とう」以上のことはない。
そして「NO BRAIN ROCK」「突風」「新しい夜明け」「ふっきれてる」といった曲からも分かるように、彼らの曲は悩みからの解放、緊張からの弛緩に音楽性も歌詞のメッセージの大部分を注いでいる。

シンプルなメッセージを文字通り「楽しく」「愛に包まれるように」ここまで音で表現しきったことに――つまり音楽の楽しさをここまで「体現」したことに真心ブラザーズの素晴らしさがある。

一方で、解放が必要だったということは、そこには影(緊張)もあったことを示唆する。



YO-KINGに大きな影響を与えたジョンレノンは、ビートルズ解散後の10年間で多くのアルバムを出した。ここでは1st『ジョンの魂』と2nd『イマジン』を取り上げよう。
ジョンレノンは、アルバム『ジョンの魂』を制作する際、アーサー・ヤノフという人に、原初療法と呼ばれる幼い時の苦しみを思い浮かべ、精神的なダメージの根源へと遡る治療を行った。その時に「MOTHER」や「I Found Out」「GOD」のような、原初的な気持ちを描いた曲が生まれた。


その中で「GOD」という曲では、仏教やエルヴィス、ボブディラン、王・・・といったこれまで自分たちが触れてきた信仰を一つずつ「信じない」と宣言していく。「神は私たちの苦痛を計る観念に過ぎない」と彼は考えた。
そして、最後は、ビートルズへの信仰をも否定した。彼は自分とオノヨーコという小さな「現実」を信じることを宣言する

ジョンレノンは、「LOVE」や「Imagine」という曲にもあるように、神のような、歴史で与えられた超越した存在ではなく、今いる自分の存在からひとつずつ触れることができること、そして自分が想像できることから一つずつ創造性を広げることを考えた
しかし、彼は1980年12月に自宅前で射殺されてしまう。結果として、神を否定したはずのジョンレノンは、むしろ愛と平和を唱えた音楽界の伝説のロックンローラーのような扱いを受けてしまう。



1996年にリリースされた「拝啓、ジョンレノン」は、真心ブラザーズの代表曲の一つである。そして、そうした亡くなったジョンレノンを前に、90年代の人々がロックンロールに対してどう向き合うかを考えた曲のひとつである。同時期の斉藤和義は、「僕の見たビートルズはTVの中」(1993)が、いくら歌を歌っても、自分が大好きなビートルズを好きでも世界を変えることのできない虚しさを描き出している。

一方で真心ブラザーズは、さらに過激にジョンレノンを「ただのダサいおじさん」であるとひたすらに、現実的な話をぶち込むことでかなりのセンセーションを起こした。当時いくつかの放送局では放送禁止にもなったと言われている。この曲について、YO-KING本人はのちにこう語っている。


ジョン・レノンの代名詞的に“愛と平和”が押し出され過ぎてたじゃない。もちろん、それもジョン・レノンの表面だけど、裏には相当な悪人っぷりもある。俺は両面だと思ってたし、どっちも語ることによって、愛と平和も真実味が増すと思うんだよね。愛と平和ばかり前面に出てる風潮に、ちょっとなんだかなっていう気持ちにはなってたから、ああいう曲になったんだと思う。
——ジョン・レノン本人も「いかれてる」って自認してますしね。
めちゃめちゃいかれてますよ。ビートルズのころの彼らのブラックユーモアの感覚はわからなかったけど、20代だからやり過ぎちゃうところがあったんだと思う。俺もその年齢のころはやり過ぎたし、そのやり過ぎたころがあるからこそ、ロックンロールの際どさや危なさが出てたと思うんだよね。
でも、あんないかれたやつが言うからこそ、「この人は本当に心から世界を平和にしたいんだな」っていう真実味というか、すごみが増すって思ってたんだよね。
——当時はその思いが正確には伝わらない部分もありましたね。スポーツ新聞には「ジョン・レノンを冒涜する歌だ」と書かれましたし、放送禁止にしたFM局までありました。
僕自身もいかれた時代だったので、今なら言わないよなっていう表現もありますね。「なんか、ごめんなさい」っていう(笑)。当時はね、本当に勝手な思い込みなんだけど、聖人君子みたいに扱われてる舞台から下ろしてあげたかったの。そのほうが楽なんじゃないかなと思って。もうちょっと、ちゃんと黒歴史を出してあげたかったっていう感じかな。

