落夏

ちりづか

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最近の記事

好きになりたくないのだと思う

知人に、「本気で人のこと好きになったことある?」と尋ねられたことがある。 自分でもびっくりするほどするっとでてきた返答は、「なりたくないからならない」だった。知人は納得したか返事に困ったかわからないけど、そのあとすぐに寝息が聞こえて、会話は終了した。無意識のうちに私の脳は、私についてそう結論付けていたのだな、と声に出してから納得した。 例えば、その人がまるで自分の生活の一部みたいに思えるようになって、 ぼさぼさの頭も、かさかさの踵も、飲みかけのコーヒーも吸いかけのタバコも

    • 幼い頃好きだった黄色と、大人になってからいいなと思う青色の話

      小さい頃、私は黄色が好きだった。 きっかけというか導入は単純なもので、両親が私と兄弟の私物をわけるときに、兄弟にはそれぞれ別の色をあてがい、それと同じように私には黄色をあてがったことからはじまっている。 歯ブラシとか、コップとか、そういう日常のものから私は黄色が私の色であることを教わった。 そのあとは自分の手元に馴染んだ黄色が宝物みたいに大事に思えて、まんまと気に入った。 ひまわりやたんぽぽがお気に入りの私は、トウモロコシも好きだった。 靴や服は、まるでそれしか見えないみ

      • 文字が読めなくなったらそろそろやばい

        読書は飽き性の私が唯一続けられている趣味だ。 というか私は、文字を読む行為自体が好きなのだと思う。 言葉を知ることも、表現を知ることも、知らない人が無数のそれらを組み合わせて成立させた文章を読むことも、すべてが好きだ。 それでも自分の生活に余裕がなくなったり、うまくいかなくて何も考えたくなくなってしまったりしたときには、どんなに好きな作家の好きな文章でも目に留まらなくなる。 文字を目で追い、脳に落とし込んで感情を抱く一連の流れができなくなる。 水を弾くみたいに目が滑って、同

        • 茹だるような暑さに「夏」が恋しくなる

          私は概念としての夏が好きだ。 子どもの頃、田舎の祖母の家に泊まりに行き、トウモロコシを食べた。 畳の上で、扇風機の風を浴びながら、用意してもらった麦茶で喉を潤しながら、夏休みの宿題に取り組んだ。 プール開放の帰りには氷砂糖をもらって、口に含んだそれがなるべく長く残るようにと転がしながら、サンダル焼けした足を見つめた。 私の子ども時代の夏にはそんな思い出がたくさんあって、それにひきずられるように、私は今でも夏が好きだ。 汗ばんだ腕に張り付く課題のプリントも読書感想文の原稿

        好きになりたくないのだと思う

          返信をするのが嫌なのではなくて、返事が来るのが嫌なんだな

          デジタルネイティブの世代(のはず)だけど、人との連絡が苦手だ。用事があったとしても連絡がくることそのものが億劫だし、喜ばしいような内容の連絡であっても、人からの連絡で自分の感情が動かされている感覚がとても苦手だ。 でも誰からも放っておかれてしまうのは耐えられない。 文章にするとなんて面倒な性分なんだろうと思う。 それはさておき。 連絡無精であること自体は悪いことではないはずなのに、「冷たい」「人に興味ないでしょう」などと言われてしまうから、私は後ろめたさや煩わしさから逃げら

          返信をするのが嫌なのではなくて、返事が来るのが嫌なんだな

          自分を疎ましく思うときの感情処理について

          自分の苦手や我ながら疎ましく自分の質を自覚したとき、その感情の処理が不得意だ。 ああ私はやっぱりこうだ。 だからだめなんだ。 自分を否定してしゃがみ込むための言葉は尽きることがなくて、その言葉の量に押されるように、元気もやる気もモチベーションも、加速度的に失われていく。  一度、ちがうちがうと情けなくなって、どうにか口に出して消し去ってしまいたくなって 「なんで私こんなにだめなんだろう」と打ち明けたことがある。 打ち明けたというか、抱えきれなくなった自己否定が口から漏

          自分を疎ましく思うときの感情処理について

          寄る辺になるのは人だけじゃないのだと

          私は小さい頃から、好きなものに執着するくせがあった。好きな人とか、友達とかよりも、ものがよかった。当時は言語化できなかったけど、今思い返せばその理由は、 「絶対ずっとそこにいてくれるから」に違いなかった。 私がどんなに怒っても泣いても拗ねても、ご機嫌を取ってくれることはないけど、その代わりにずっとそこにいてくれる。 その存在たちはまさしく私の寄る辺だった。 絵本やキャラクターのぬいぐるみ、お菓子の箱。 成長とともに、家族に「もういらないでしょ」と捨てられてしまったものも

          寄る辺になるのは人だけじゃないのだと

          「深い劣等感を抱えていて、攻撃的になりがち」

          私は気に入った言葉をスマホのメモやラインの自分だけのグループとか、アナログな手段だとノートに書き写す癖がある。 この一文はどこで見たのか、本当に覚えていないのだけど、数年前にこの字面を目で追ってから、ずっと頭にもスマホにも残り続けているものだ。 好きな作品の登場人物の紹介か、説明かなと思ったけど、それにしては救いがなさすぎる一文だなとも思う。 なにかの作品のセリフ(日本語訳)かもしれない。文字として見たという記憶しかなくて、どこで見たのかわからない。 一つだけわかることは

