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#23 HSPを武器に攻めていく

僕は、ピリピリした雰囲気がとても苦手だ。
授業中に誰かが私語をして、先生が注意をするというありがちなシーンですら僕は辛かった。
そこに、少なからず先生の「怒り」が含まれているからだ。

しかし、周りを見ていると僕のような苦しみを覚えている人がいない。
どうして僕だけピリついた雰囲気に不安を覚えてしまうのだろう。
一つの可能性に辿り着いたのは社会人になってから——

HSPという言葉に出会ったときだった。

雰囲気・顔色・音にビクビク

僕は小さな頃から、場の雰囲気や人の顔色の変化に敏感だった。
特に怒り、不愉快といった感情に敏感で、察知するとビクビクしていた。
そして、無条件に謝ったり、自分がおちゃらけることで場を和ませたりしていた。
恐怖を相殺するための手段なのである。

物音にもとても敏感だ。
よくある話だが、時計の針の音などを気にして眠れないということも過去にはあった。針の音でなくても、外からの音が小さくても継続的にあると、気になってしまって眠れない。
なので、毎晩耳の穴を密封するような耳栓をして寝ている。

これらのことを気にしすぎてしまうのでとにかく疲れやすい。
そんな疲れたところに、他人からの攻撃が来ると、深く落ち込み、深く反省し、深く自己嫌悪をしてしまう。

とにかく、生きづらい。

毎日が黒歴史になっていく。

ある日、Googleで「生きづらい」とか「ピリピリした雰囲気 苦手」などで検索をした。
そのときに出会ったのがHSPという言葉だった。

自分の可能性を知った安心感

HSPとはHighly Sensitive Personの略で、「とても敏感で繊細な人」のことを指す。もうすっかり世間に定着している言葉になっている。
この概念を提唱したエレイン・アーロン博士のセルフテストをやってみると、27項目中24項目にチェックを入れていた。

自分、これなんじゃないのか?
チェックを入れた24項目は、「なんとなく当てはまる」というのではなく、完全に当てはまっていた。
24項目を使って文章を作れば、それがまるっきり自分の性格になるくらいに。

HSPというのは特性であり、病気などではない。
ゆえに医師から診断されるものではないので、果たして本当に自分がHSPなのかという確証は持つことはできない。
だが、少なくともそう定義されている特性を僕は持っている可能性はある。

それを知ったとき、ものすごく安心した自分がいた。

なぜ自分はこんなに不安なのか?
なぜ自分はこんなにビクビクしているのか?
なぜ自分はこんなに生きづらいのか?


その一つの可能性を知ることができたからだと思う。

HSPだからこそ書けることがある

HSPの特性は、全てがネガティブなものではない。
一つのことに深い考えを巡らせるのもその特性の一つだし、
他人の感情変化に敏感なことで、誰よりも他人への理解を深めるきっかけを持つことができる。

そして、以前の記事で、松任谷由実さんの
「目に映るものは 全てがメッセージ」
という素敵な歌詞を紹介したが、
HSPは、まさしくメッセージを受け取る素質が高いのだと思う。

これは、武器だと思った。
書く人間としては、これ以上にない武器であると。
なぜならメッセージを受け取った数だけ、書くことができるのだから。

僕は「自分がHSPです!」と胸を張っては言えない。
先にも書いた通り、HSPはあくまで特性だし、診断を受けるものではない。
それに自分がHSPであることを主張することは、どこかそれを盾に自分を守っている気がする。

「僕はHSPで疲れやすいから、みんな、僕のことを気遣ってね」
「僕はHSPで傷つきやすいから、ピリピリした空気を出さないでね」

というようなことは絶対に言いたくない。
そう主張することによって、HSPに卑怯者の印象を帯びるからだ。

僕はHSPを盾として活かすのではなく、剣として活かしたい。
いや、ペンは剣よりも強し、である。
文章を紡ぐことによって活かしていきたい。


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