YO-KINGが語る『John & Yoko』【後編】(2020年)

実は、この姿勢は「空にまいあがれ」で大したひとなどいないと歌われているように、緩やかに唯物論的な目線で描かれているのではないかと私は考えている。
目線が徹底的に現在の、今ある感情に向かい合っているのだ。だからこそジョンレノンにYO-KINGがかけた言葉は「あなたの声はやさしい」という言葉になる。
それは、ジョンレノンも自分も「同じ人間」として見ることに他ならない。そしてポイント2で描くように、この目線は真心の曲に次々現れる「君」にも捧げられる。

一方で、「愛」や「楽しさ」という言葉を堂々と信じながら、一方ではある意味冷静に、神のような概念には頼らずに冷静に残酷な現実に向かい合おうとする。その姿勢は真心ブラザーズのみならず、John Lennonを知るバンドマンの心の通奏低音になっている。


中期のポイント2 繰り返し変奏される空のモチーフ ーーそこに現れる君の「不在」、そして・・・


真心ブラザーズの曲の中には、「君」という言葉が無数に出てくる。
面白いことに、この「君」は色々なアルバムを通して聞くと、例えばback numberのように曲ごとに違う相手を想像しているのではなく、どうも共通の特徴を持った一人の存在に見えてくる。

天才てれびくんにも採用された「空にまいあがれ」は、明るくて楽しげな曲にも関わらず、実は歌詞はかなり悲しげである。
一緒によく道を歩いていた友達の「君」がいつの間にかいなくなっていた様子を、暗い様子も出さずに歌っている。そして、YO-KINGはただひたすら君に対して「空にまいあがれ」と祈り続けている。

ライブでの人気曲であり、ベスト盤にのみ収録されている「JUMP」は、「空にまいあがれ」に近い時期の一曲である。
この曲でも、「君」に会うのはなぜか夢の中である。そして僕は君の顔を思い浮かべるが、実際に君には会っていない。真心ブラザーズの、特にYO-KING作詞の曲では、ほとんどの場合君と直接会った描写が出てこないのだ。
そして、この曲ではついにはっきりと、「君とはもう二度と会えない」と言い切ってしまう。そしてだからこそコーヒーを飲んで音楽を聴いて、楽しいことをして過ごそうとしている。

真心ブラザーズの、特にYO-KINGの歌詞においてほとんどの場合「君」と実際に出会った描写がことごとく省かれているのだ。「君」はまるで記憶の中の存在と言わんばかりに。
何故、こうも真心ブラザーズの歌詞では君が不在になっているのだろうか。

5年ほど前、そう思って昔の真心の曲を聞いていた時に、この答えらしきものを発見して衝撃を受けた。

真心ブラザーズが中期に入った『KING OF ROCK』所収の二曲目、「高い空」は繰り返し高い空に君の煙が昇って行ったことが歌われている。

この曲の中に、具体的な単語は一個も使われていない。お酒を飲んで笑ったことだけが書かれている。でも、これは火葬が一般的な日本に住んでいる人ならば「葬式」のことだと、直観的に感じるだろう。



そして、この曲のあと「空にまいあがれ」「JUMP」そして後述する『夢の日々~SERIOUS & JOY』のようなアルバムが、つまり空を思い浮かべる僕というモチーフの曲が繰り返し生まれたのだとすれば。
そこで空の向こうに「キミ」の存在が浮かぶことが多いことは、それ自体が、一つの物語を語っているようにみえる。(例えばこのブログなど)
その瞬間、音楽的にはロック、ファンク、ファズ、ソウル、ヒップホップまでありとあらゆるところを縦横無尽に、ひたすら楽しく駆け回った真心ブラザーズの歩みに、ひとつの、一人の人が悩み、ずっとある特定の大好きだった「君」の横で寄り添い続けたかのような、そんな一筋の物語りが浮かびあがるのだ。

