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自分に似合うものを知るとそれ以外のもの=駄目になる思考回路

一種のゼロヒャク思考なんだろうけど、私はこれに陥りやすい。
最近のものでいうとパーソナルカラーとか骨格診断とか。
きちんとした診断は受けてないけどまあたぶんこれなんだろうなと思うものがそれぞれあって、その上コンプレックスを隠す(隠せたらいいなという願望含む)という気概が加わるから、私の日々はびっくりするくらいのテンプレートで溢れている。
もちろんそれらを身にまとう私のことも、私は好きでいようと思っている。(いれたならいいな、くらいの気持ちを常にもっている)

色違いのTシャツ、同じ形のパンツ。化粧品のラインナップなんて、高校生の頃からほとんど進化がない。変わったのは、そばかすの量だけ。(ファッションやメイクだけじゃなくて食事もそんな感じだから、多くの選択肢の中から何かを選び取ることが苦手なのも、理由の一つだろうけど。)

それだけなら、まだよかった。
自分に似合うものがわかるようになったことも、似合うものをわかっていてそれを選び取ることも、自分に対する理解が深い、なんだかいい女のような気持ちにさせてくれる。

ただゼロヒャク思考に足を絡め取られてそのまま沼にはまりがちな私は、似合わないもの=もう選ばないもの、というある種の呪いも自分にかけてしまっていたから、これが問題だった。
かかったことにも、最近まで気づいていなかった。 

その証拠に、自分が着ても似合わない(と推測される)ものは試着すらしなくなってしまった。テスターも手に取らない。その特集のページもタップしない。

似合わなくても好きなスカート。似合わなくても私の気分を上げてくれるリップ。似合わなくても、私が少し強くいられるようなトップス。 
そんなもの、かつてはいくらでも選び取っていた。そうすることで、確かに私は私を好きでいられた。

純粋さに動かされて何かを選び取れていた頃。
諸々の指標を知らなかった頃の強さは、今の私が逆立ちしても手に入らないだろうけど。

私が好きだから。
これがいいと思ったから。

それでも、いつかまた、その衝動に背中を押されててみたいと思う。そうしてああやっぱ似合わなかったな、と笑いたい。


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