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日本史の歴史考察

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謎の古墳時代を読み解く その10 新唐書の日本国 前編 歴代天皇について

謎の古墳時代を読み解く その10 新唐書の日本国 前編 歴代天皇について

 今回は、以前の『旧唐書』の解説につづいて、ここでは『新唐書』について解説したいと思います。『新唐書の東夷日本伝』には、日本国の歴代天皇についての記載があります。
(ここでは、「天皇」という呼び名で統一していますが、天皇は7世紀から8世紀前半に作られたと考えられる称号のため、それ以前は、スメラミコトやオオキミなど、違う呼称であったと思います。)

□新唐書とは 1060年に成立した中国の二十四正史

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謎の古墳時代を読み解く その2 宋書の倭の5王と朝鮮半島への関与

謎の古墳時代を読み解く その2 宋書の倭の5王と朝鮮半島への関与

 ここでは、一般的には全く知られていない存在かもと思いますが、歴史好きにとっては日本の古代史において大変有名な『宋書』に書かれている「倭の5王」について考察します。

□宋書とは 『宋書』は、中国の南北朝時代の南朝の宋の時代の420年〜479年の約60年間について書かれている歴史書です。宋の時代に何承天、山謙之、蘇宝生、徐爰などによって既に書かれていた内容の『宋書』を元に、梁の沈約により編纂され、

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謎の古墳時代を読み解く その9 蘇我宗家の一族滅亡の謎に迫る 馬子について

謎の古墳時代を読み解く その9 蘇我宗家の一族滅亡の謎に迫る 馬子について

 今回は古代豪族の蘇我宗家の謎について考察します。ここでは、主に蘇我馬子に注目して記載したいと思います。(当初は蘇我一族全てを記載する予定でしたが、長くなったため、今回は馬子までとして、またいつか次回にて、蝦夷、入鹿の後半を述べたいと思います。)

□蘇我家、蘇我の馬子とは まずは簡単に蘇我稲目と蘇我馬子の親子について振り返ります。この時代の前提知識です。

 蘇我稲目、物部尾輿の時代に、仏教の布

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謎の古墳時代を読み解く その5 隋書の倭国 後編 中国からの使者

謎の古墳時代を読み解く その5 隋書の倭国 後編 中国からの使者

 ここでも前回に引き続き、隋書の倭国について考察します。7世紀初め頃の時代です。

前回の隋書の倭国の前編はこちらです。

□冠位十二階の制度の導入と謎 『隋書倭国伝』には、いわゆる「冠位十二階」の制度の記述がある。日本史では、聖徳太子が導入した制度で、603年に制定とされ、605から648年まで行われたとされている。原文では以下の内容だ。

 「内官有十二等」というのが、倭国内には官位があり12

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謎の古墳時代を読み解く その4 隋書の倭国 前編 異なる倭王

謎の古墳時代を読み解く その4 隋書の倭国 前編 異なる倭王

 ここでは、隋の時代の倭国について考察します。日本では、『日本書紀』に書かれている推古天皇の時代に聖徳太子が遣に小野妹子を派遣したとされるエピソードが非常に有名です。

□隋書とは 隋は、中国の南北朝時代を終わらせて約300年ぶりに再び統一国家となった国で、581年から618年に存在した国です。『隋書』は、本紀5巻、志30巻、列伝50巻からなる書で、本紀と列伝が636年に、志が656年に完成してい

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謎の古墳時代を読み解く 全編の目次

謎の古墳時代を読み解く 全編の目次

 空白の4世紀と呼ばれる時代から、日本の古墳時代、ヤマト政権の成立過程について、『中国や朝鮮半島の正史』や『日本の古事記、日本書紀、風土記』などから考察した内容をまとめていきます。

□はじめに 前作の『魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く』シリーズでは、日本の3世紀までについて考察してみました。魏志倭人伝を読んで思っていた事や、邪馬台国論争で感じていた事などを自分なりに表現してみました。

 そこで

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謎の古墳時代を読み解く その1 晋書の倭国 倭人と朝鮮半島との関係

謎の古墳時代を読み解く その1 晋書の倭国 倭人と朝鮮半島との関係

 ここでは、『魏志倭人伝(三国志)』の次の時代になる『晋書』から、この時代の倭国について考察します。

□晋書について 『晋書』は、唐の時代の646年から開始し648年に完成した中国正史の書籍です。主な編纂者は唐の時代の政治家や歴史家である房玄齢、褚遂良、李延寿、許敬宗などとされています。多数の人間で短期間に一気にまとめて作られた歴史書です。
 