大事なのは、私のこの解釈が本当だとしても、この曲を作った人がその不在で悲しむのではなく、代わりに残された人たちの生活を本気で楽しく生きようとした、その足取りだろう



夢の日々〜SERIOUS & JOY〜(2001年)

YO-KINGさんの思想を真ん中に置いて考えた時、最も重要なアルバムは
『夢の日々〜SERIOUS & JOY〜』だろう。アルバムの中に入っている「流れ星」「橋の上で」「この愛は始まってもいない」の三曲は、別れの三部作という名前で当時三ヶ月連続発表されたものだった。インタビューによれば、これらの曲は、吉田拓郎「流星」を超えることを考えて作られたという。
文章としてはアンバランスになるが、なるべく多くの曲を紹介させてほしい。

これまで「君」と、幸せな思い出を描いてきた人たちが、突然「別れ」の歌を歌い出した。その時起こったのは、それまで内に秘めていた哀しみの奔流だった。
アルバムの一曲目「流れ星」には、「空にまいあがれ」ではぼくらだけが知っている近道という二人だけの秘密だったものが、今では避けて通るものであると語られている。悲しみを歌うYO-KINGの声に、泣くようにうねるギター。そして、この曲の主人公は夜空の流れ星に向かって、今は存在しない君への哀しみを歌う。

二曲目の「この愛ははじまってもいない」は、ゲストボーカルに「木綿のハンカチーフ」の太田裕美、ギターに鈴木茂が参加。そしてこの曲はまさに「木綿のハンカチーフ」の裏のような曲になっている。
この曲では、自分の気持ちを伝えられなかった男女がお互いがお互いに、静かに相手のことを想っている様子を歌っている。そして、時代に取り残されてしまった人が、最後に思うのは今は会えない「君」だったことが示唆される。サビに、太田裕美さんの声が重なる様子は、実は男女共に本当は同じ思いを想っていたかのようである。

四曲目の「橋の上で」は、桜井秀俊作詞作曲、編曲石川鉄男による一曲である。こちらも、流行に流されて新しい街へ行こうとする男性と、それに対してなんともいえない感情を持っている女性の物語りである。
橋の向こう側とこちら側は、昔より黄泉の国のこっち側とあっち側として象徴的に使われることがあった。だとすればこの橋の上は夢の向こう側とこっち側で複雑な心境を揺らしている男女の様子を描いているように聞こえてくる。

五曲目の「人間はもう終わりだ」と十一曲目の「明日はどっちだ!」は、どちらも後にYO-KINGがソロで活動するメンバーたちと作った曲である。特に「明日はどっちだ!」は、君の存在とうまく行かない今へのいらだちを爆発されたロックチューンとなっている。

七曲目の「ひこうきぐも」は――もしも私の解釈があっているのなら――去っていった「君」がいないことの後悔と、そこにとどまることができない歌い手が、きっちり決別をつけようとした曲であるように聞こえる。
真心ブラザーズが、常に「君」への歌を歌い続けていることを考えるなら、「毎日同じことしてる」という歌詞の痛切さや、忘れられない「君」の存在に「さようなら」を言うことの苦しみがありありと伝わってくる。
そして、その空にはひこうきぐもが広がっている。

九曲目の「遠い夏」では、ついに本当は死にたかったこと、自分を愛してくれる人が欲しかったこと、そして二度と「君」のこない部屋で、あの幸せだった夏の日々に帰れないことにもがき苦しむ一人の人が描かれている。
YO-KINGのがなり声が、これほど哀しみを呼ぶように使われているのを聞くと、胸が突き刺されたような痛みを覚える。

十二曲目の「重なるように」では、19歳の時に出会った君の姿をずっと頭の中で自分と重ねていたことが静かに歌われる。この歌い手は、当時でも19歳近くの年齢ではない。そしてこれまでの真心像とは逆に、欲望を消そうとしていた一人の青年が描かれる。
そして、この曲でも君の姿は高い空に消えていく。19歳の君のことを想ったまま、この世界を呪い死ぬことまでも、宣言される。

