マガジンのカバー画像

夢日記

22
私の半生を夢をテーマに書きました。是非、ご一読ください。
運営しているクリエイター

記事一覧

田村淳の大人の小学校公式クラブ「夢を語るクラブ〜Dreamin〜」2周年❣️

田村淳の大人の小学校公式クラブ「夢を語るクラブ〜Dreamin〜」2周年❣️

田村淳の大人の小学校というオンラインサロン
にて

夢を語るクラブ〜Dreamin〜という公式クラブを主催している。

どんな活動をしているかというと

夢を持つ大人が
いくつになっても
たくさん夢を持ち
夢を語り合い
お互いアドバイスし合い
応援し合うことで

1人ではできないことを
みんなで
ひとりひとりの夢を共有して
前に進めていく

夢は言葉にすることで
誰かに話すことで
「夢を語る」こと

もっとみる
今年の3大ニュース(R4)

今年の3大ニュース(R4)

①校長が変わった4月、赴任して1年の小学校の校長が変わった。初日から教職員全員で学校教育目標を考えるという積極的に改革していくタイプの方だった。ただ、強引ではなく、いわゆるサーバントリーダーシップを絵に描いたような方だ。

校長が変わったことによって何が変わったか。

大きく分けて3つある。

読書家デビュー

3月末、たくさんの段ボール箱が届いた。中身は、校長の私物の教育書やビジネス書等だった。

もっとみる
夢がない

夢がない

小さい頃、将来何になりたいかを聞かれても「特にない」「さぁ、サラリーマンとかかなあ?」と答えていた。

だからといって聞かれて困ったり、無理矢理、夢を押し付けられて精神的に追い込まれる(ドリームハラスメントというらしい)こともなかった。

別に考えてなかっただけなのである。

それを答えることを強要されていると思うような繊細な子どもではなかった。

口ぐせは「別に」だった。

かといって、不機嫌な

もっとみる
スタートライン

スタートライン

私の夢は、子どもと大人が一緒に通えて、学び合える学校(サードプレイス)をつくることである。

ただ、まだ何も始まってもいないし、決まってもいない。計画すらない。仲間もいない。全くのゼロ。むしろマイナス?

でも、焦ることはないし、先が見えないなりに、今できることを粛々と進めて、先が見えるようにしていくだけだ。

この一年で、やりたいことが漠然とではあるが、見えてきただけでもすごい進歩だなと我ながら

もっとみる
ゼロからイチヘ

ゼロからイチヘ

noteを始めたのが10月23日。それにしちゃぁ、がんばったと思う。

田村淳の大人の小学校というオンラインサロンの投稿で書き溜めた文章だとはいえ、よく書いてきた。もっと書けないかなと自分では思っていた。

嬉しかったのは、オンラインサロン内より、評価していただいていることである。

実際のところはわからないが、いいねをそんなにしてもらえるとも思っていなかった。

でも、それなりに想いを持って書い

もっとみる
SNSと私

SNSと私

みなさん、SNSやってますか?

私は約10数年前、通信制大学での教員免許取得時に、情報交換目的にmixiを紹介してもらったのがはじまりです。(そういえば紹介制だったな。)
何人もの方々と繋がった。が、そのうちにあまりしなくなって疎遠になっていった。(ハマるのも飽きるのも早い)

