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どうして芥川は桃太郎を「天才」と呼んだのか?


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「卒業論文『芥川龍之介研究 『桃太郎』を中心に』の第8章『桃太郎という名の天才』の原稿を共有する」というテーマで話していこうと思います。



📚桃太郎という名の天才

 芥川『桃太郎』の第六節で、「善」の存在でもなく「悪」の存在でもない「天才」という存在が現れた。そして、それが指しているのは桃太郎である。これまで検討してきた他の再話作品との比較も踏まえて、ここで芥川『桃太郎』の登場人物たちの属性を整理する必要がある。平和を愛する鬼たちを「善」の存在と見なす点に相違はない。もっとも、物語後半、人間の島へやってきて復讐を始めるわけだから「悪」の存在と化したと捉えられるが、ここでは議論の種にはしない。議論の種にするべきは、桃太郎である。第四章の鬼が島征伐の表現にもう一度注目する。

「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の好い家来ではなかったかも知れない。が、饑えた動物ほど、忠勇無双の兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴に鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺す前に、必ず凌辱を恣にした。……

芥川龍之介『桃太郎』

 第二節で鬼が島征伐に犬猿雉の三者を巻き込んだ桃太郎だが、当の本人は直接手を下していないことが分かる。桃太郎の号令によって犬猿雉が鬼の征伐を始めるのである。この後に鬼の大将に詰め寄るが、桃太郎は自ら鬼退治をした描写はどこにもないのである。昔話や絵本のなかでは自身の刀を抜いて鬼を切りつける桃太郎が描かれることが多いが、芥川『桃太郎』において桃太郎は鬼退治をしていない。鬼退治を仕向けただけなのだ。些細な点ではあるが、看過するべきではない。ここで描かれているのは、桃太郎という名の「天才」によって、犬猿雉という「獣」たちが、鬼という「獣」たちを亡ぼす様なのだ。「獣」同志を争わせた「天才」桃太郎は、復讐を始めた鬼たちに対して「どうも鬼というものの周年の深いのには困ったものだ」と顔を渋らせる。自らが従者を巻き込み鬼が島を征伐した「罪悪」がきっかけであるのにも関わらず、それに罪の意識を覚えることもなく、「嘆息を漏ら」すだけである。芥川『桃太郎』における桃太郎は「善」や「悪」といった次元で語れない存在であり、同時に彼を形容する「天才」とは「善悪」とは別次元の存在であることが再確認できる。


 ここで、芥川『桃太郎』、芥川『猿蟹合戦』、芥川『かちかち山』の登場人物たちの属性を「善」「悪」「天才」の三つに分類して整理することにしよう。作品が公開された順番にみていくとする。


 芥川『かちかち山』では、再話するにあたり善悪の反転は起こっていない。兎が「善」の存在であり、狸が「悪」の存在である。兎は老人の妻の仇を討つために狸に復讐を果たすが、それを仕向けたのは老人である。ここに芥川『桃太郎』と同じ構図が見られる。すなわち、従者を巻き込み、自らは手を下さない存在が描かれているのだ。

 芥川『かちかち山』では、老人は「獣性の獣性を滅ぼす争ひ」を遠くから眺め、「狸が乗つてゐる」と思われる「黒い舟」が「沈んで行く」光景に、「涙にぬれた眼をかがやかせて」歓喜しているのである。この老人こそ、芥川『桃太郎』でいうところの桃太郎であり、「天才」の存在とみることができるのだ。芥川『かちかち山』を草稿とする『教訓談』では、「善」あるいは「悪」の存在である「獣」が「我々」であることを指摘している。

 最後に読者に対して「あなたの耳は狸の耳なのでせう」と突きつける点からも、芥川『かちかち山』では寓話的に示唆していた「獣」と「天才」の存在を明らかにしようとしている意図が読み取れる。これは、次の芥川『猿蟹合戦』でさらに分かりやすくなる。


 芥川『猿蟹合戦』では、仇討ちを終えた蟹に死刑判決が下される。昔話では「善」の存在として語られていた蟹が、「悪」の存在として語られていく。一方の猿は、蟹の仇討ちによって死んでいるために登場することがなく、「善」の存在は欠落したまま話が進む。代わりに描かれるのは、蟹を「悪」の存在と化させる輿論であり、天下である。