          「深い劣等感を抱えていて、攻撃的になりがち」

          「面倒臭い」を乗りこなしたい

          なにか新しい物事を始めるときや、少し自分にとってハードルの高い行為をしなければならないとき、私は 咄嗟に「面倒臭い」と感じてしまう傾向にある。 でもその面倒臭いは、ただのその動作や作業を億劫がっているわけではない。 (失敗して恥ずかしい思いをしたくないし)面倒臭い。 (はっきり主張したらなんか言われるかもしれないし)面倒臭い。  (余裕がないから取り組めそうにない。誰かに頼るのも)面倒臭い。 とか、挙げればきりがないけど、言語化してしまうと本当に情けない、私なりのアラー

          「面倒臭い」を乗りこなしたい

          隠しても隠さなくても変わらんものは変わらん

          私の顔には広範囲にそばかすがある。 思春期の頃に「色白だから仕方ないね」と誰かに形容されて、そのまま「仕方ないもの」だと受け取った私は、化粧をするようになってからはコンシーラーやファンデーションで隠す習慣がついていた。 でも、世間にはそばかすメイクなるものがあるらしいし、SNSを賑わせる美人たちにも、そばかすがある人もいるらしい。 化粧に疎いまま生きて、脳死でコンシーラーを使い続けていた私は、そのどちらにも驚いた。 驚いたし、嬉しかった。 もちろん好みはあるだろうけど、大

          隠しても隠さなくても変わらんものは変わらん

          羨ましいの根源を探る

          子どもの頃から漫画が好きだった私は、大人になった今でも、漫画に救われ続けている。 小さい頃も、大人になった今も、あの子みたいになれたらいいなと思うヒロインがいて、私を励まし続けてくれている。 気に入ったセリフを書き写したノートは、日々の救いになっているし、選択に迷ったときの標にもなっている。 私が好きなヒロインは与えることを惜しまない。 私がかつてこうしてもらったから、次は私が与えたい。 健気で尊いエピソードに、思わず息を呑み、どうか彼女の願いが報われますようにと心から応

          羨ましいの根源を探る

          部屋の汚さで測る私の心理状態

          コンビニのサンドウィッチの包装。 カップ焼きそばの容器。 化粧品を買ったときの袋。 目の前のものがゴミであることも、今後の私の人生でこれらが必要にならないことも理解していて、それでも手が動かずに、ゴミ箱に入れられない時がある。 避けて歩いたり、必要なものが埋もれたり、それによって余計な出費が増えたりする。 なんにもいいことはなくて、でもやめられない。 ゴミの方もいっそ困ってるんじゃないかと思うくらいである。 私はこの常習犯だけど、一人暮らしを始めた頃はただただ私個人が人

          部屋の汚さで測る私の心理状態

          ためらいなくマスクを外せる人が羨ましい

          私はいまのマスク生活に安心していたし、この先もずっと安心していたかった。でも、それはそれで怖いなとも感じていて、「職場や友人との予定の際は外すけど、人混みや電車内ではマスクをしてもいい」というマイルールを設けてマスクを使いこなしているつもりでいる。(もちろん、推奨される場ではする。) このマイルールは、マスク本来の役割である感染予防とか対策としてではなくて、完全に心理的な防御壁としてのものである。あまりにも頼りない薄っぺらいけど、私を守ってくれる頼もしい壁だ。 幼い頃の私

          ためらいなくマスクを外せる人が羨ましい

          口に詰め込んで誤魔化すままならなさ

          ちょっと慣れないことをする日。 あたらしい場所に出向いて人と関わる日。 そしておそらくそれらがとても自分にとって大切であると思うとき。 人生には山程あるこういった場面が近づくと、心がわさわさする。心臓がここにあるよ!とその存在を主張してきて、落ち着かない。肩に入った力が抜けなくて、呼吸が浅くなる。 落ち着かなさが食欲(食欲というか、口さみしい感覚)に直結するタイプの私は、一人暮らしが7年目に差し掛かった今でも、必要最低限以外の食料品を家においておけない。落ち着かないときに

          口に詰め込んで誤魔化すままならなさ

          私にとってわかりやすい人間でいてほしいと思ってしまう

          みんな大体、誰かの大切な人で、別の誰かにとったらそんなに大切じゃない人だ。加えて、職場では先輩だったり部下だったりいろんな役割を抱えていて、その役割への期待と応酬で社会は成り立っている面もあるように思う。 最近、学生時代からの友人の一人が籍を入れた。 報告の場で、ほんとにありえない、とパートナーへの不満をこぼすその尖った唇からは、一方でパートナーへの愛が零れていた。 妥協と擦り合わせで成り立ってるらしいその生活が、外野の私から見たら甘く美しいもののように見える。 失礼な

          私にとってわかりやすい人間でいてほしいと思ってしまう

          自分に似合うものを知るとそれ以外のもの=駄目になる思考回路

          一種のゼロヒャク思考なんだろうけど、私はこれに陥りやすい。 最近のものでいうとパーソナルカラーとか骨格診断とか。 きちんとした診断は受けてないけどまあたぶんこれなんだろうなと思うものがそれぞれあって、その上コンプレックスを隠す(隠せたらいいなという願望含む)という気概が加わるから、私の日々はびっくりするくらいのテンプレートで溢れている。 もちろんそれらを身にまとう私のことも、私は好きでいようと思っている。(いれたならいいな、くらいの気持ちを常にもっている) 色違いのTシャツ

          自分に似合うものを知るとそれ以外のもの=駄目になる思考回路