津野米咲さんの人生

津野さんが亡くなってしまって、誰の言葉も響かないし、何かアクションを起こしたいけど何もできず、ずっと津野さんを追っかけてた自分に何か出来ることはないかと思い、買い漁ってた雑誌やネットでの発言をまとめて津野さんの年表を作ることにしました。随時追記していくので気長にお待ちください。出演ライブ、観たライブは主なもののみ掲載しています。なお参照している情報の著作権は出典元にあります。特に出典元がないものは各公式サイトかご本人が発言・発信したもの、もしくは出典元が不明なものです。間違い等がありましたらコメントよりお知らせください。

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津野米咲(つのまいさ)
1991年10月2日生まれ、2020年10月18日没。
職業:音楽家・赤い公園。身長:168cm。体重:xxxkg。血液型:O型。(※21歳時点 「CUTiE」2013年8月号)
出身地:東京都立川市。長所:音楽が好きなところ。短所:音楽しか好きじゃないところ。趣味:音楽…鑑賞かなぁ。(「cast」2014年49号)
あこがれの人はユーミン
あこがれのブランド:マルタン・マルジェラ。よく買うブランド:ユニクロ(「CUTiE」2013年8月号、「FRUiTS」vol.197)
愛煙家。好きな食べ物はいちご(この世で一番好き)、グミ、ほうとう、ハンバーグ。好きなパンはカレーパン好きなジュースはバナナj…サイダー
好きな絵本は「こんとあき」。好きな本は嶽本野ばら「ミシン」。好きな漫画はカネコアツシ「SOIL」。好きな映画は「少年時代」
好きな遊びは脱出ゲームのアプリ(一時期iPhoneに113個もアプリを入れていた)、ルービックキューブ、クロスワードパズル数独マインスイーパ。純喫茶が好き。
詞曲編曲同時進行。曲を作っていると色や数字が浮かぶ。
あがり症。アニメ声。ど近眼(視力0.02)。猫舌海老アレルギー。顎をよく外す(顎変形症だった)小3からずっと肩が凝っている。偏頭痛持ち。ひざの皿の調子がよく悪くなる。腕が360度回転する。晴れ女だが日光が苦手。運動が苦手。手相の線がすべて薄い高いところ超無理
仏教徒ではない。(「CDジャーナルweb」、「MUSICA」2014年10月号ほか)

お父様は作曲家の、つのごうじ(津野剛司)さん。お母様はTwitterにたびたび登場していた、正美さん(エレクトーン講師だった、とも)。お兄様が二人いる(二人ともピアノを習っていた)。お祖父様は作曲家の津野陽二さん(夏休みにおじいちゃんの家に帰ったことがある)。お祖母様は津野朱實さん(カンボジアで「米咲」という名の食堂のオーナーをしていた。ここには元タカラジェンヌと書かれているが、詳細は不明)。

1991年10月2日、津野米咲さん誕生。

生まれた時から
・親が作曲の仕事をしていたので、カーペンターズやビートルズ、アース・ウインド&ファイアー、スティーヴィー・ワンダーなどいろんな音楽が家で流れていた。音楽が鳴ってない日はなかった。(「ミュージックマガジン」2014年4月号)
・小さいころから(お父さんがかける)音楽を聴くのが好きで好きで仕方がなくて、クラシックもポップスも片っ端からいろんなCDを聴いて、鼻歌でうたって、鍵盤を弾いて。そこに自分が参加できないのが幼心に悔しかった。CDの音量と自分が弾く鍵盤の音量が合わないことに「イーッ!」ってなって、それからEQというものを覚える。(「NEOL」
初めて喋れるようになった言葉は「あんぱんまん」

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↑津野さん2歳頃の写真(「ロッキングオンジャパン」2013年10月号)

1994年(2~3歳)
・4つ離れた兄がピアノをやっていて、ピアノ教室に通い始める(「ヤマハ音楽教室」、最初はエレクトーン、とも)。(「ワッツインテキスト」vol.2、「モノマガジン」2014年9月号)
・すごく劣等生で、窓の外のキャメルインというラブホテルの看板を見ていた。(「cast」2012年45号)→「くい」
・小さい頃、リトミックをやっていた。いわゆる音楽を使った脳の体操みたいなこと。(「ワッツイン」2014年10月号)
・「ちょりちょーりちょりちょーり、ちょりちょりちょ、うー!」というラップをする(タイトル「ちてるぼう」)。
・車の中でダイエーを見付けると「ダイエーだ」という歌を歌い始めるが、ダイエーを通り過ぎるとその歌がマイナー調になる。サンリオのマロンクリームちゃんの持ってる猫の歌を作る。(「cast」2014年49号、「ワッツインテキスト」vol.2)

幼稚園の頃
・バレエを始める。(「ワッツインテキスト」vol.2)

小学校の頃
・立川市立大山小学校に入学。
・小1の時、クマのぬいぐるみに「くまりん」という名前を付ける。(後に「ブレーメンとあるく」のジャケや「BEAR」という曲になる)。
・サッカーをやっていた。
・成績はめっちゃよかった。図工の時間、富士山の絵を描く課題で大噴火した富士山を描いて、先生から自宅に連絡が来る。お母さんは「キレイだね」って褒めてくれた。(「cast」2014年49号)
・平屋に住んでいて、隔週の土曜日だけ学校があって、お母さんがよくそぼろご飯を作ってくれて、お母さんに「こんなことがあった」と言ってた。その学校からの帰り道がいちばん幸せな瞬間だった。(「cast」2012年45号、「ワッツイン」2016年4月号)→「何を言う」
・小さい頃、モノを分解するのが好きでいつもドライバーを持っていた。リモコンとかを分解して怒られていた(しかしそういう子供の頃のことを引きずっているから曲作りが楽しい)。(「MUSICA」2013年7月号)
・兄が毎日ギターで岸部真明の「花」を練習していて、それがアコースティックギターのインスト曲との出会い。(「ギターマガジン」2015年5月号)
・公式には「15歳からギターを弾き始めた」と言っていたが、実は小学生の時に井上陽水の「傘がない」を弾けるようになった。テレビ番組で辻希美が「傘がない」のギターに挑戦していたのがきっかけ。(「ギターマガジン」2015年4月号)
・音楽教室ですごくいいオリジナル曲を作れたのに、先生に「ドとシを一緒に鳴らしちゃダメ」と怒られた。両親に「これはおかしいの?」って言ったら、お父さんに「おかしくない、そんな教室やめろ」って言われた。(「cast」2014年49号)
・小学生でSPEED、モーニング娘。ミスチル、スピッツなど邦楽に目覚める。aikoさんマジやべーってなって、次にミスチルやべっ!ってなって、スピッツ聴いて、SMAPってなんでこんな泣けるんだろ?ってなった。(「ミュージックマガジン」2014年4月号、「ギターマガジン」2012年7月号)

小学校中学年
・小3、ピアノ(エレクトーン)を辞める前に初めて「砂漠の王子」というオリジナル曲(Aマイナーのワルツ)を作曲。不協和音が妙に気持ちよかったけど先生に気に入ってもらえなかった。(2019年8月6日、NHK-FM「ROCK to the CLASSIC」で初披露。「モノマガジン」2014年9月号)
・ピアノ教室を辞める。(「cast」2012年45号)
・小学校中学年ぐらい、お父さんに椎名林檎の「加爾基 精液 栗ノ花」をもらって衝撃を受ける。(「ギターマガジン」2012年7月号)
・3~4年生の頃、ゴマキやプッチモニが流行っていた。その後℃-uteのメンバー募集が始まり、その時に見た矢島舞美が同い年だったことに衝撃を受け、この子を応援するんだと心に決める。親にハロコンに連れて行ってもらう。(「BLT」2013年11月号)
クリスマスは「クリスマスの約束」を第一回から漏れなく観ている(第一回放送は2001年)。

小学校高学年
・ガガガSPとロードオブメジャーが好きになる。(「ギターマガジン」2012年7月号)

2002年(10~11歳)
・6月19日、お父様が音楽を担当し、コーラスとして参加しているCD「だいすき!ぶぶチャチャ~音とふしぎのおもちゃ箱~」が発売(この前後の他のお父様の作品にもいくつか参加しているものがあるらしいが、CDにきちんとクレジットがあるものはこの作品のみ)。

2003年(11~12歳)
・TSUTAYAでバンプのCDを借りてバンド音楽を聴き出す。(「cast」2012年45号)
・イラストレーター326の長編アニメ企画『Jelly & Candy』の音楽(作曲はお父様)で劇中曲を歌うも、企画は実現せず。

中1になるまで
・お父さんと一緒に住んでいた。古めのアメリカンハウスで5LDKくらいの大きい家。グランドピアノやギター、ベース、アンプ、時には生ドラムもあった。上の兄がギターで、下の兄がドラム、父がベース、母がピアノを弾いてセッションをしていて、私は何もできなかったからリコーダーを吹いていた(カスタネットを叩いてた、と語っていることも)。(「cast」2014年49号、「セブンティーン」2013年9月号)
・家の門と玄関の間にドラがあって、腹が立つとそれを鳴らしてた。(「cast」2014年49号)
・父が曲を作るときに苦しんでる様子も見てきたから「音楽なんか絶対にやるものか、こんな仕事だけは嫌だ」って思ってた。(「cast」2014年49号)

