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【教育論】オンライン授業の伸びしろがありすぎる

――同じ教師が、同じ題材で、同じ一時間目の授業を展開したのに、対面で行ったクラスの授業よりも、オンラインで行ったクラスの授業の方が、進度が20分くらい遅かったのです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「オンライン授業の伸びしろがありすぎる」というテーマで話していこうと思います。


◆コロナが変えてくれたもの


普段は創作に関する記事を投稿しているんですが、実は僕は教育学部の大学生でして、現在教育実習中ということもあり、教育に関する記事を投稿しています。

今回は、もう旬な話題とはいえませんが、これからも引き続き向き合っていかなければいけない課題について話していこうと思います。


オンライン授業のことです。


新型コロナウイルスのせいで失ったものはいくつもありました。しかし、新型コロナウイルスのおかげで変わったこともありました。そのうちのひとつが教育界の変化であることは言うまでもありません。

感染拡大防止を徹底するために、学校には行かずにパソコンを使ってリモートで授業をする必要に迫られたのです。全国の学校現場には学習者に一人一台のタブレット端末が支給され、学びを止めない対応がされました。

いわゆる「GIGAスクール構想」というものです。


本来5年かけて実現する予定だったそうですが、コロナ様様でおよそ1年でほぼほぼ実現したといわれています。

僕の実習先の中学校でも一人一台タブレットを持っていて、学習面に限らず生活面でも利用されています。便利なツールなのです。


しかし、機材が充実していてもその使い方を間違えれば、以前よりも不便を感じる事態になりかねません。残念なことに、教育の現場ではそういった「事故」が起こっているのです。


今どうして僕がオンライン授業の話をしようかと思ったかっていうと、僕にとってタイムリーな話題だからです。

実は、僕が配属された学級が学級閉鎖になってしまいました。それに伴い、実習生も自宅待機。それでも実習は続けなきゃなので、この1週間はオンラインで参加することを強いられました。円朝でも延期でも中止でもなく、無理矢理続行です(笑)

おかげさまで、僕が今週担当するはずだった授業が5時間分消えました。2クラス合わせて10時間担当する予定だったので、前半の半分が消えたことになります。代わりに実習先の教師がやってくれました。

なんでこういうことになるかなあと不条理を思いつつ、誰のせいでもない仕方のないことですので割り切りました。他のクラスの実習生にはできない経験をしていると肯定的に捉えました。

そんなこんなでZOOM越しに授業を観察する日々が、この1週間続いたのですが、結論からいうと、「オンライン授業の伸びしろがありすぎる」という結論を得たのです。


◆オンライン授業のなかの事故


自宅待機中、僕が観察した授業には2種類あります。

①対面とオンラインのハイブリット型
②オンライン

②は僕の配属学級の授業だけだったので、主に①の形態の授業に参加しました。


①の授業には、実は僕以外にも何らかの事情でオンライン参加している生徒がいたんですが、そういった生徒に対する配慮が足りないなと思いました。

オンラインで画面共有される映像は、黒板を映しただけのものです。それを垂れ流すだけです。黒板の前の机に置いて、カメラをオンにしてあとは基本的に放置。それ以降、何かこちらに働きかけることはありません。

サイズ的に黒板全部は入らないから板書が見切れることはあるし、教師の姿が映らないこともあるし、タブレットから離れた場所にいる生徒の声は全く聞き取れないので、今、何が行われているのか把握するのが難しかったです。


②の授業にも問題はいくつもありました。

学級閉鎖になった僕の配属学級の国語の授業(本来は僕がやるはずだった授業)に参加したんですが、はっきりいってやばい。

教師が問いかけても、生徒は反応してくれません。生徒からしたら発言しにくいんだと思います。わざわざミュートを解除して、自分の意見を伝えなければいけません。みんなカメラオフにしていますから、相手がどんな顔をしているのか分からないまま発言しなければいけないので、対面では生じ得ないプレッシャーに駆られるのでしょう。

教師が特定の生徒に呼びかけても返事が返ってこなかったりとか、教師への個人チャットに変なコメントが来たりとか、通信のせいで上手く授業に参加できない子がいたりとか、問題づくしでした。

また、同じ教師が、同じ題材で、同じ一時間目の授業を展開したのに、対面で行ったクラスの授業よりも、オンラインで行ったクラスの授業の方が、進度が20分くらい遅かったのです。教師が問いかけてもなかなか反応してくれないので、ずるずるずるずる長引いてしまったのでしょう。


◆オンライン授業の伸びしろ


僕が大学1年を迎えたときにコロナが猛威をふるったので、前期の授業は全部オンラインになりました。僕らの代が、オンライン授業元年というわけです。3年経った今でも依然としてオンラインという形態で授業が行われることは珍しくありません。オンラインづくしの大学生活だったので、その良し悪しをそれなりに理解しているつもりでしたが、もっとちゃんと向き合う必要があることを再認識しました。


たとえばオンライン授業の問題点といえば、「一方的な授業になりやすい」ことが挙げられます。

最近僕の記事ではやたら「主体的・対話的で深い学び」というフレーズが登場しますが、時代の流れがこれを重視するようになったからです。自ら考え、他者と共有し、ふりかえることで学びを深めていく。そんな学習を目標としなければいけないのですが、オンライン授業きたら、基本的に授業者が一方的に抗議して終わりです。

大学なんて特にそうです。「アクティブラーニングが大事ですよ」「生徒の主体性を尊重しましょう」という学びを、一方的な講義形式の授業で教わるというネタが生まれています。

もちろんブレイクアウトルームといって、グループ活動をするための機能が備わっていますが、オンライン上で上手くコミュニケーションが取れるかといわれると首を縦に振れません。大人ならまだしも、小学生や中学生には難しいものがあると考えます。


オンライン授業。

まだまだ伸びしろがあるなと思いました。


楽とか便利とか言われることが多いオンライン授業ですが、充実した教育を展開するためには解決すべき課題が山積しています。

この教育実習中に答えを探ることはできそうにありませんが、「オンラインの使い方」は教育に限ったことではないので、これからも引き続き考えていきたいです。


最後まで読んで下さりありがとうございました。

20220910 横山黎




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