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大学中退の話とコンプレックスだった吃音が気にならなくなった


書きたいことはたくさんあるような気がするのに、何を書こうかなぁと迷っています。

こんにちは。



と思っていたら3700字になってしまいました。
だらだらと綴っています。お時間ある方、良ければ。


1.過去記事の紹介とビュー数


大学を中退した話です。
このブログで過去2番目に読まれてます。



長いんです、3つもあるんですよ。話しすぎだろって思ったけど気持ちが止まらなかったので、読み手など考えずにひたすら手を動かしてた記憶です。これは①です。


ビュー数がこちら。
過去1は昨日も書きましたが温泉です。

他の記事は1記事あたり200〜300ビューほど読んでもらっています。好きなこと書いていて読んでもらえる。noteの人々ほんとうに優しい。




2.自分のためなのに共感される


誰かのための文章を書きましょう
は文章術の本を読んだってブログでお金を稼いだ人だって、みんな口を揃えて言うかもしれません。けど、だれかのための記事よりも。言いたいことを書いた記事が一番自分が救われ、読まれてました。



温泉は楽しい気持ちを込めましたが、大学中退は誰にも言えなかった過去の暗い気持ちを存分に込めました。顔出しもしてなかったので「えい!」でした。



誰も読んでないからと書いた個人ブログが4000ビューも読まれてしまい、Twitterで知らない人が「なんか共感してしまった」と不満げにツイートするくらい、ブログには気持ちがこもっていました。




3.吃音を自覚したきっかけは一人の男の子



記事を書いた当時は人に対する不安が強かったんですね。周りの目も気にしていたし、ちゃんとしなくちゃ、って思ってばかりで。でもちゃんとできない自分に劣等感がすごくて。



発信しよう!と思っても、私は昔から緊張すると言葉が出なくなってしまうんです。だから自己主張なんて、と思ってました。ひどくはないんですが、吃音です。



それがずっと気になっていて、この記事に落とし込みました。



「ななな、なんで〜?どどど、どうして〜?」と小学生の頃に一人の男子に何度もからかわれました。それがずっと心の中にありました。



「私は話し方がおかしいんだ」、と思うと内向的だったのがさらに他人に心を閉ざします。頭に文字は出てきます。話そうとしても言葉が喉でつっかえるんです。家族や友人にはほぼ大丈夫なんですけどね。



それがすごくコンプレックスでした。いくら見た目を気にしていても人が怖い。話すと馬鹿にされるかもしれない。人と話したくない。



サブウェイの注文とか分かりますか?一つずつ聞いていくんですよ、後ろに人が待ってるときに。



すっごく緊張しちゃうんです。電話もそうです。自分からかけてるのに言葉が出てこないとかありました。まじ迷惑。



4.転職先でめちゃくちゃ吃った過去


簿記の資格を取って事務に転職したときも、使い物にならない。なぜなら私は事務員の仕事である電話に出れないから。取引先はIT系が多く、メールで済ませられる会社が多いのが救いでした。



それに電話を受けたのに会社名が言えないことも多々ありました。仕事だ、と頭でわかっていても、誰が電話の先にいるか分からない不安が一瞬でドッ押し寄せるのです。そして口は開けど言葉が出ない。



しかし何かあれば電話は鳴るんです。追い込めばいけると思って、とりあえず受話器を取るんですよ。取ってみても言葉は出てこないくて、5秒から10秒くらいは固まってしまいます。「もしもし?」と聞かれても言葉が出ない時はたくさんありました。



「すいません、株式会社◯◯です」とちょっとアクシデントみたいに電話に出ますが何も起こってません。私が緊張しすぎるのです。



部署内で「なんだ…?」って視線が向けられます。新入社員なこともあって「大丈夫、緊張しなくていいよ」って最初は優しく声をかけてくれたものの2週間経っても電話を受けられない。電話を受けるだけなのに、それだけなのに、私にはできない。



そのうち察して営業さんたちが電話を受けてくれるようになりました。何も言わないのが少し怖かったんですが、優しい人たちだったので助かりました。



上司から「なんでそんな緊張してしまうん?」と聞かれても、わたしには分からないのです。むしろそんな言葉ですら責めてるように感じられ、泣きそうになりました。情緒が不安定すぎる。