つい数年前までは、LINEすらやってなかった。嫌なわけではなく、ただただ必要に迫られてませんでした。
あと、Faceb

もっとみる
別れ

別れ

今年3月末の転勤前、今までお世話になった方々とのお別れがあった。

その中でも、6年担任をした2回ともPTA会長をしていただいた方と、最後の日に30分ぐらいお話をすることができた。

教育や子育て、思い出等について話ができて心底嬉しかった。戦友といえる、お互いに敬う何とも言えない関係性が嬉しかった。

また、最後に4〜6年と担任した高校生の子たちが10数人集まってくれた。これも本当に嬉しかった。

もっとみる
自分の人生の始まり

自分の人生の始まり

ある日、テレビのロケで、東京都足立区の綾瀬と北綾瀬に行っている番組を観た。

東京の大学を卒業して、地元に戻り、2年半アルバイトをして、貯めたお金で北綾瀬に部屋を借り、引きこもり相談のボランティアをしていた。

綾瀬駅の端っこに「0番線」があって、北綾瀬まで単線の路線だった。

ザ・下町で面白い町だった。仕事帰りに綾瀬の中華屋でビール飲んで、ニラレバ定食とか食べて、ほろ酔いで20分ほど歩いて帰った

もっとみる
FOR THE BRAND-NEW DREAM

FOR THE BRAND-NEW DREAM

15歳からずっと、明日何してるかわからない人生を歩みたいと思って生きてきた。

もちろん、今もそう思ってる。いまだにそう思えていることに、そして、そのことにワクワクできることが何よりも嬉しい。

夢その1「大人と子どもの学校(サードプレイス)」づくり
職場(学校)と家族、それ以外の居場所を必要としている人は多い。
それが部活動だったり、地元の友達だったり、勉強や習い事仲間だったり、地域の集まりだっ

もっとみる
「夢と現実」その狭間で…

「夢と現実」その狭間で…

4〜6年の担任を全てを賭けてやり切ったという思いが強く、今後、他の子どもたちを担任しても、この子たち以上に愛情をもって接する自信が持てないかもな、と感じていた。

そんな時に教頭試験を受けないかと当時の校長から誘われた。今から思えば自然な流れだった。

当時、年齢的にも教頭が足りてない状況なのはわかっていたし、いつかならなくてはならないとは思っていたので、そんなに抵抗なく、認められたことの方が嬉し

もっとみる
夢の思い出

夢の思い出

4〜6年生、心身共に成長する時に、持ち上がりで担任したので、その過程を思い返して、今でも、「感慨深いなあ」と思い出すことがある。

漢字テスト10点ぐらいしか取れなかった子が100点とれるようになったり、遅刻ばかりしてた子が運動会以降、卒業まで全く遅刻しなくなったり、すねてかたまったりしていた子が6年になって目覚ましい成長を遂げたり、チック症状で咳をしたり自信もてなかった子が、卒業式で堂々と大きな

もっとみる
かけがえのない夢の時間

かけがえのない夢の時間

4〜6年の3年間、持ち上がりで担任となった。結果的に最初で最後の学年主任となった。

相方の担任は新任で、男性30代。企業の営業からの転職。何もわからないので一から教えなければいけない。ただ、とにかく前に進む、とてもいい人だった。結果的に2人で3年間担任することになった。彼には本当に助けられた。文字通り、苦楽を共にした同志となった。

1学期始めから毎日が勝負!崖っぷち!命懸け!だった。

上手く

もっとみる

夢中

3年担任となり、初の4月の学級開きからのスタートで、学級担任向けの本をたくさん買って読み漁って、いろいろ試して、上手くいったり、反応があまりよくなかったものは修正したりして、やっていった。

1人、45分集中するのが難しい落ち着きのない男の子がいた。喧嘩も絶えなかった。
やってはいけないことをわかっていても、やりたい気持ちの方が勝ってしまう、そんな子だった。

だから、なんか友達を叩いてしまったり

もっとみる
夢が現実になったら…

夢が現実になったら…

思わぬ友人の紹介から小学校教員になった。転職経験の多い私でも、37歳で全く違う知らない仕事に変わるのは想像以上にキツかった。

1日の授業の流れ、学校全体、行事等に関する仕事、担任しているクラスの事務仕事…全て知らないゼロからのスタートでした。

わりと転職してきたほうなので、仕事に慣れるのは大丈夫だろうと思ってたけど、想像以上の大変さに戸惑い、現実逃避したくなり、電車を乗り過ごしたくなったりもし

もっとみる