【私小説的気づきのエッセイ】もうすぐ母の日💐母へのプレゼント🌈
タイの母の日が8月なので、日本の母の日が5月の第2日曜という事を、忘れがちになってしまっているトミーです。
【気づきのエッセイ】思春期から長い間、恨み続けた母との関係。出産・育児・パートナーを通して、見えてきた母の愛の形。『許すこと』ができるようになるまでの葛藤のストーリーです。
もうすぐ母の日。
母の日のプレゼントは決まりましたか?
小学生までは、学校の授業で絵や作文を書いて送ったり、『肩たたき券』なんて、カワイイ物を送ったりしていましたね。
思春期の頃に、家族離散になってしまい、その後長い間、母とは疎遠になっていました。
私が避けていた、というのが本当のところ。
両親の離婚している家庭は、星の数ほある話なのですが…
うちの場合は、両親の離婚は私が17歳の時。それからしばらくして、一緒に暮らしていた母が、突然家から居なくなり、私は、置き去りにされてしまいました。
私は、それによって深く傷ついてしまって、母をひどく毛嫌いしながら、生きて行くしかありませんでした。
そうしないと、崩れ落ちそうだったから。
だから、、、
忘れた頃にかかってくる母からの電話に、怒り、罵り、嘆き、もがき苦しみました。
拒んでも、拒んでも、また忘れた頃に、母は、私に連絡をよこしてくる。いくら罵って電話を切ったとしても。
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三十代半ばに、ふと立ち寄った本屋で。
『許すということ』という本に出会った。
その中には、『許せば、驚くほど体調がよくなる』という事が書かれていたんです。
『そんな、馬鹿な…』と、一瞬思ったものの、、、
当時私は、肩こり、腰痛、頭痛に
ひどく悩まされていたこともあり、
『許すこと』について、いろいろ考えてみました。
でも、私の方から母を許すだなんて…
なんだか負けの様な気がして、その時は、許すことなど出来ませんでした。
許してしまうことで、苦しさを乗り越えて生きてきた自分を、全否定してしまう様で、受け容れられなかったのです。
39歳で妊娠。
お腹の子供の成長を感じ、母になって行く私。
お腹の子供が愛おしい。
『これが母性というものなのか…?』
その感覚が分かればわかる程、複雑な気分になってしまうのです。
『こんなに愛が溢れてくるのに、どうして母は、子供を置き去りになんてできたんだろう。』
そんな思いが、心をいったりきたり…
それから、40才で出産して、、、
私の中の何かが、ほんの少し変わりました。
出産したのが日本の病院ではなかったからかもしれません。
産んだ場所は、カンボジア。
たくさんのカンボジア人の妊婦さんが、詰めかけるNGOの産院。
高齢出産、おまけに初産の私は『緊急時の帝王切開ができない』という理由で、街のあちこちの産院で、対応を断られてしまいました。
私立病院は高額で…
だから、その産院以外で出産するという、選択の余地は無かったのです。
安産でした。
とても元気な女の子。
日付が変わったすぐ、深夜に出産して、早朝の回診で退院するよう指示が出ました。
私は健康。子供も健康。2,900g。問題なし。
午前8時半には自宅に到着。出産してから約8時間。信じられないスピード退院でした。
カンボジア人の妊婦さんは、子供のような小さな体で、小さな赤ちゃんを産みます。
当時、2,000グラムくらいの赤ちゃんは、ザラでした。
子供を産んで亡くなる方もいました。
同じ時期に入院して、先に出産した方は、残念なことに死産でした。
『子供を産むって、大変な事だったんだ。』
産んでから、気がついたのです。
『命がけで産んでもらったんだな』って。
育児休暇が3ヶ月。
その間に一時帰国を予定しました。
目的は、娘を父に会わせること。
父は、母が私を置いて家を出た時、地方で働いていましたが、事情を噂で知って、私を呼び寄せてくれました。
当時の父の仕事は、地方出張ばかりで、一緒に暮らした期間は、あまり長くはありませんでしたが、
私が二十歳で家を出てからは、数年に一度、近況報告をする程度の 距離感でした。
でも、私の妊娠を機に少し距離が縮まりました。
父は、とても喜んでくれ、出生届けを役所に提出してくれたり、私と娘の帰国を、今か今かと楽しみにしてくれていました。
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カンボジアで娘のパスポート取得。
出国のための手続きをして、航空券の手配。
娘が2ヶ月半の時に、私と娘だけでの、2週間の一時帰国となりました。
父の家に滞在したのですが、なんと、そこに母がやってきたのです。
何年ぶりの再会だったでしょうか。年老いた母がそこにいました‥
どうして母が、私がここに居ることを知っているのか、皆目見当がつきませんでしたが、
来てしまったものは仕方がない…。
中に招き入れ、孫を抱きたい、という母の希望を、叶えることになりました。
こんなに小さくなっていた母。
私はいつまで、こんな不完全燃焼な気持ちを持ったまま、生きるんだろうか?