十三曲目の「FLY」は、熱闘甲子園のテーマになった曲である。しかし、これまでのアルバムの流れを知れば、この曲が繰り返し高い空の上に飛んでいくことを何故ここまで叫ぶのか、おのずと意味が浮かび上がってくるはずだ。
この曲もまた、夜空の上に心通わせた人がいることをずっと歌っている。
ここまで狂おしいほど愛した人のことを想った曲を、私は知らない。

十四曲目の「夕凪」はこれまで緊張が続いた曲のなかで、一気にその緊張をほどくような、夕陽が差し込んでくるようなほっとする曲である。
波風の静まった海と空を見上げて、歌い手は君のことを考える。そして君に「天国の扉」の列にならんで欲しいと静かに言う。
去っていく人ともつながっているという思いは、一方で今はもう「君」がいないことを一方で受け入れていることだともいえる。
だとすればこの曲は、好きな人に幸せでいてほしいというひとつの祈りである。

十六曲目の「それが本当なら」は、シングル「人間はもう終わりだ!」のB面に収録された桜井秀俊さんの曲である。この曲を聞くと、当時の人が真心ブラザーズが終わってしまうことに寄せた気持ちがどことなく感じ取れる。

桜井さんの方もまた、YO-KINGの曲に想いを寄せていた。
その曲が祈っていたのは、大きな神様の存在でも、超常現象でもなく、ただ目の前にいる好きな人との小さな愛がつぶれてしまわないことだった


人は、一人の人を想うだけでここまでの景色を作りだすことができる。
それは、自分らしく自然体であること、目の前の人に正直であること、そして大好きな人のことを、出来る限りの工夫と楽しさと一緒に歌い続けた人々が見た、一つの祈りだった。
これが真心ブラザーズに、私がみた一つの風景だった。



私個人は、このアルバムが真心ブラザーズの入門口だったし、このアルバムから知ることが原体験であって本当に良かった。
心からそう思う。



YO-KINGによるソロ活動(2001年-2005年) ーー夢は終わった


真心ブラザーズが活動休止になった後、YO-KINGは「DREAM IS OVER」と宣言する。それは、ジョンレノンがビートルズに対して宣言したのと同じように、真心ブラザーズの「夢の日々」の終わりを告げるものだった。
そしてYO-KINGは「生活に還ること」「オレ自身を信じること」を繰り返し歌い、ロックンロールの世界へ戻っていく。

以下が、YO-KINGのソロアルバムの一覧になる。このうち、前半の3枚についてみてみよう。

DEFROSTER ROCK(1999)
愛とロックンロール(2002)
IT'S MY ROCK'N'ROLL(2003)
O.P.KING(2003・奥田民生らとの共作)
音楽とユーモアの旅(2004)
日々とポップス(2007)
スペース ~拝啓、ジェリー・ガルシア(2010)
楽しい人は世界を救う(2010)

真心中期に発表された『DEFROSTER ROCK』(1999)では、「新 素晴らしきこの世界」や「いつかのうみ」といった、過去の真心ブラザーズを振り返る曲が入っている。曲調も、他の時期の真心にはない、トータスのようなポストロックに接近する曲調になっている。
『愛とロックンロール』は、真心の活動中止直後であり、YO-KINGが自分の人生と愛の意味を問い直すためのアルバムになっている。そして最後の曲「両親へ」で二人の肉親に感謝をつげて、アルバムを締めくくる。

『IT'S MY ROCK'N'ROLL』は前作の内省的な部分がさらに深まり、「豚野郎」(「生ゴミROCK」)など他の人に対する悪意や社会への不満、自分の心の中の悪意へと向かい合う曲が数多くある。
真心ブラザーズからの連続で言えば、シングル曲「ずっと穴を掘り続けている」では、明確に「夢の日々」に対するあこがれとなつかしさが歌われている。しかし、1曲目の「死ぬまで遊ぶ」が、いくら強がっても避けられない虚しさに抗うことを静かに祈った曲であるならば、これは真心ブラザーズの裏で、見ていた光景なのだろうか。



