返信をするのが嫌なのではなくて、返事が来るのが嫌なんだな

デジタルネイティブの世代(のはず)だけど、人との連絡が苦手だ。用事があったとしても連絡がくることそのものが億劫だし、喜ばしいような内容の連絡であっても、人からの連絡で自分の感情が動かされている感覚がとても苦手だ。
でも誰からも放っておかれてしまうのは耐えられない。
文章にするとなんて面倒な性分なんだろうと思う。

それはさておき。
連絡無精であること自体は悪いことではないはずなのに、「冷たい」「人に興味ないでしょう」などと言われてしまうから、私は後ろめたさや煩わしさから逃げられない。
「言われてしまう」と認識している時点で、自分自身を無意識に被害者のように据えてしまっているのだから私も私なのだけど、
それでもその類の言葉を言われてしまうと、私の脳は思考が止まってしまって、自分の過去の言動を頭の中で再生して「どこで間違えたんだろう」と後悔が始まってしまう。
そして、その裏には「できれば多数の人に良く思われていたい」という浅ましさがある。
結局その後悔の行き着く先は半ばやけくその「まあいいか」で、まったく解決したことはないんだけど。

冷たいと言われたくないから、頑張ったこともあった。
逐一通知を確認して、通知画面で確認したメッセージへの返信を何度も何度も推敲した。
でも完璧に繕い続けることは別の消耗を生んで、結局惨めな気持ちが募った。


スマホを持つようになってからおよそ10年、ようやく一つの結論に達した。
私は返信をすることや人とのかかわり自体は人並みに望んでいるが、人から予期せぬ返信が来ることや返事が来るまでの待ち時間におびえているのだということだ。

結局はコミュニケーションの場における考えすぎが元凶だから、あまり進歩も解決にもつながってはいないけど、私は私の性分を細かく砕いて確認できたことに成果のようなものを感じている。

そのことに気づいてから、私は少しずつ自分からメッセージを送るようにしている。完全に待ちの姿勢でいることが、私にとってのストレスの一端でもあるようだから数を重ねて慣れていきたいのだ。これは私なりの暴露療法でもある。

大人になっても自分のことすらいまいち把握できていない現実に気づかされることばかりで情けないが、これまで先延ばしにし続けたり、見ないふりをしていたり、今も気づいていないような自分の性分を、大事に受け止めていけたらと思う。

何の話をしたかったかわからなくなってしまった。



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