2004年(12~13歳)
・中学に入学(立川市立第五中学校)。硬式テニス部に入部。(「ワッツインテキスト」vol.2)
・中1の時に両親が離婚。(「音楽と人」2017年5月号)
・父親と離れて暮らすようになってから父の様々な音楽を聴いてみるが、どうやったらこんなに心を使ったメロディが書けるのかずっと謎のまま。(「装苑」2016年2月号)
・お父様の音楽について、「ランドセルと一緒に下ろしたはずが忘れられないのはやっぱり音楽」と発言。

2005年(13~14歳)
・股関節を外して8年くらいやったバレエを辞める。中学校を転校(立川市立第七中学校)。転校先にバレエの友達がいっぱいいて、みんな吹奏楽部だったので吹奏楽部に入部。サックスを吹き、中3まで続ける。吹奏楽のフルスコアを読むのが好きだった。(「ワッツインテキスト」vol.2)
吹奏楽部の後輩に元しなまゆ、現Oh my!のモリユイがいるOh my!の名付け親でもある
・吹奏楽部時代に「アパラチアの春」に出会い、初めて自分でCD屋に行って探す。(「装苑」2016年2月号)
中2から19歳まで、3DKのマンションに住んでいた。部屋の天井にスピーカーがついていて有線が聞けた。BoAを聞いていた
・クラシックが凄く好きになる。チャイコフスキーがマジヤバイ!(「MUSICA」2012年5月号)
・吹奏楽をやっていて現代音楽に目覚める。久石譲、坂本龍一がやべー!(「ギターマガジン」2012年7月号)
・ポウジーズやペイヴメントを聴き始める。(「マーキー」vol.89)
・中学は公立なのにめちゃくちゃ厳しくてルールがキツくて不自由。(「MUSICA」2020年5月号)近所からクレームが来るほどの厳しさ
立川七中は家畜臭いただ制服はかわいい
・中学生の頃、校内のガムを吐いた跡を剥がす作業をよくやっていた
・中学生の頃、ひたすらくだらないことを考えてた
・中学生の頃、クラスのみんなが自分の居場所を確保するのに頑張っていて、特に女子は本能的に強いものの方に近付いていた。ドラマ「ロストデイズ」の脚本を読んでそんなことを思い出して、「絶対的な関係」が生まれた。(「JILLE」2014年3月号、「ワッツイン」2014年3月号)→「絶対的な関係」

2007年(15~16歳)
・高校に入学(東村山西高等学校)。吹奏楽部があまり強くなかったので軽音楽部に入部。ベースを弾きたかったが、じゃんけんに負けてギターになり、4月1日から1か月働いたお給料でギター(白田富子/5万6000円)を買う。(「ワッツインテキスト」vol.2ほか)
・メロコア熱が来る。the band apart、マキシマム ザ ホルモンが神。SHAKALABBITSも藍坊主もくるりもアイドルも好き。レディオヘッド、シガー・ロス、アルバム・リーフ、ドクター・ジョンをよく聴いていた。(「ギターマガジン」2012年7月号、「マーキー」vol.89)
・15歳の頃、「おやすみ」を作るも、恥ずかしいし稚拙だしでお蔵中のお蔵入りに。(「MUSICA」2016年4月号)→「おやすみ」

高校の頃
高校も公立とは思えないほど割と厳しかった。ただ制服はかわいかった
・ずっと本ばかり読んでいた。(「cast」2014年49号)
・お昼の放送でKREVAをずっと聞いていた。(「まんたんweb」
校内スリッパの左に「つ」、右に「の」って書いてた
・℃-ute好きの子と仲良くなり、再びハロコンに行くようになる。(「BLT」2013年11月号)
・(これまでの人生における「ラジオで聴いて一発で好きになってしまった曲」について)高校生の頃、外で聞いていたラジオからトクマルシューゴさんが流れてきて、夕暮れにぴったりで、お母さんのところに早く帰らなければならない、こどもに戻った気分になる。(「レジーのブログ」
・学生時代、通学中にラジオを聴いていて知らない曲に出会うのがすごく楽しみだった(だから、「ゆうパラ」ではみんなはあまり知らないかも?と思う曲もガンガンかける)。(「NHKウィークリーステラ」2020年10月23日号)
・高校でコピーバンド、Funny Bunny結成。メンバーは、ゴトウマユ(ボーカル)、ツノマイサ(ギター)、シミズリカコ(ベース)、オバタリナ(ドラム)。
・チャットモンチーやGO!GO!7188、椎名林檎、ジュディマリやプリプリやポケモンの主題歌などのコピーをしていた。(「cast」2012年45号ほか)
・卒業間際にはオリジナル曲も作り、「ほら」「feeble」というレパートリーがあった。→「ほら」
・「ほら」は高3の時に学校で初めて文化祭のテーマソングを軽音部で募集していて作った曲。卒業後も藤本ひかりたちが演奏していた。(「MUSICA」2017年10月号)
・当時はシャイで、下を向いたり、後ろを向いたりしながらギターを弾いていた。(「歌ネット」
・高校の途中くらいから、家族がみんな独り立ちし始めて、その頃からずっとひとり。(「音楽と人」2017年5月号)

2008年(16~17歳)
・8月30日、31日、「SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2008」に同級生と行く。(赤い公園は2012年に初めて出る)
・後輩の歌川菜穂・藤本ひかりが赤い公園の前進バンド、ちょこ坊を結成。由来は歌川の地元(武蔵境)の居酒屋(現在は閉店)。仮の名前は「チャットゴリラ」とか「まりも」。結成当時のメンバーは、えっこ(ボーカル)、ゆっきー(ギター)、ひかり(ベース)、なお(ドラム)。その後、ボーカルが「ちーちゃん(佐藤千明)」に代わる(藤本と佐藤はその前にも一瞬同じバンドにいたことがある)。
・ちょこ坊は全員バンドをやるのが初めてだったので、あまりよく分かっていなかったが、一番最初に「おもしろいね!」と言ってくれて、「なんか、ものすごい歪んだチャットモンチーやってるじゃん!」と違和感に興味を持って初めて笑ってくれたのが津野だった。(「ベースマガジン」2020年11月号)
・藤本は津野のおっかけでブログも読んでいて、津野のブログに「長澤知之が好き」と書いてあるのがきっかけで声をかけて仲良くなった。バンドを組むことになる前に歌川・藤本は津野家に行ってピアノやギターを弾いてもらった。(「ベースマガジン」2013年12月号)
・ちょこ坊は遅刻が多くてなかなかライブができない幻のバンドだった(軽音楽部に遅刻が多いとライブができない制度があった)。(「H」2013年9月号)
・12月17日、ちょこ坊が初ライブを行う。

2009年(17~18歳)
・8月、「SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2009」に行く。
・冬、決まっていたライブの4日前にちょこ坊のギターが辞め、サポートギターを頼まれる。スタジオアベニューで初めて4人で音を出す。練習してきたのに他の3人が練習してこなくてちょっと殺意が芽生える(笑)。(「cast」2012年45号、「まんたんweb」
・当初は「卒業するまででよかったらサポートするよ」という形だった。(「スピッツベルゲン」vol.97ほか)
・当初はチャットモンチー、東京事変、GO!GO!7188、土屋アンナ、JUDY AND MARYなどをコピーしていた。(「トーキングロック!」2012年4月号、「ギグス」2012年4月号ほか)
・高3から卒業まで、どこの国の人かも調べずにCDをジャケ買いをする日々。そんな中、大好きな1枚に挙げるジム・オルークの「ユリイカ」に出会う。初めて音楽を聴いて声を上げて泣く。(「ミュージックマガジン」2014年4月号)