後期真心ブラザーズ(2005年-)

2005年に真心ブラザーズが復活すると、その曲調は大きくポップ路線によっていく。「Dear,Summer Friend」は、サマーヌードの続編として桜井さんが大人になった後も続く夏について描いた曲である。
この後「I'm in love」「All I want to say to you」(なんとサビがほぼ全ての母音で韻を踏んでいる)と桜井さんのポップ節が炸裂した曲が増えていく。

YO-KINGの思想を中心においてみるこの文章では若干控えめの言及になってしまうが、桜井さんの編曲についても、いつか固めて聞いてみたい。

Song of You(2011)

「Song of You」は、真心ブラザーズ活動20周年を記念したアルバム『タンデムダンディ20』に収録されたリードトラックである。この曲は真心ブラザーズのふたりが、彼らのバンドメンバーと一緒に河原で楽しくバーベキューをする様子を描いている。

この曲の中には「15の夏」に音楽に出会ったこと、「19の夏」(「重なるように」と同じ年齢である)に恋に落ちたことを描いている。そして、同じアルバムの次の曲「20の夏」は、ちょうど真心ブラザーズが20年(つまり20回の夏)を乗り越えてきたことを歌っている。ここでも君とはずっと(20年)で会えていないことが示唆されている。
タイトルの「Song of You」は、まさに彼らが20年間歌ってきたことをありのまま示したものである。

このころから、徐々に桜井さんのポップネスの中にYO-KINGの歌詞をどう乗っけていくかを探ろうとしている様子がうかがえる。桜井さんとYO-KINGの共同作詞作曲の曲が増えていく。



消えない絵(2013) ーー空に描き続けた誰にもみえない絵

消えない絵は2013年に発売された、テレビアニメ『宇宙兄弟』のOPである。この曲については、原作者の小山宙哉さんからのリクエストがあり、作られたものだった。
そして、これまで真心ブラザーズの足跡をみてきた私から見ると、この出会いは、真心ブラザーズのふたりにとっても大きなものではないかと感じる。

この曲で、YO-KING(と思われる)人は、はっきりといつも僕の中に君がいたこと、そしてここまでずっと遊んできたことが静かに歌われている。
文脈を知らない人にとっては、それは宇宙兄弟の主人公たちが空に託した祈りとして見えるだろう。一方で、これを真心ブラザーズの曲として取るのなら、それは一つのささやかな告白のようにとることもできる。
是非お聞きいただきたい。

彼らが辿ってきた道のりは、活動休止も含めて決して平坦ではなかったことは想像できる。等身大の自分であり続けること、童心をわすれないこと。
そして大切な人への思いをわすれないこと。
心にある傷も、それも全て抱えて楽しく生きること。


それを続けてきた真心ブラザーズの二人の周りには、すこしの秘密もありながら――大空に込めた祈りのように、星たちがきらめき続けている。



終わりに ーー人が音楽に夢を込めたとき



真心ブラザーズがやってきた音楽は、おそらく今の音楽シーンとは違う場所にあるものである。
でもこの人たちがずっと魅せてきたものは、いくらダサいといわれようと、不敬だといわれようと、自分の思っていたことを言い、楽しいこと、大切だと自分が思うことを手放さないことの意味だった。
自分の心にまっすぐであることの大事さだった。
自分の心の傷にすら、まっすぐであった彼らの見せたその青空は、いまも必ずしも目立たないかもしれないが――多くの人を惹きつけ続けている。


最後に、真心ブラザーズのお二人にこのような素晴らしい音楽を今も作り続けてくださっていることの感謝を申し上げます。
私も、「素晴らしきこの世界」という曲のように、必ずしもこだわらなくていいことにこだわって人を傷つけたり、間違ったことをしてきました。けれども、それでも立ち上がることができるのは、子どもの時から、愛する人に対してまっすぐな姿を見せ続けたお二人の姿があったからでした。
これからも、ずっとついていきます。



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