お仕事をやらなくちゃ、なのに私はそれ以外もミスばかりでした。「なんであの子採用したの?」とか「顔採用でしょ」って採用担当が私の目の前で言われます。「いや、僕は大丈夫だと思うよ」と言いますがその顔は曇ってます。




違う、私は勉強してきたんだ…!と思っても大学中退です。それも5流の。輝かしい経歴などないのです。簿記の3級を取っただけです。



情緒不安定で電話にも出れなくて使えないやつ。すぐ辞めるだろうこいつ、って空気をすごい感じてました。それでも辞めるつもりはありません。



もうこれ以上コンプレックスを増やしたら動けないまま30代になってしまうかもしれない。もう、後がない。どうにかして仕事ができるようになりたい。転職当時は25か26歳でした。



冷たい空気をびしびしと感じてましたが、電話以外の仕事には一つずつ取り組みました。



注意散漫でミスが多く、やっぱり使えないやつです。それでも辞めたくない。一人での業務でしたが「ちょっと札幌の人やばない?」ってことで東京本社の人がわざわざ研修しに来るほどでした。



そんなことも経て、どうにか仕事ができるようになった頃。



この研修しに来てくれた方が関連会社へ出向することになり、さよならメールが届きました。内容は「あの状況でよく堪えましたよね。誰にでもできることではないです。がんばりましたね」と。



????????



あの状況、というのは私からすると電話が取れないことがコンプレックスで悩んでたのですが。そうではなく、会社がいろんなシステムを入れ替えてた時期でトラブルが全国各所で起こって退職する人も多かったみたいなんですね。



そんなことは知りません。やれ、と言われたからやったのです。仕事だから分かりづらいマニュアルを作った人に確認し、確認してるのに「僕?僕もわかんない、あはは」と言われたのは1度ではないのです。



「なんだ、この人も分からないのか・・。それは困ったなぁ」と電話しながら二人で終わらない仕事をどうにか試行錯誤を繰り返して終わらせたものでした。そんなもんだと思ってたんです。けどもうちょっと会社って整備されてるものだったんですね?知りませんでした。




そんな経験を経て「仕事は誰かが完璧に終わらせるものではなく、誰かと助け合うもの」だと思うようになりました。



そして「自分はとても迷惑をかけた」と思って申し訳なくて、札幌にきてくれた方に顔を合わせづらいと思ってたんです。でも違いました。頑張ろうとする過程を見ててくれる人はいるのだと、そのときはじめて知りました。



そのメールが届いたとき、「電話も取れなくて顔採用で取り柄もないまじ使えないやつ」だと思ってた自分が違う風に思われてたことを知ります。



大学を中退して何もないと思ってた自分だけど、少しは良いところがあったのだと思いました。




その頃には「人って優しいんだ」と思えるようになり、対人不安も減って吃音が出る回数が減っていきました。まだコンプレックスはあります。が、喉に手を当ててみたり、焦らずに一呼吸置くことで緊張しないことが増えました。




「気にしすぎ」だったのかもしれません。実際、吃音が気になりますと初めて泣きながら打ち明けたときには「あなたの吃音…?気になりませんけど…?」とポカンとさせてしまいました。




けど私の心の中には確かに男子に馬鹿にされて「話し方が変なんだ」と悲しくなった自分がいました。こんな自分にはいろんなことをするのは無理で、細々と暮らしていくしかないんだと。



決めつけだったみたいでした。自分が変わろうとした分だけ、目の前の現実は変わるのだと体感しました。動けば変わる。本当にそうでした。



5.この中退の話のその後


この大学を中退した話を3まで読むと、コーチングを受けながらプログラミングを学んでいます。手に職を!と思いました。3ヶ月学びましたが全然頭に入りませんでした。「向いていない」の実感です。




そして次は「営業やってみたい」です。知らない人とも話せるようになった私なら、このお仕事ができるんじゃないかと思いました。緊張しましたが、こっちはできました。揉まれましたが。


数年前まであんなにコンプレックスだった大学中退と吃音は、いまではそんなに気にしてないです。言えなかった過去を打ち明けたことで私が勝手に救われたのです。



そして言えなかった過去に共感してくれる人が一人でもいるのです。それが発信。すごいですよね。いままで言えなかった過去を受け入れてくれてありがとう。



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何も押し付けません。安心してね。またね。

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