いつまで、心の中で、母を罵り続けるのだろうか?
そんな事を、ぼんやり考えて、孫を抱く母を見ていました。
小一時間程、写真を取ったりして過ごし、母は満足したのか、帰り支度をはじめました。
もしかしたら、もう会うことは無いかもしれない。
一瞬、それが脳裏によぎりました。
私は、何か言わなければ、と思い、急いで玄関へ母を追い、声を絞り出しました。
『健康に産んでくれて、ありがとう』
とっさに、出た言葉でした。
母の目に、じわりと、涙が溢れてきました。
それから数年が経ち、娘が5歳の時。
初めて家族揃っての帰国が叶いました。
残念な事に、父はその前に亡くなり、父との晩酌を実現することができなかった、
と、旦那さんはとても残念がっていました。
そういった事もあり、旦那さんは、まだ会ったことのない私の母について、とても心配していました。
私が母に対して持っている想いについて、経緯も含めて話しましたが…
文化の違いと言うのでしょうか、
タイ人の母を敬う気持ちは相当なもので、日本に行ったら、先ず母と会うように予定を立てた程でした。
娘はその頃、
自閉症の多動や衝動性の症状が少しずつ酷くなってきて、投薬を始めていました。
外食より、公園で娘を遊ばせながら、会うことにしました。
旦那さんは、大喜びで母と対面し、母もそうでした。
言葉が通じないので、最初は私が通訳。でも、娘を追いかけたりしているうちに、いつの間にか母と旦那さんだけで、なんとなく会話が成り立っていた。
マイペースな母のおしゃべりに、意味も分からないのに、笑顔でハイ、ハイ、と頷く旦那さん。
そういえば、旦那さんもマイペース。
そんな二人は、いつの間にか打ちとけて、楽しそうに過ごしてる。不思議な二人。
私は、旦那さんに話しかけた。
『いつも自分の話ばかり長々するんよ、全然、人の話は聞かないんだから、うちのおかあさん。あなた、疲れない?大丈夫?』
旦那さんはこう言った。
『年を取ったら、みんなそうだよ。
ただ聞いてあげたら良いんだよ。
僕は日本語わからないけど、
聞いていたらだいたい勘でわかるし、
お母さん、ハッピーでしょ。
だから、僕もハッピー。
いつまでも、冷たくしないで。
君ならもう大丈夫でしょ。
優しくした方がいいよ。
君のお母さんなんだから。』
なんて寛容なんだろうか!
今まで肩肘張って、母を受け容れないように
必死になっていた私が、何だか滑稽に見えてきた。
確かに母は間違いを犯したかもしれない。だけど、繋がりが切れないように、娘に、何度も何度も罵られても、連絡する事を、止めなかったんじゃないか。
母は、一度として私に、面と向かって、謝ったことは無かったけれど、潜在意識の中には母性がちゃんと眠っていたんじゃないだろうか。
母には、母なりの人生があり、
私には、私の人生がある。
それに、母が私を置き去りにしたことは、大きな視点で見た時、あながち間違いでは無いのかもしれない。
もし、それが無かったら、私の今は無い。
今の旦那さんも、愛娘もいない。
きっと、人生の選択が、違ったものになっていたはずだから。
どちらの人生が、良かったかなんてわからない。
でも、これだけは言える。
私は、旦那さんと娘に出会えて、本当に嬉しい。
私のかけがえの無い家族。
楽しい時ばかりではないけど、支え合って、分け合って、一緒に生きていく大切な人達。
だから、私は、母を許すことにした。
悔しいけど、旦那さんのお陰で、『許すということ』を受け容れられた。
そして、その効能は、あの本が言ってたとおり。体がずいぶんと軽くなった。
何だ、自分を苦しめていたのは、他ならぬ自分自身だったんだ…
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母は、
母の日に、特別な贈り物はいらないらしい。
そう言いながら、私が子どもの頃に贈ったニットを、まだ、捨てないで持っていたりする。
だから、写真を送ることにしようと思う。
母と旦那さんと娘が一緒の家族写真。
新しい家族のつながりの写真。
これなら、きっと喜ぶでしょう。
しばらく日本へ帰る見込みが立たないけど、またあえる日まで、元気でいてね。
母の日、おめでとう。
そして、お母さん、
産んでくれて、ありがとう。
完
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます✨✨
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家族で帰国できる日を夢見て、貯金箱に小銭を貯めています。貯金箱に入れたいです。
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