2010年(18~19歳)
・1月4日、(津野、佐藤、藤本、歌川の)4人で初ライブ(=この日が赤い公園の結成記念日。しかしまだ赤い公園という名前ではなかった)。(「音楽と人」2012年3月号ほか)
・初ライブで演奏した曲はGO!GO!7188「浮舟」、土屋アンナ「rose」、チャットモンチー「湯気」、東京事変「林檎の唄」、阿部真央「ふりぃ」。
・当時は全員サッカーのユニフォームなどを着てライブをしてた。
・結成した頃、お客さんにギターのノブの指輪(黒のTONE)をもらい、以後トレードマークに。
・高校卒業後、親戚がいる大阪に引っ越すことになっていたが、オリジナル曲を作り始めたのが楽しくてお母さんに「私残るわ」「行くのや~めた」と言う。(「cast」2012年45号、「歌ネット」ほか)
・オリジナル曲を作り始めて最初の2曲(アレンジ力のないポップな曲と、だっさいロックみたいな曲、音源化していない)は佐藤千明が作詞し、3曲目に出来たのが「私」(2曲作ったうちの1曲が「coward」という発言も)。(「ワッツインテキスト」vol.2、「マーキー」vol.89、「EMTG」)→「私」
・結成当初は津野の実家にデモの練習をしにメンバーが足繁く通っていた。(「オトタビ」)
・高校卒業後に一人暮らしのフリーターになり(漫画喫茶で寝泊まりする時期があった、とも)、ガスとか電気が止まる生活を送る。家にご飯があるような人のことを妬んで、その怒りが最終的に自分が向き、「私は私を殺してやりたくなるのさ」という歌詞が生まれる。→「何を言う」
・4月か5月、オリジナル曲をやりだした頃、ちょこ坊というバンド名がダサいと思っていたので「怪獣公園」という名前にしようと思ったがすでにいた(後に共演することになるNATSUMENの稲田ヌボンバー貴貞が在籍していたバンド)。新しいバンド名について仲の良いバンドのボーカル(The モラトリアムスパゲッチーズの将太さん)に「なんとなく公園ってつけたいんだよね」と相談したところ、「赤い公園でいいんじゃない?」「俺のおばあちゃん家の団地の目の前に赤い公園っていうのがあって。まあその赤い公園っていうのも俺が付けたんだけど」と言われ、バンド名を「赤い公園」とする(1回その団地に見に行ったら、色あせずぎてピンク味がかったクリーム色のゾウさんがいた)。暗すぎる名前かと思ったけど、女の人らしくていいかとも思った。名前を変えた数日後に居酒屋の「ちょこ坊」が潰れる。同じ頃、衣装を白くする。(「cast」2012年45号、「音楽と人」2012年3月号、「セブンティーン」2013年9月号、「マーキー」vol.89、「まんたんweb」ほか)
・自分たちの演奏に自信がなく、お客さんもいないので、自分たちがどういうバンドか判断する材料がなく、一つのバンドとして見えるように衣装を白で揃えようと思った。誰かに評価される前に自らイメージを打ち出してしまえ!と思った。赤だと揃えにくいし、白は身近で明るい印象を受けるかなと思った。(「装苑」2014年2月号)
・オリジナル曲を作り始めたあたり、4トラックのハンディレコーダーにギターかピアノ、歌、ベース、ドラム代わりの皿や食器を叩いた音を重ねて録音して曲作りをしていた。キレートレモンの瓶がいい音が鳴った。(「サウンドデザイナー」2014年4月号)
・この頃、立川バベルやマクドナルドでバイトをしていた。(「オトタビ」)
・5月31日、mixiに赤い公園のコミュニティを作る。
・夏、すでにあった「よなよな」と「ランドリー」以外の白盤・黒盤のほとんど曲を作る(下記の合宿期間と被っているかは不明)。(「ギグス」2012年7月号)
・11月4日、当時の藤本の日記に「RECおわたー!!!!!!」とある(が、当時藤本は他のバンドも掛け持ちしていたため赤い公園のものかは不明)。
・11月、メジャーのレコード会社の争奪戦が始まる(結果的にグレートハンティングの大熊大介氏が赤い公園を掘り当てる)。後のマネージャー、ミッツ氏と出会う。(「音楽主義」2013年59号、「グレートハンティング」2014年10月号)
・グレハン時代、死に物狂いでめっちゃ曲を作り、「お留守番」や「木」が出来る。藤野芸術の家で合宿をする。(「グレートハンティング」2014年10月号)→「お留守番」「木」
・デビュー前の合宿で「ナルコレプシー」が出来る。「歌詞キツいわぁ、もう書けないわ」と言ったら藤本が「わたしが書くよ!」と言った。(「MusicVoice」)→「ナルコレプシー」
・19歳の時、駅で電車を待ってる時に自分の顔の前の空気を見てたら「目には見えないものがいっぱいいるんじゃないか」と考えだして、「おえっ」となり、その体験が元で「出鱈目」という曲が出来る。→「出鱈目」
・19歳のめちゃめちゃ落ちてる時(暗黒期、ウルトラダークサイドな時期、とも)、現実から逃げるために74時間連続で打ち込みをしていて「スーパーハッピーソング」が出来る。赤い公園でやろうと思ってた曲ではなく、遊びで打ち込みをしていて出来た曲。(「ロッキングオンジャパン」2017年5月号、「UtaTen」「antenna」)→「スーパーハッピーソング」

2011年(19~20歳)
・1月4日、シングル「はじめまして」リリース。赤い公園デモCD発売&1歳記念企画「このゆびとまれ」開催(立川バベル)。共演:立川ケチャッパーズ(OA、つのさんも参加)、Nelu、国家権力、Theモラトリアムスパゲッチーズ、江坂キューティリップス。
・3月2日、Twitterを始める。初ツイートは「初ついーとです。津野です。きゃぴ(屍)」
・3月11日、東日本大震災が起きて、くまとファンタをリュックに詰める
・3月31日、ミニアルバム「ブレーメンとあるく」リリース。「大嫌い大嫌い大嫌い犬好き。~赤い公園ミニアルバム『ブレーメンとあるく』のレコ発企画です。~」開催(立川バベル)。共演:劇★場ゲルニカ、スカートの中、撃鉄、The Nozzle Burgers、OverTheDogs。セットリスト
・「ブレーメンとあるく」は立川バベルで簡易的に録った。1日で8曲とか録っていた。(「音楽と人」2017年11月号、「THE VOICES」)
・「ブレーメンとあるく」を作っていた頃、朝も昼も夜もずっとくるりの「ブレーメン」を聴いていた。(「グレートハンティング」2013年9月号)
・春から夏、デビューに向けて水面下でプリプロ作業を進める。
・4月6日~8日、合宿。大熊大介氏に田中茉裕を聴かせてもらう
・4月23日、クロスロードスタジオで「ナルコレプシー」、「急げ」、「透明」のデモをトラックダウン
・5月19日、自主企画「こめさく&BABEL pre もぎもぎカーニバル vol.2」を開催(立川バベル)。共演:miniscoop、momuris、ゆう、青空ハニー、theHaRuKiGeNiA。「くい」「ナンバーシックス」初演。
・5月21日、相対性理論 presents「立式 III」を見る
・5月23日、「QUATTRO MIRAGE VOL.2~MORE ACTION, MORE HOPE.~powered by TOWER RECORDS」でねごとを見る
・6月25日、自主企画「赤い公園 presents のぞき穴1」を開催(立川バベル)。共演:劇★場 ゲルニカ、This is panic、ハイスイノナサ、The SALOVERS。
・7月16日、クロスロードスタジオでプリプロ
・8月6日、初めて「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に行く
・8月16日、合宿
・8月22日、赤い公園×WITNESS CLUB「赤い公園の拝啓新宿殿」開催。共演:ヒカシュー。
・9月19日、tricotの音源を初めて聴いてぶっとぶ
・9月23日、10代最後のライブ
引っ越す
・10月2日、20歳の誕生日、成人になる自転車をもらう
・10月13日〜20日、カナダツアー「Next Music from TOKYO vol.3」に参加。共演:Merpeoples、百蚊、チーナ、NATSUMEN。4日間の連続行程の中、慣れない部屋で寝て、慣れないご飯を食べて、ホームシックに苦しむ。(「Player」2012年3月号)
・10月29日、自主企画「赤い公園×新宿紅布PRESENTS のぞき穴2」を開催(新宿紅布)。共演:トックリポックリ、MOROHA。「ふやける」をやらない。自身の足がプリントされた「足T」を販売する。
・11月、教習所に通う。
・12月1日、「東京事変 Live Tour 2011 Discovery」を見る
・12月16日、赤い公園メジャーデビューを発表。
・12月30日、tricotと出会える
・20歳になって、タバコを吸い始める。ライブハウスで副流煙をずっと吸っていて煙を吸わないと落ち着かなくなったから。
・20歳の頃、クラシックや現代音楽とかコード進行が激しいものに興味が戻る。(「装苑」2016年2月号) 
・2011年のベストディスクは大貫妙子「TAEKO ONUKI WORKS 1983-2011 CM / TV Music Collection」。(「Amazon」

