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【人生敗北】総合商社に入社しM&Aアドバイザリー会社に転職した男のこれからの挑戦

皆さん、こんにちは。

いきなりですが、今の仕事楽しんでますか?

私は正直に答えると楽しめてません。寧ろ辛いです。初めに私の赤裸々な思いを綴りたいと思います。

私の経歴から紹介すると、2017年4月に新卒で総合商社に入社、2019年8月にM&Aアドバイザリー会社に転職(現職)といった感じです。現在、28歳です。

新卒では総合商社に入社しましたが、総合商社であれば正直どこでも良かったです。面接ではそれらしき志望動機をペラペラ話しましたが、正直な志望動機は単なる憧れです。

現職はM&Aアドバイザリー業務に従事しております。総合商社で投資管理業務を経験する中でファイナンスに興味を持ち、その専門性を高めたい想いから転職を決意しました。しかし、今思うとそれも単なる憧れだったと思います。投資銀行、PEファンド、事業会社のCFO候補などへのキャリアパスも広がる事も視野に入れていた為、世のエリートとして認識されている人への憧れも正直ありました。

2021年4月で社会人人生の4年間が経ちましたが、憧れを追い求めて生きてきた4年間の先にあったのは虚無です。心は空っぽなのです。別にこのままエリートと認識されている人になったとしても、エリートは単に社会が作り上げた、様々な相対的優位性を結合した概念に過ぎない為です。そこには自分の絶対的尺度がない。だから空っぽに感じてしまうのです。

今の仕事は正直辛いです。何故ならエリートに憧れてM&Aアドバイザリー会社に入社しましたが、今の仕事を否定することは私の社会人人生そのものが間違っていたと認める事になる為です。人は誰もが間違いを認めるのは辛いは生物です。だから間違いを認めない為に自分に言い聞かしました。「収入は悪くないし良いじゃないか」、「仕事は仕事。それ以上でもそれ以下でもない。割り切ってしまえばいい」、「辛いのは今だけだ」など・・・

しかし、そのような自己暗示を続けても本質的解決には至りません。心は空っぽのままです。社会人人生4年が経った今、憧れは続かないと思い知らされました。自分を納得させる術がなくなりました。だから私は人生の敗北者だと潔く認めることにしました。世間では「勝ち組」と認知されている様な経歴を歩んでいるかもしれませんが、本質的には「負け組」です。

散々ネガティブな事書いてすみません(笑)これが私の赤裸々な想いです。別に精神的に鬱になっている訳ではなく、仕事は仕事でちゃんとやってます。寧ろ自分が人生の敗北者である事に気付けて良かったと思えている自分もいます。私はこれまで相対的な価値観に踊らされていましたが、これからは自分の絶対的尺度で生きていこうと誓いました。私はまだ何者でもないのです。カオナシです。カオナシ信者がいたらすみません・・(笑)

下記『自分の中に毒を持て(著:岡本太郎)』からの引用です。

「美しい」ということと「きれい」というのは全く違うものであることだけをお話ししておきたい。とかく、美しいというものは、お体裁のいい、気持ちのいい、俗にいう洒落ているとかかっこよい、そういうものだと思っている人が多い。ちょうど「衣食足りて礼節を知る」という場合の礼節のように。しかし美しいというものはもっと無条件で、絶対的なものである。見て楽しいとか、体裁が良いというようなことはむしろ全然無視して、ひたすら生命が開き高揚したときに、美しいという感動が起こるのだ。

この文章を読んで私はこれまできれいな人生を歩んできたと自覚しました。別に生き方に正解はありません。きれいな人生も正解になり得ると思います。ただ私の場合、きれいな人生の先にあるのは虚無でした。100年時代と言われる昨今、人生何者にもなれるのです。何者にもなれる人生、社会が作り上げた概念・価値観をただ追い求めるのは味気ないと私は感じました。カオナシになる人生は嫌だと(笑)絶対者であってこその人生。これからは美しい人生を歩むと誓いました。

一方、己の絶対的尺度を貫き、美しい人生を歩んでいる人は実際どれくらいいるでしょうか。少なくとも私の身の回りでは、ごく一部の人たちです。多くの人は、自分自身も含めてですが、きれいな人生を歩んでいる印象を抱きます。

美しい人生を歩んでる人は何かかけがえのない尊さを感じます。まさに「今を生きている」といった輝いているような感覚です。岡本太郎さんが言う「美しさ」を体現しています。美しい人生を歩んでいる人はいつも楽しそうにしています。彼らも瞬間瞬間では勿論辛い時もあると思いますが、心は彩に満ち溢れ、ひたすらに煌めいているように私の目に映ります。

そこで私は自分自とも重ねながら自問しました。「なぜ多くの人は自分の絶対的尺度を見つけられないままに社会に埋もれてしまっているのだろうか・・・」、「それを自分の中では分かっていながらも、なぜそこから抜け出そうとしないのか・・・」

どうすれば自分の絶対的な尺度と向き合う人が増える社会になるのだろうか?きれいな人生が美徳とされているような日本の教育に問題があるのだろうか?それとも社会の風潮に問題があるのだろうか?家庭教育にも問題があるのだろうか?考え出すときりがないです。ただ、私は確信しました。

絶対的尺度を持って生きる人が増えれば社会全体が彩に溢れ元気になる

「自分の絶対的尺度と向き合う人が増えるような社会」を実現したい。実体験及び私の身の回りの人の状況を見て強く思うようになりました。

ここからが私の挑戦です。私は自分の絶対的尺度と向き合う人が増えるような社会にする為の仕組みづくりに挑戦したいです。お節介に感じる人もいるかもしれませんが、きっとより良い社会になると私は思っております。

まだ具体的なアクションには落とし込めていないですが、これから考えていきます。私の理想とする社会に向けた施策案・現代社会の課題点の考察・私の挑戦過程・日々思うことなどについてnoteを通じて今後発信できたらと思っております。よろしくお願いいたします。


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