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好きになりたくないのだと思う

知人に、「本気で人のこと好きになったことある?」と尋ねられたことがある。

自分でもびっくりするほどするっとでてきた返答は、「なりたくないからならない」だった。知人は納得したか返事に困ったかわからないけど、そのあとすぐに寝息が聞こえて、会話は終了した。無意識のうちに私の脳は、私についてそう結論付けていたのだな、と声に出してから納得した。

例えば、その人がまるで自分の生活の一部みたいに思えるようになって、
ぼさぼさの頭も、かさかさの踵も、飲みかけのコーヒーも吸いかけのタバコも、何もかもが愛おしくてたまらないなと思えた時。いっそ人生の一部になってほしいと思えてしまった時がきたとして。私はそこから動けなくなってしまいそうだ。

ぎゅっとその人の服の裾を握ったまま、思考も行動も止めてしまいたくなりそうだし、一方でそんな私を想像するだけで、私は息が詰まって、自分に絶望しそうである。

先日、小さな失恋をした。
失恋と呼ぶには行動や思いが伴っていないような気がして、「小さな」と冠してみたけど、まあ失ったことには変わらない。
涙も出なければ仕事にも当たり前に支障はなくて(あったら困る)、このいびつな暑さにも関わらず三食はきちんと摂って、たくさん寝られている。

私は自分にドラマを期待しすぎているのかもしれない。

それでも、いつかそんな人と出会えたら、私はどうなるのだろう。
どうにもならない気もするし、馬鹿みたいに溺れてしまう気もするし、出会わなくてもいいなとも思う。
最後の一つは強がりである。

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