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↑2011年ごろの津野さんのサイン

2012年(20~21歳)
・1月4日、初めてJ-WAVEで赤い公園の曲が流れる。「透明」
・1月9日、成人式
・1月25日(配信サイトの表記では24日)先行配信シングル「透明」リリース。
・1月29日、カナダの面々で出演した「Next Music From TOKYO Final in JAPAN」(新代田フィーバー)で初DJ。曲目リスト
・2月、引っ越したばかりの家が解体されることに
・2月15日、赤い公園メジャーデビュー。ミニアルバム「透明なのか黒なのか」リリース。デビュー時のバンドの資料やプロフィールにある言葉は「父上、母上、私はここにおります、頑張ります。」。同日、招待制ライブ「J-WAVE TOKYO REAL-EYES "LIVE SUPERNOVA"vol.68」に出演。共演:ammoflight、Hello Sleepwalkers。
・デビューする頃、4トラックに限界を感じて知り合いにパソコンでの曲作り(Logic Pro)を教えてもらう(※この知り合いというのはおそらく真部脩一と思われる。ちなみに真部愛用のベースは藤本に譲られている)。(「サウンドデザイナー」2014年4月号)
・デビュー時、SHIBUYA-AXにて関係者の前でライブ。楽しかった
・レーベルと契約する時、ロック云々と話すコワモテの社長に対して「ロックなんてどうでもいい!テレビに出たい!」とずっと言っていた。(「B-PASS」2014年3月号)
・2月19日、赤い公園がデビュー4日目にして「EMI ROCKS 2012」でさいたまスーパーアリーナに登場。この日、お客さんと一緒に盛り上がれるような曲ができたらなという思いで「今更」を作る。(「MUSICA」2013年7月号)→「今更」
・2月20日、引っ越し先が決まる
・2月24日、タワレコ新宿店に行き名物店員のカネコさんと会う
・3月3日、初期ホームページやグッズのデザインをしてた太田ペコさんの卒制展示を見に行く
・4月6日、「透明なのか黒なのか リリース記念公演」開催(渋谷WWW)。共演:NATSUMEN。
・4月17日、タワレコ店員カネコさんとカラオケ
・4月29日、吉祥寺モモカリーでカツラをかぶって弾き語り。
・5月、ミッツ氏が転職し赤い公園のマネージャーになる。(「音楽主義」2013年59号)
・5月7日、初のフェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2012」出演が決定。
・5月9日、ミニアルバム「ランドリーで漂白を」リリース。「ランドリー」MV公開(YouTubeに残っているMVでは最も古い)。
・5月30日、参加した「SKY-HI presents... FLOATIN' LAB」リリース。
・夏頃(福岡でのライブが6月12日なので6月11日~12日ごろ?)、ディレクターから「バラードを作ってくれ」と言われ、福岡へ移動中の車内とその後のホテルで「交信」が出来る。(「MUSICA」2013年7月号ほか)→「交信」
・7月1日、21日、「ランドリーで漂白を リリース記念公演」開催(梅田シャングリラ、代官山UNIT)。共演:チーナ。
・7月8日〜11日、吉祥寺GOKサウンドでプリプロ
・7月23日、「のぞき穴 -SPOT-」公開。
・8月4日、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2012」。お兄さんが見に来る。
・8月、復帰後のインタビューでこの頃がフル回転だったと語っている。(「音楽と人」2013年7月号)
・8月25日、バンドをやるのが嫌になっていたが、長澤知之のステージを見たらそんなこと忘れた楽屋で号泣
・9月9日、10日、15日、赤い公園が出演予定だったライブを津野の体調不良により出演中止・延期。
・9月19日、シングル「のぞき穴」リリース。
・9月21日、「のぞき穴」MV公開。
・10月2日、誕生日ということでtricotが「透明」のカバー動画を上げる。後の活動休止中はこの動画を見て元気を出す。(「爆女」)
・10月9日、津野の体調不良により赤い公園が活動休止。
・10月26日、開催予定だった自主企画「のぞき穴 vol.3」(目黒鹿鳴館)が公演中止。
・活動休止の直前は、誰かが言わないといけないことを全部自分で背負ってしまっていた。(「NEOL」
・活動休止中は、眠れずにひたすら音楽を聴いて、ひたすら曲を作って、を繰り返していて、40曲ぐらい出来た。「きっかけ」は2012年の最後に作った(「ドライフラワー」は2012年の大みそかに作った、とも)。(「音楽と人」2013年7月号、「トーキングロック!」2013年10月号、「ナタリー」)→「カウンター」「贅沢」「きっかけ」「ドライフラワー」「サイダー」「放蕩」
・休止中は身の回りのバンドものが聴けなくなった。(「ロッキングオンジャパン」2013年9月号)
・11月、吉祥寺の鳥吉商店に4人で集まり、活動休止以来2ヶ月ぶりにメンバーと再会。3人に新曲(「きっかけ」)のデモが入ったUSBメモリーを渡す。(「オトタビ」)

2013年(21~22歳)
今年の目標は健康
・元日、「ドライフラワー」のデモをメンバーに送る。
・1月、特に話し合いをするでもなく久しぶりに4人でスタジオで音を鳴らす。(「トーキングロック!」2013年10月号)
・2月16日、千葉県九十九里浜でアー写撮影。(情熱公園)
・2月26日、GOK SOUNDでプリプロ作業。(情熱公園)
・2月27日、スタジオでリハーサル。富子の調子が悪くなる。(情熱公園)
・2月~3月、伊豆のスタジオで合宿し、「公園デビュー」のレコーディング。ギターは1日に9曲録った(ボーカル録りのみ別だったので佐藤はヒマで料理などをしていた→情熱公園)。4月に完成。(「トーキングロック!」2013年10月号、「ベースマガジン」2013年9月号ほか)
・3月1日、赤い公園が活動再開を発表。この時のアーティスト写真から木村豊氏のデザインが長らく続く。
・3月20日、「今更」レコーディング。
・3月29日、「今更-SPOT-」公開。
・3月31日、「今更」レコーディング終了。(情熱公園)
あっぱとクリープハイプと°C-uteな半年
・「あまちゃん」にハマる(そして番組終了から年末まであまロス)。
・5月1日、「今更」配信リリース。
・5月5日、初のワンマンライブ「大復活祭“今更帰って来た!!赤い公園!!~タブーを犯したオンナたち~”」(渋谷クラブクワトロ)で活動再開。前日から一睡もせず会場に一番乗り。本番前に様子がおかしくなる。(情熱公園)
・6月5日、津野が作詞作曲したSMAPの50作目のシングル「Joy!」がリリース。コンペで勝ち取った曲で、病み上がりの憔悴しきった後に出来た曲。(「音楽と人」2013年7月号)
・6月7日、「今更」MV公開。
・6月13日、赤い公園が「めざましテレビ」に出る。
・6月15日、「交信」MV公開。
・7月3日、シングル「今更/交信/さよならは言わない」リリース。「交信」は新たな扉を開いちゃった系
・7月19日、タワーレコード渋谷店で「公園デビュー視聴会」。
・7月21日、タワーレコード新宿店でアコースティックライブ。
・7月31日、「FNSうたの夏祭り」にSMAPのゲストミュージシャンとして出演。
・8月14日、アルバム「公園デビュー」リリース。リリースイベント「公園デビューしてくれるかな?いいとも!」開催(新宿ステーションスクエア)。
・8月20日、いつか自分のラジオをやりたい
・8月24日、サカナクション山口一郎と対談
・8月25日、長澤知之のレコーディングに参加
・8月28日、赤い公園公式Twitterが「ワンマンツアー」を「マンマンツアー」と誤字。以後マンマンツアーという名前が定番に。
・9月1日、「赤い公園のオールナイトニッポンR」放送。
・9月9日、10日、°C-ute武道館公演を1日目は高校の友達と、2日目はメンバーと行く
・9月23日、佐藤とのユニット「でかい方ですんません(仮)」(通称でかすん)で初の弾き語り。
・10月1日、日本テレビ「PON!」のジングルを制作。フライング誕生日プレゼントとしてお母さんに広辞苑をもらう
・10月2日、22歳の誕生日に台風22号が来て晴れ女伝説が終わるその後晴れるスープダイエットにチャレンジする
・10月4日、肩こりの原因が噛み合わせの悪さにあり、口ピのせいで余計に噛み合わせが悪くなってるようで、口ピを外そうと思う(後に外す)。
・10月12日、ハナエの「変幻ジーザス」を踊ってみた入場制限かかった記念日
・10月19日、学習院女子大学にて初の学祭ライブ。共演:南波志帆。ライブ後大阪へ行き進行方向別通行区分のライブに参加
・10~11月、レコーディング(シングル「風が知ってる」)と並行して秋のツアー(「赤い公園ワンマンツアー2013「いざ、公園デビュー~トトトツーツーツートトト~」」)開催。(「音楽と人」2014年3月号) ツアーグッズをプロデュース
・10月~11月、ふなっしーにハマり始める。後にレーベルメイトになる。
・11月6日、演奏で参加した長澤知之「黄金の在処」リリース。
・11月7日、くるり岸田繁に「バンドカッコいいね」と言われる
・11月21日、大熱を出す。
・11月23日、「赤い公園ワンマンツアー2013「いざ、公園デビュー~トトトツーツーツートトト~」」ツアーファイナル(東京キネマ倶楽部)の終演後、ミッツが以前ボーカルをしていたバンド・曙ブレーキの音源を流すドッキリを仕掛ける。話し合いで解決する。(情熱公園)
・12月14日、長澤知之の自主企画に赤い公園が出演し、「くい」に長澤が参加。「そのキスひとつで」では津野は体調不良のため不参加
・12月18日、「風が知ってる」アー写、ジャケ写撮影。一万円札300万円分を降らせる。(情熱公園)
・12月19日、Twitterのフォロワーが10000人になる
・12月21日、パンサー菅、ニッチェ江上、クリープハイプ尾崎と飲み会
・12月23日、「風が知ってる」MV撮影。一万円札700万円分を降らせる。(情熱公園)
・12月28日、めちゃくちゃかっこ良くて浮いてて冷たくてあったかくてもがいてて壊れてて安らかで苦しくてこの上なく美しい曲の誕生日
・12月30日、「COUNTDOWN JAPAN 13/14」で愛する℃-uteと対バン赤い公園は、一年をまとめたセットリストで挑む「風が知ってる」を初披露)。
・「公園デビュー」からの1年は、久しぶりに平常運転の1年間だった。(「MUSICA」2014年10月号)
・お正月のハロコンと℃-uteの渋谷公会堂公演に行く。(「BLT」2013年11月号)
来年は苦手なことから逃げないよう、心がけます!来年も、赤い公園の津野米咲さんは頑張ります。来年はもっと言葉のリズムと響きを勉強し、いつの日か「いん ふみこ」になれるように頑張っていきます。