 晋は、『魏志倭人伝』の三国志時代の次の時代で、2

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魏志倭人伝から邪馬台国を読み説く その19 神武東遷の意味と大和

魏志倭人伝から邪馬台国を読み説く その19 神武東遷の意味と大和

 ここでは、ヤマト政権や天皇家のルーツは九州にあったのか、神武東征は本当にあった出来事なのかについて考察したいと思います。

□九州出身の記録がある理由は? 筑紫の日向出身、神武東征は本当にあった出来事なのか、あるいは、架空の物語なのか、古代人にもなったつもりで考えられる案を考えてみたい。事実だった場合、神武に相当する人物の1代での出来事なのか、あるいは何世代かに渡って実現した出来事なのかは、分か

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魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その18 中国の正史と日本神話での倭国

魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その18 中国の正史と日本神話での倭国

 今回の記載内容については、既に知ってる人にとっては常識の範疇なのですが、初めて目にした人にはかなり驚きの内容だと思います。神武東征について考えてみたいと思います。

□実は中国の正史には倭国の天皇の発祥は九州と書かれている 『新唐書(1060年完成)』には、以下の記載がある。

 まず、王の姓が阿毎(あめ)と書かれている。初代の名前もあり、尊(みこと)が称号だ。尊は、言わずと知れた、その後の天皇

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魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その17 倭国と邪馬台国の所在地

魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その17 倭国と邪馬台国の所在地

 ここまで読み解いてきた邪馬台国(邪馬壱国)に関する考察結果をおさらいして、邪馬台国の場所について見解を述べたいと思います。

□判明している倭国の場所 まず『魏志倭人伝』に書かれている帯方郡(朝鮮半島にあった魏の拠点)から韓国を通って倭国へ至る過程で登場する対馬国、一大国(一支国)、末盧国、伊都国、奴国までの最初の5ヶ国は、九州北部にある。次の不弥国も、候補地の違いはあるが、九州北部にある国とい

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魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その16 纒向遺跡と箸墓古墳

魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その16 纒向遺跡と箸墓古墳

 機内説の中では、纒向遺跡(弥生時代末期~古墳時代前期)と箸墓古墳を、邪馬台国や卑弥呼と結びつけて考えられる事が多いです。実際に、これらの遺跡から何かしらの新しい出土品がでる度に、これで益々邪馬台国の機内説が有利になったとメディア等が騒ぐ構図があります。ここが本当かを考察したいと思います。

□纒向遺跡、箸墓古墳は魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の墓とは特徴が一致しない 纏向遺跡は、弥生時代末期から

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魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その15 邪馬台国が九州内にあった根拠

魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その15 邪馬台国が九州内にあった根拠

 今回は、邪馬台国はどこかの絞り込みのため、ここで、まず邪馬台国が九州内にあると考える理由について述べてみたいと思います。

□国の数が少なすぎる 『魏志倭人伝』によると、倭国は約30ヶ国だ。同じ『三国志の烏丸鮮卑東夷伝』内には、朝鮮半島の南部の地域の今の韓国に相当する「韓」国についての説明も記載されている。「韓は、南は倭と境を接していて、馬韓、辰韓、弁韓(弁辰)の三種類に別れている。馬韓は五十与

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魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その14 中国への朝貢と年代

魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その14 中国への朝貢と年代

 今回は、当時の日本と中国との国交の記録から、交流の流れや年代を追ってみたいと思います。

□倭国の朝貢 まず驚くのは、この時代で、既に倭人の国々から中国に朝貢している国が30ヵ国近くもあることだ。中国に使者を送れば、中国から自国の領土や王として正式に認められることや、その褒美として高価な物、貴重な物、金品等が与えらること等を韓国側などから情報として、得ていたのだろう。なお、実際に朝貢に来た国名が

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魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その13 壱与の誕生と卑弥呼の暗殺説

魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その13 壱与の誕生と卑弥呼の暗殺説

 今回は、壱与(台与)の誕生と、卑弥呼の暗殺説について考えてみます。

□壱与(台与)の誕生 壱与(台与)の名前は、『魏志倭人伝』では、「壹與(壱与)」と書かれ、後の『梁書』では、「臺與(台与)」と書かれている。現在は、前者だとイヨ、後者だとトヨという読み方が一般的だ。

 読み方は、邪馬壱国、邪馬台国のときの発音と同じく、「台」ならば古代の発音だと濁音になるようでドヨ、ダヨ、ダイヨとかになりそう

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