 物語終盤、「蟹は必ず天下のために殺される」とあるが、芥川『桃太郎』や芥川『かちかち山』に見られるように、天下は直接手を下していない。蟹を「悪」の存在に仕立て上げるだけであった。天下を「天才」と呼ぶことに異議はないだろう。そして、最後に「君たちもたいてい蟹なんですよ。」という一文で結んでいることから、「天才」の存在である天下に、「獣」である読者が殺されることを示唆しているのだ。


 以上の二作品を踏まえ、昔話の再話作品の集大成として書かれたのが芥川『桃太郎』なのだ。ここでも芥川『猿蟹合戦』のように登場人物たちの善悪を反転させているが、物語終盤に鬼が復讐を始め、「悪」の存在と化しており、その後の両者の行方を描かずに読者に委ねていることに注目すると、芥川『桃太郎』において論点が「善悪」ではなく、「天才」にあることをより明確にしたかった意図を読み取ることができるのではないか。だからこそ、物語から離れて、桃太郎を「天才」と呼ぶ第六節を添えたのではないか。

 最後に、桃太郎を形容する「天才」について検討していき、芥川がどのような文脈でこの言葉を使っていたのかを見ていこう。

 第四章の冒頭で、芥川の「僻見」という文章を引用した。芥川が上海にて章炳麟の「桃太郎」批判に衝撃を受けた事実を紹介するために一部分を引用したが、「もし長命であるとすれば、暮色蒼茫たる鬼が島の渚に寂しい鬼の五六匹、隠れ蓑や隠れ笠のあつた祖国の昔を嘆ずるものも、――しかし僕は日本政府の植民政策を論ずる前に岩見重太郎を論じなければならぬ。」というように、「桃太郎」から派生して日本政府の植民政策を論じようとした矢先、岩見重太郎の話題を書いている。実は、引用した文章は「岩見重太郎」という題が付けられており、それを語る材料として章炳麟の話題を登場させているのだ。

 岩見重太郎は、諸国を回りながら狒々や大蛇を退治した伝説で知られる、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した剣豪である。本文冒頭でも触れられているように、後に薄田兼相と名乗った。芥川は、「牢破りと共に人間の法律を蹂躙し、更に又次の狒退治と共に神と云ふ偶像の法律をも蹂躙した」岩見重太郎に「軽蔑を感ずる」といっている一方、「常にこの善悪の観念を脚下に蹂躙する豪傑」とし、「罪悪の意識に煩はされない」存在として捉えている。また、岩見重太郎のような「旺盛なる『我』」に「心を暖める生命の炎を感ずる」といっている。

 渡部が「迫りくる危機に対して、遅々たる進歩が間に合わず、追い込まれてしまった社会、『末世の衆生』は、人の方も紙の方も意に介さず蹂躙する岩見、あるいは〈超人〉や〈天才〉に望みを託さざるを得ないのかもしれない」と指摘しているように、不安の渦巻く不安定な時代における人々は、善悪の議論を二の次とせざるを得ないほど逼迫しており、岩見重太郎のような豪傑、桃太郎のような天才の登場を望んでしまうものなのだ。

 芥川『桃太郎』が書かれた当時はまだ軍国主義が色濃くなる以前の頃であるが、直前に勃発した関東大震災、それを機に引き起こされた朝鮮人や中国人の大虐殺事件、ロシア革命が引き金になった労働問題など、極めて不安定な時代だった。その後、時代は大正から昭和へと変わり、軍国主義と化した日本はさらに逼迫していく。国家神道に基づき、天皇を神聖視し、日本や日本国民の神格化をはかった当時の政府の政策、そしてそれに陶酔した国民たちは、現代から振り返れば滑稽に思えるほどである。

 しかし、日清戦争、日露戦争を経験した当時の日本国民を支えていたのは後に狂乱を生むほどのナショナリズムであり、反抗する者は少なくなかったに違いないが、血生臭い時代の風の吹く方へ従わざるを得なかった実態がある。それを踏まえると、国民ひとりひとりが、あるいは日本国が、日本一の旗を掲げ鬼が島征伐に向かう桃太郎に縋ろうとする心情には頷ける。従者を巻き込み、何か一つのことを成し遂げようとする「天才」の到来を期待してしまうものなのだ。たとえ「復讐」や「死刑判決」、「征伐」といった悪事だとしても、「心を暖める生命の炎」を与えてくれるのだから。



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