2014年(22~23歳)
・2014年について、「2013年にまいた種を1つもムダにしたくない」「2014年の赤い公園は基本スキルを上げる年にする」と発言。(「ベースマガジン」2014年11月号、「ナタリー」
・1月1日、年と一緒に体調不良も持ち越して、鍵盤で参加予定だった古都の夕べのライブを欠席
・1月6日、「「絶対的な関係」「風が知ってる」予告篇」公開。赤い公園「風が知ってる」がエンディングテーマになったアニメ「とある飛空士への恋歌」放送開始。
・1月10日、DUM-DUM presents「Telepathy / Overdrive」(恵比寿リキッドルーム)で赤い公園がきのこ帝国、tricotと共演。
・1月11日、「「絶対的な関係」ティーザー」公開。赤い公園「絶対的な関係」がオープニングテーマになったドラマ「ロストデイズ」放送開始。
・1月15日、「「風が知ってる 」ティーザー」公開。
・1月16日、「GIRLS!GIRLS!!GIRLS!!!Vol.2~NEW YEAR!!NEW YEAH?!~」(共演:THE LIPSMAX、バンドじゃないもん!)の会場でSUGIZOと出会う
・1月18日、赤い公園「ひつじ屋さん」が主題歌になった映画「呪報2405 ワタシが死ぬ理由 劇場版」の舞台挨拶に増田有華、瑠東監督と登壇
・1月24日、「GO LIVE VOL.1」でSCANDAL、ねごとと共演(EX THEATER ROPPONGI)リハで富子が何を言ってるか分かった気がする。この日の対バンがきっかけで、3月16日のSCANDALの自主企画ライブにゲスト出演する。赤い公園ニュースレター「赤い後援会」発足。
・1月27日〜28日、「絶対的な関係」MV撮影。momoさんの愛犬と戯れたりPerfumeごっこをしたりする。(情熱公園)
・1月29日、「ビッグ☆スター」を提供したベイビーレイズの「恋はパニック」リリース。彼女たちのおかげで自分の書きたいものを素直に書けた曲
・2月2日、「絶対的な関係/きっかけ/遠く遠く」の音が完成
・2月12日、シングル「風が知ってる/ひつじ屋さん」リリース。「風が知ってる 」MV公開。
・3月1日、「絶対的な関係 (TV-SPOT)」公開。
・3月3日、日本テレビ「スッキリ!」出演。「進撃の加藤」披露。
・3月5日、「絶対的な関係」MV公開。
・3月7日、映画「ランナウェイ・ブルース」にコメントを寄せるボジータ事件
・3月12日、シングル「絶対的な関係/きっかけ/遠く遠く」リリース(3月5日発売予定だったが1週間延期)。「スッキリ!」に再び出演し「山ちゃんソング」を披露「絶対的な関係 (TV-SPOT)(その2)」公開。
・3月14日、「絶対的な関係」発売記念イベント「接待的な歓迎〜秘密の花金ナイト〜」開催。
・3月15日、タワーレコード渋谷店1階でフリーライブ。初「レッツ今日」(「レッツ今日」とは、強制的に一日を清々しく過ごさざるを得なくなる凶暴なおまじないのこと)。
・3月16日、立川でフリーライブ。「絶対的な関係」を3回やる直後にSCANDALのライブ「バンドやろうよ!!Vol.5」にねごとの沙田瑞紀と共にゲストで参加
・3月27日、赤い公園自主企画イベント「~赤鬼 VS 藍鬼 VS 栗鬼~」を開催。藍坊主、クリープハイプと共演し、藍坊主「テールランプ」とクリープハイプ「社会の窓」をカバー。「きっかけ」「108」初披露。初めてライブハイ的なものになる
・4月2日、「「ひつじ屋さん」 カラオケDAM今だけクリップ ティーザー」公開。
・4月9日、まとまったお休みが取れたので遊びに行く(広島、大阪、兵庫)。
・4月24日、「EMI ROCKS neo」東京公演(渋谷クラブクワトロ)。共演:GLIM SPANKY、テスラは泣かない。、ボールズ(ex.ミラーマン)。
・4月25日、「GARAGE 20th Anniversary” ONBU LIVE #003 MEETING」(下北沢ガレージ)に、でかすんで出演。スガシカオと対バン。「牢屋」初披露。
・4月26日、ニッチェ単独ライブ「ミートボール」を見る
・4月29日、OKAMOTO'Sのツアー「OKAMOTO'S TOUR 2014 Let It V」ファイナル公演を見る
・5月2日、髪を切る
・5月11日、「第二回亀田杯 ベース選手権大会」を見る
・5月14日、楽曲提供した遠藤舞「MUJINA」リリース。作った津野さんと魂のコーラス&炎の演奏を担った赤い公園の、ウルトラお気に入り曲
・5月16日、NHK-FM「ヒャダインの”ガルポプ!”」のゲストとして登場
・5月21日、「EMI ROCKS neo」大阪公演(心斎橋JANUS)。共演:GLIM SPANKY、テスラは泣かない。、ボールズ(ex.ミラーマン)。
・5月22日、Base Ball Bear小出祐介と対談
・5月25日、「Tumbling Dice ~ダイスをころがせ~」に出演(SHIBUYA-AX)。共演:くるり、キュウソネコカミ。くるり岸田繁に、和声のこだわりについて敬服される
・5月27日、お母様と音楽と珈琲の時間。自転車をゲットする
・5月28日、国立競技場での東京オリンピック前最後の音楽イベント「JAPAN NIGHT」(音楽監督:亀田誠治)を見る
・6月1日、メンバー3人と「アップアップガールズ(仮)1st全国ツアー アプガ第二章(仮)進軍~中野サンプラザ 超決戦~」を見る
・6月20日、「NOW ON AIR」レコーディング初日。入れる。(情熱公園)
・6月27日、29日、赤い公園プチワンマンツアー2014「ドライブがてらにライブします。バンドだもん!~大阪&名古屋~」開催(ただし中日の6月28日に制作のため東京に帰る)。
・夏にもシングルを出したかったがうまくいかなかった。(「NEOL」
・7月2日、ワールドカップのアルゼンチンの試合をメンバーみんなと見ていて、メッシが猛烈だったので「猛烈リトミック」というタイトルを決める。(「グッドロックス!」vol.55、「まんたんweb」
・7月7日、七夕の願い事「みんなの願い事が、叶わなくても なんかいい感じになりますように。」こんな感じの曲(おそらく「TOKYO HARBOR」?)レコーディング。
・7月8日、「NOW ON AIR」レコーディング2日目。ボーカル、コーラス、クラップ録り。(情熱公園)
・7月9日、2曲楽器録り
・7月10日、2曲歌録り
・7月11日、「Early Summer in AKASAKA 2014」(赤坂BLITZ)出演。共演:アカシック、go!go!vanillas、SAKANAMON。初赤坂BLITZアカシックにやられる
・7月12日、「「サイダー」 ちょっとだけ Movie」公開。
・7月18日、北海道に向け出発ミッツらと羊を食べる
・7月19日、「JOIN ALIVE」(北海道いわみざわ公園)出演。
・7月21日、レコーディング中に亀田さん、井上うにさんと写真撮影
・7月22日、レコーディング(おそらく「楽しい」と、寂しい曲)。
・7月24日、「猛烈リトミック」アー写・ジャケ写撮影。(情熱公園)
・7月25日、兄の誕生日で立川へ
・7月29日、歌録り。夜に、ツイキャスでサイダーにまつわる企画を実施。ファンから募集したサイダーの美味しい味わい方を試す。
・7月30日、「サイダー」配信開始。「サイダー」がテーマソングになった「サイダー協会」設立
・8月1日、赤い公園が「立川市メジャーデビュー計画」「地元立川市への恩返しプロジェクト」発足。翌日の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014」に向けて出発。(情熱公園)
・8月2日、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014」出演。裏がゴールデンボンバーということで歌川が「う樽美酒」に仮装をする。クイックレポートのアクセス数1位を狙う。クイックレポート。KREVAに会う。(情熱公園)
・8月4日、レコーディング
・8月6日、「猛烈リトミック」の15曲のレコーディングが終わる
・8月7日、「めざましライブ」に出演し、憧れの℃-uteと共演「「サイダー」 WEB CM素材【キャッチコピー募集中】」公開。
・8月8日、前日の模様が「めざましテレビ」で放送される
・8月10日、「WORLD HAPPINESS 2014」出演。
・8月13日、「J-WAVE LIVE 813」(Zepp DiverCity TOKYO)に出演。共演:ゲスの極み乙女。、KEYTALK。選曲で参加した「ハロー!プロジェクトの全曲から集めちゃいました! Vol.6 女子ミュージシャン編 [(大森靖子・津野米咲(赤い公園) ・ユリナ(住所不定無職)]」リリース。
・8月16日、「猛烈リトミック」のミックスが終わる。「NOW ON AIR」が初ON AIR。
・8月17日、「NOW ON AIR」MV撮影。(情熱公園)
・8月18日、「猛烈リトミック」マスタリングを終え音源完成。(情熱公園)
・8月19日、「GIRLS' FACTORY 14」(国立代々木競技場第一体育館)に出演し、ももいろクローバーZとのコラボ(赤クロ)を披露
・8月22日、SAKANAMON藤森元生の実家へ
・8月24日、福岡に滞在中、百蚊とカナダツアーのプチ同窓会
・8月27日、「「NOW ON AIR」ティザー・ムービー」公開。「NOW ON AIR」先行配信。「red cloth 11th ANNIVERSARY「赤い公園の拝啓新宿殿~夏の魔ジン~」」開催。共演:ジン。ジンとの共演は4年ぶりで、自分のルーツのバンド
・9月5日、長岡亮介、ハマ・オカモト、神谷洵平とバンドを組む(おそらく11月リリースの住岡梨奈のアルバムに参加した時のこと)。
・9月6日、「BAYCAMP 2014」出演。この日から1週間の旅(翌日、大阪で「OTODAMA'14~音泉魂~」→名古屋→神戸→京都→大阪)。
・9月12日、地元めぐり
・9月13日、取材日
・9月15日、「したまちコメディ映画祭〜西田敏行リスペクトライブ〜」に出演し、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」をカバー。共演:西田敏行、浅草ジンタ、ポカスカジャン、かせきさいだぁ&ハグトーンズ mixed by DMX、BLACK WAX with 久保田麻琴 live mix、レキシ。
・9月17日、「NOW ON AIR」MV公開。
・9月20日、「J-WAVE TOKYO REAL-EYES  SPEAK OUT!」に4人で出演。「J-WAVE 「TOKYO REAL-EYES」SPEAKOUT!×赤い公園『猛烈リトミック』試聴会~山派?川派?~」開催。
・9月22日、「「猛烈リトミック」 ダイジェスト!」公開。
・9月23日、「ミューコミ+プラス」に出演。日本テレビ「オトタビ」放映。
・9月24日、アルバム「猛烈リトミック」リリース。
・9月27日、大阪へ
・9月29日27時、ニッポン放送「赤い公園のオールナイトニッポン0」スタート。(2015年3月23日まで)
・9月30日、「スペースシャワー列伝第101巻 紅白玉入れの宴」(新宿LOFT)出演。共演:People In The Box、WHITE ASH、テスラは泣かない。
・10月2日、23歳の誕生日。23歳初の電話はミッツの原稿チェックメンバーとスタッフとSAKANAMON木村が祝ってくれる
・10月3日、タワーレコード渋谷店でインストアライブ
・10月9日、リハ
・10月10日、スタジオで録音ののち自宅で打ち込み
・10月16日~18日、リハ
・10月20日、ピバンドでリハ
・10月21日、リハ
・10月24日~11月23日、「赤い公園 マンマンツアー 2014 ~ お風呂にする? ご飯にする? それとも、リトミックにする? ~」開催。
・11月2日、iPhone6に機種変
・11月6日、映画「いつかの、玄関たちと、」トークイベント出演
・11月9日、赤い公園が「地元立川市への恩返しプロジェクト」の一環として立川市に赤いベンチを寄贈。立川市のご当地ゆるキャラ、くるりんの「くるりん絵かき歌」を書き下ろしてPVを撮影。後にPVは立川駅前などで放映される
・11月16日、Hello SleepwalkersとPeople In The Boxを観に行く
・11月20日、「猛烈リトミック」が「第56回 日本レコード大賞 優秀アルバム賞」を受賞。
・12月3日、Wエンジンの単独公演を観る。参加した「A-Rock Nation -NANASE AIKAWA TRIBUTE-」リリース。
・12月4日、「HighApps Vol.22 -collaboration[スリーピース~クソバンドたちの逆襲~]」に出演し、アンコールの「君の○○を××したい」で共演したKEYTALK、SAKANAMON、THE ORAL CIGARETTESとコラボ。
・12月6日、京都へ
・12月11日、熊谷へ
・ギターマガジン2015年1月号より連載「津野米咲(赤い公園)のはぁはぁしない…?」スタート。
・この頃、生魚を食べられるようになる(白身はまだいけない)。前までは雑菌が目に見えていて食べられなかった。(「ギターマガジン」2015年1月号)
・12月18日、「Great Hunting Night Special『グレート・ハンティング大地に立つ!!』」(東京キネマ倶楽部)に出演。共演:ハナエ、The SALOVERS。3者によるカバーCD「Great Hunting 15th Anniversary」がCD付きチケット購入者にプレゼントされる。→「陽炎」
・12月22日、「「くるりん絵かき歌」 〜”立川市メジャーデビュー計画”市内に「赤い公園」を作って立川市のPVを撮ろう!〜」公開。
・12月23日、参加した「JUST LIKE HONEY ~『ハチミツ』20th Anniversary Tribute~」がリリース。→「ハチミツ」「新宿ANTIKNOCK 功 presents 「新宿セラピーナイツ&騎士」」(新宿ANTIKNOCK)に佐藤と出演
・12月27日、「FM802 ROCK FESTIVAL RADIO CRAZY」出演。
・12月29日、「COUNTDOWN JAPAN 14/15」出演。
・12月30日、「第56回 日本レコード大賞 優秀アルバム賞」の盾と撮影

2015年(23~24歳)
・1月1日、年明け最初に聴いた曲がどぶろっくのネタで、「やばい、エッチな曲で始まっちゃった」と思って慌てて曲を書き始める。そこで出来た中の1曲が「KOIKI」。(「ワッツイン」2015年12月号)→「KOIKI」
1月1日からエンジン全開で書いてます
・1月1日、読売新聞(多摩版)に赤い公園の「立川へ恩返しプロジェクト」についての記事が掲載
・1月4日、赤い公園結成5周年。自主企画「こめさくpresents~もぎもぎカーニバル~復刻版」を開催(立川バベル)。共演:アカシック、しなまゆ、セプテンバーミー、HALLUCI GENIA、指先ノハク。立川に一人で泊まり、漫喫時代を思い出す
・1月5日、作曲・出演したBOMI「月曜のメランコリー」のMVが公開。撮影時にたまたま通りかかったコスプレイヤーとの写真
・1月8日、Vampillia主催イベント「いいにおいのする10周年の新年会」のゲストボーカルに佐藤千明が出演。感想は「ちーちゃんかっこよかったちーちゃん」。
・1月15日、髪をばっっさり今までで一番短くなる
・1月21日、楽曲提供した「月曜のメランコリー」も収録されているBOMI「BORN IN THE U.S.A.」がリリース。
・1月26日、クロスロードスタジオでノープラン&手ぶらの当てずっぽう作曲
・1月31日、ヘアアイロンでほっぺじゅー
・2月、事務所を移籍(EMIアーティスツ→グラスホッパー)。アルバムに向けて動き出す。(「月刊ソングス」2016年4月号)
・1~2月、レーベルも移籍し(バージンレコーズ→ユニバーサルJ)、ずっとやってくれたディレクターも離れ、何を作ったらいいか分からない中、曲作りをする。(「MUSICA」2015年12月号)
・2月4日、モティフォに会いに行き、モティフォの寝床を奪って完全に新年一の安眠につくフューエルバンドを忘れる
・2月10日、オートロックの家なのにコンビニへ行くのに鍵を忘れて出てくるパジャマで寒い中待つが上の階の住人が帰って来て無事入れる
・3月24日、ニッポン放送「赤い公園のオールナイトニッポン0」最終回。出待ちに来た一部のハガキ職人と記念撮影
・4月2日、三日三晩頭と心をつかいすぎて足の力ぬけたかわりに希望の音楽ができた気がする
・4月11日、ひかりさんと洋食屋でちょっと辛いカレーを食べる
・4月16日、矯正の内唇にぶっ刺さってしかたなかったなんか引っ掛けるところが取れるみっつとカフェで大事な打ち合わせ
・4月17日、新宿ロフトでイツエを観る
・4月20日、リハ
・4月23日、千明弾き語りを観に行く
・4月24日、耳コピ(VIVA LA J-ROCK ANTHEMS用と思われる)。
・4月28日、VIVA LA J-ROCK ANTHEMSリハ開始
・4月29日、「COMIN'KOBE'15」出演みっつ運転する車が駐車場の枠からはみ出る
・5月3日、「VIVA LA ROCK 2015」で参加したスペシャルバンド「VIVA LA J-ROCK ANTHEMS」が初お目見え。メンバーは他に亀田誠治、ピエール中野(凛として時雨)、長岡亮介(ペトロールズ)。ゲストおよびセットリスト
・5月、「マンマンツアー 2015 初夏 ~迫る! 初っ夏ー!~」開催。「KOIKI」初披露。
・7月17日、「KOIKI」レコーディング初日。アゴを入れる。(情熱公園)
・7月22日、「KOIKI」ミックス作業。(情熱公園)
・ギターマガジン2015年9月号の原稿を書いている時点、サードアルバムのレコーディング中で、5曲の楽器録りを終えた。(「ギターマガジン」2015年9月号)
・9月25日、「KOIKI」MV撮影。(情熱公園)
・9月26日、「KOIKI」ジャケット撮影。(情熱公園)
・10月16日、「「KOIKI」ティザー映像」公開。
・11月、赤い公園 対バンツアー2015「http://KOIKI/NAMAIKI/EKOHI-KI.com/」開催(名古屋クラブクワトロ、共演:SAKANAMON/梅田AKASO、共演:tricot/恵比寿リキッドルーム、共演:LEGO BIG MORL)。「黄色い花」初披露。
・11月11日、「KOIKI」MV公開。
・11月25日、シングル「KOIKI」リリース。
・11月28日27時、ニッポン放送「オールナイトニッポンR」に出演。
・12月7日、マスタリングのためにニューヨークへ。(情熱公園)
・12月8日、スターリングサウンドでトム・コインと共にマスタリング。「純情ランドセル」完成。(情熱公園)
・2015年は1年かけてアルバムのレコーディングをしていた。(「ドラムマガジン」2016年3月号、「エンタメステーション」

2016年(24~25歳)
・1月4日、自主企画「こめさくpresents~もぎもぎカーニバル~復刻版~6歳おめでとう!~」を開催(立川バベル)。共演:リーガルリリー、リディキュラスラビッシュ、挫・人間、撃鉄。
・1月7日、「Canvas」アー写撮影。(情熱公園)
・1月14日、「Canvas」MV撮影。MVの原案を考える。(情熱公園)
・2月2日、「純情ランドセル」ジャケット撮影。白馬(ユニコーン)との撮影。(情熱公園)
・2月7日、「黄色い花」MV撮影。(情熱公園)
・2月17日、「Canvas」MV公開。赤い公園のLINEスタンプが販売開始。
・2月19日、「「Canvas」ティザー映像」公開。
・2月24日、シングル「Canvas」リリース。
・3月1日、「黄色い花」MV公開。
・3月23日、アルバム「純情ランドセル」リリース。「「純情ランドセル」全曲試聴映像」公開。
・4月6日、NHK-FM「赤い公園 津野米咲のKOIKIなPOP ROCKパラダイス」開始。
・4月~6月、「赤い公園マンマンツアー2016〜咲き乱れNight?〜」開催。
・5月5日、「J-WAVE & Roppongi Hills present TOKYO M.A.P.S」出演。西東京地域で育った新青梅街道の果てのヤンキー感みたいなものがあったので、六本木の街中でライブをするということで反骨精神もあった。ステージ袖でライブを観てるSalyuが視界に入ってきて「10秒以上見つめたら死んじゃうぞ」って自分に言い聞かせてた。(「NEOL」
・5月11日、楽曲提供したモーニング娘。'16「泡沫サタデーナイト!」リリース。
・5月26日、「VIVA LA ROCK 2016」で「VIVA LA J-ROCK ANTHEMS」に参加。メンバーは他に亀田誠治、ピエール中野(凛として時雨)、加藤隆志(東京スカパラダイスオーケストラ)、伊澤一葉(the HIATUS)。ゲストおよびセットリスト
・6月16日、「赤い公園マンマンツアー2016
「~咲き乱れNight?~」」最終日(Zepp DiverCity TOKYO)。6時に起きてミックス。オケだけできている曲の歌詞を考えている。(情熱公園)
・夏、プロモーションをしていた頃に「恋と嘘」のデモが出来る。新幹線にて移動中に佐藤に聴かせる。(「ロッキングオンジャパン」2017年5月号、「UtaTen」)→「恋と嘘」
・7月4日、赤い公園オフィシャルモバイルファンクラブ 「赤ちゃんねる」オープン。
・7月14日、Base Ball Bearとでんぱ組.incの2マンライブ「はやぶさかがやきツアー2016」(郡山市民文化センター公演)にBase Ball Bearのサポートギターとして出演。
・7月16日、「もんだな(NINJA MIX)」が使用された「ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン」14話が放映。
・9月、佐渡に旅行に行く。
・9月22日前後、デビュー以来の合宿を行い、「闇夜に提灯」が出来上がる。(情熱公園、「EMTG MUSIC」)→「闇夜に提灯」
・10月8日~11日、「「円都空間 in 犬島」produced by Takeshi Kobayashi」(岡山県犬島・犬島精錬所美術館発電所跡)に参加。共演:YEN TOWN BAND、Lily Chou-Chou Project、安藤裕子、大木伸夫(ACIDMAN)、金子ノブアキ(RIZE)、Salyu、高桑圭(Curly Giraffe)、Chara、名越由貴夫、小林武史。映像監修・岩井俊二。
・12月3日、企画ライブ「パレい公園〜赤いろの雨〜」を開催(大阪ビッグキャット)。共演:雨のパレード。
・12月5日、「闇夜に提灯」アー写、ジャケ写撮影。(情熱公園)
・12月14日、「恋と嘘」レコーディング。(情熱公園)
・12月18日、「闇夜に提灯」MV撮影。(情熱公園)
・年末ぐらい、初めてアコギ1本で曲を作る。路上とか土手とかで歌ってる気分で大きい声を出してたら出来ちゃった。(「MUSICA」2017年7月号 ※合宿中に出来たという発言と矛盾?)→「闇夜に提灯」

2017年(25~26歳)
・2017年は、「イエーイ!」って感じです。→(「spice」
・1月4日、自主企画「こめさくpresents〜もぎもぎカーニバル〜復刻版」を開催(立川バベル)。共演:爆弾ジョニー、Official髭男dism、泥黒。
・1月5日、「闇夜に提灯」MV公開。衣装が白ではなくなる。「こだわりをまたひとつ捨てました」「もう白は着るだけ着たかな。もっとニュートラルな状態で音楽を聴いてほしいという気持ちで、同世代が着てるようなものをカッコよく着れたらいいなと思って」(「EMTG MUSIC」
・1月、「熱唱サマー」のレコーディングが始まる(シングル曲以外)。(情熱公園)
・2月15日、シングル「闇夜に提灯」リリース。
・3月4日、「恋と嘘」MV撮影。(情熱公園)
・3月5日、「恋と嘘」アー写撮影。(情熱公園)
・4月19日、シングル「恋と嘘」リリース。「恋と嘘」MV公開。
・春について、「25歳女、どきどきわくわくしたいです!」。(「antenna」
・5月4日、「VIVA LA ROCK 2017」で「VIVA LA J-ROCK ANTHEMS」に参加。メンバーは他に亀田誠治、ピエール中野(凛として時雨)、加藤隆志(東京スカパラダイスオーケストラ)。ゲストおよびセットリスト
・5月12日、「黒猫チェルシー TOUR 2017「LIVE IS A MIRACLE」」仙台enn 2ndに参加。車で来た3人とは別に遅れて合流する。(情熱公園)
・5月、町内で引っ越す
・5月くらい、シングル(「journey」)を録り終え、アルバム(「熱唱サマー」)の制作に取り掛かる初めの時期に佐藤千明から脱退の話が出る。(「MUSICA」2017年10月号)
・最近寝つきが悪い、いつか曲が作れなくなるんじゃないかと思うと寝れなくなる。いつか自分の泉みたいなものが枯渇するんじゃないかっていうギリギリ感がずっとある。(「音楽と人」2017年5月号)
・6月13日、「カメレオン」レコーディング。半年くらいかけた「熱唱サマー」のレコーディングが終わる。(情熱公園)
・6月14日、「熱唱サマー」のミックスが終わる。(情熱公園)
・6月21日、シングル「journey」リリース。
・6月23日、「journey」MV公開。
・7月2日、「熱唱サマー」アー写、ブックレット写真撮影。(情熱公園)
・7月3日、佐藤千明が赤い公園を脱退することを発表。
・8月9日、「「熱唱サマー」全曲試聴映像」公開。
・8月23日、アルバム「熱唱サマー」リリース。
・(「熱唱サマー」は)他のアルバムを作ってる時よりも孤独だった。(「音楽と人」2017年11月号)
・8月27日、「熱唱祭り」(Zepp DiverCity TOKYO)で佐藤が脱退。
・「熱唱祭り」をやる・やらないで5悶着くらいあった。「熱唱祭り」で燃え尽きて、「あ、やば、どうしよう」という感じ。(「音楽と人」2017年11月号)
・この頃、事務所無所属になる。
・11月?(佐藤が脱退して3か月ぐらいした後)、3人体制になって作ったリハ音源19曲を鹿野淳氏に送る。全部新曲で3人で満足げに歌い鳴らしていた。(「MUSICA」2020年12月号)
・12月7日、「カメレオン」MV(ショート)、「ベストアルバム「赤飯」SPOT」公開。
・12月14日、「カメレオン」MV(フル)公開。

2018年(26~27歳)
・1月4日、3人体制での唯一のワンマンライブ「こめさくpresents~もぎもぎカーニバル~特別版 赤い公園ワンマンライブ2018☆はじめまして☆」開催(立川バベル)。新曲全20曲を披露。
・2月24日、Art Building企画「Watch The Sound」(下北沢ガレージ)に出演。共演:Art Building、GOMESS。実質、3人体制最後のライブ。セトリには「つの」「おもいで」という曲名が書いてあったが、実際は「いちご」「NOW ON AIR」を演奏した。
・3人だけで音を鳴らしてできうる限りのことはやってみたが、先が見えちゃう感じがした。3人でやることは早いとこ切り上げた。(「音楽と人」2020年3月号)
・新しいボーカルを探し、弾き語りをやってる子のライブを観に行ったり、SNSを「#歌手志望」で検索したりする。(「MUSICA」2019年11月号)
・2月14日、ベストアルバム「赤飯」リリース。「「絶対的な関係」ベストアルバム『赤飯』~熱唱祭り盤~収録ライブ映像」公開。この後レーベルも無所属になる。
・5月2日、2日後に行われる「VIVA LA ROCK 2018」を、新ボーカリストを迎えた新体制で行うことを発表。
・5月4日、「VIVA LA ROCK 2018」で赤い公園に新ボーカル、石野理子が加入。(おそらくここから事務所はSMAになり、レーベルは無所属のまま)
・同日、「VIVA LA J-ROCK ANTHEMS」に参加。メンバーは亀田誠治、ピエール中野(凛として時雨)、加藤隆志(東京スカパラダイスオーケストラ)。ゲストおよびセットリスト
・お披露目ライブからポーンと行こうとしてたけど、理子が地元の高校通いだったのと、バンドのレベルもまだまだだったので時間が必要だった。(「MUSICA」2019年11月号)
・7月1日、赤い公園オフィシャルファンクラブ「赤すぎる公園」オープン。赤すぎる公園内に「独学堂」オープン。
・9月8日、「BAYCAMP2018」に出演。「消えない」初披露。
・10月2日、27歳の誕生日。下北沢ガレージにて勝手に誕生日を祝うライブ「KATTENIオメデトウマイサ」開催。誰よりも早く客席にいる。出演:浮、宗籐竜太、高井息吹、ジオラマラジオ。
・10月29日、「消えない」MV公開。

2019年(27~28歳)
・1月4日、自主企画「こめさくpresentsもぎもぎカーニバル復刻版2019」を開催(立川バベル)。共演:踊Foot Works、2。
・2月15日、「Highway Cabriolet」MV公開。
・3月~4月、「Re: First One Man Tour 2019」開催。
・この間のどこかで事務所がSMAからSML(ソニーミュージックレーベルズ)に移籍。
・5月4日、「VIVA LA ROCK 2019」で「VIVA LA J-ROCK ANTHEMS」に参加。メンバーは亀田誠治、ピエール中野(凛として時雨)、加藤隆志(東京スカパラダイスオーケストラ)。ゲストおよびセットリスト
・6月ごろ?(「sweet seep sleep」リリースの1年近く前)、谷口鮪から「一緒に曲作ってみない?」と言われる。(「音楽と人」2020年8月号)
・6月末〜7月頭、扁桃腺の手術ため入院。
・7月、マシュー・ボーン「白鳥の湖」を見る。
・7月4日、YouTube Liveを行う。
・8月6日、MCを務めたNHK-FM「ROCK to the CLASSIC」放送。三夜連続放送で前日のMCは椎名林檎、翌日のMCはくるりの岸田繁。
・8月17日、「凛々爛々」MV公開。
・9月27日、「『消えない - EP』全曲ダイジェスト トレーラー」公開。
・10月、レーベルが無所属からエピックレコードジャパンになる。
・10月23日、EP「消えない - EP」リリース。
・11月~12月、「FUYU TOUR 2019 "Yo-Ho"」開催。
・11月27日、YouTube Liveを行う。
・8か月くらいかけて「THE PARK」を制作。(「MUSICA」2020年5月号)

2020年(28~29歳)
・2020年に「西東京オリンピック」をやりたい
・1月4日、「こめさくpresents もぎもぎカーニバル復刻版2020」開催(立川バベル)。共演:ジオラマラジオ、高井息吹、どんぐりず。この日で結成10周年。
・1月8日、NHK-FM「ゆうがたパラダイス」で津野米咲WORKS特集。
・1月29日、シングル「絶対零度」リリース。「絶対零度」MV公開。
・自粛期間中(「sweet seep sleep」リリースの数か月前)、呑み仲間のミュージシャンたちとリモートで呑んだ時に谷口鮪から「そろそろやりたいよね」という話が出て、エレピとリズムだけの生まれたて状態のデモを送る。何度かやり取りを重ねて「sweet seep sleep」が出来る。(「音楽と人」2020年8月号)
・4月2日、「『THE PARK』トレーラー & YouTube Live 2019.07.04 at TUPPENCE HOUSE I'S STUDIO」公開。
・4月3日、星野源「うちで踊ろう」に伴奏つけてみた
・4月8日、「『THE PARK』トレーラー & YouTube Live 2019.11.27 at SHIMOKITAZAWA GARAGE」公開。
・4月10日、「SHOKA TOUR 2020 “THE PARK”」開催見合わせ。
・4月12日、「yumeutsutsu」MV公開。
・4月15日、アルバム「THE PARK」リリース。「『THE PARK』全曲ダイジェスト トレーラー」公開。
・4月16日、ワタナベタカシからのバトンで#30secDTMbatonにチャレンジ
・5月23日、「夜の公園」リリックビデオ公開。
・5月25日、KANA-BOON谷口鮪とユニット、wasabi(谷口鮪×津野米咲)を結成。
・6月22日、wasabi(谷口鮪×津野米咲)が「sweet seep sleep」のMVを公開。配信スタート。
・8月1日、開催延期になっていた「VIVA LA ROCK」の代わりに開催された「ビバラ!オンライン」に登場。
・8月2日、「ジャンキー」MV公開。
・8月27日、「「THE PARK」メイキング」公開。
・8月29日、「SHOKA TOUR 2020 "THE PARK" ~0日目~」配信。
・10月18日、自宅で倒れていたところを発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。

その後
・11月11日、NHK-FM「ゆうがたパラダイス」は1月8日の「津野米咲WORKS特集」を再放送。
・11月18日、NHK-FM「ゆうがたパラダイス 赤い公園 津野米咲さんが作り、愛した音楽たち」放送。
・11月25日、シングル「オレンジ/pray」リリース。「オレンジ」「pray」それぞれのMVが公開。
・11月25日より、NHK-FM「ゆうがたパラダイス」水曜日のMCは鹿野淳、藤田琢己が週替わりで担当。
・12月29日、Base Ball Bear小出祐介をサポートに迎え、赤い公園が「COUNTDOWN JAPAN 20/21」へ出演予定→新型コロナの影響で開催中止。
・2021年3月1日、赤い公園が5月28日、中野サンプラザでのワンマンライブ「赤い公園 THE LAST LIVE 「THE PARK」」をもって解散することを発表。
・5月28日、「赤い公園 THE LAST LIVE 「THE PARK」」開催。赤い公園、解散。
・6月30日、赤い公園オフィシャルファンクラブ「赤すぎる公園」、サービス終了。
・7月6日、9月29日に2BD+デモ音源CD「THE LAST LIVE 「THE PARK」 」が発売されることを発表。
・9月29日、2BD+CD「THE LAST LIVE 「THE PARK」 」発売。

将来について
・ある日突然、若い女の子のシンガーを見つけて私たち(ハマ・オカモトと)でプロデュースしたい。カッコいいおばさんミュージシャンになりたい。(「NEOL」
・今後は、(「ゆうパラ」で)リスナーのみんなと協力して何か曲を作れたらいいなあ。(「NHKウィークリーステラ」2020年10月23日号)
すべきことなんて生きることくらいです。健康に産まれたのでひ孫の成人式まで生きるみんなを看取りたいから葬式はどっかの劇団員大量に雇う
天に召される時は、「ユリイカ」を聴きたい。




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