くわとろ部長@夢を語るカフェ

子どもも大人もやりたいことをやる、夢あふれる社会へ|小学校教頭←教員← 心理検査出版社…

くわとろ部長@夢を語るカフェ

子どもも大人もやりたいことをやる、夢あふれる社会へ|小学校教頭←教員← 心理検査出版社←クリーニング工場 ←不登校引きこもり相談| #夢を語るクラブ 部長 #田村淳の大人の小学校| 誰もが自分の居場所がいくつもあると感じられる学校づくりをする

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おじいちゃん家

小さいころ、母方の祖父母の家に行くのがとても楽しみだった。なぜなら、とにかく楽しいからだ。 何がというと、主に親戚が集まる時に行くからなのと、おばあちゃんがとにかく楽しい♪よく喋る、人望がある、太陽のよう、いつもみんなの中心にいる、孫からも「おかあちゃん」と呼ばれる人だった。 近くに大学があり、学生の下宿を貸していたり、刺繍の教室を家でしたり、伯母2人や我が家でもそれぞれ教室を開いたり、「おかあちゃん」は、いろいろと顔の広い人だった。 一方、おじいちゃんは、存在感がそん

    • 今年の3大ニュース(R4)

      ①校長が変わった4月、赴任して1年の小学校の校長が変わった。初日から教職員全員で学校教育目標を考えるという積極的に改革していくタイプの方だった。ただ、強引ではなく、いわゆるサーバントリーダーシップを絵に描いたような方だ。 校長が変わったことによって何が変わったか。 大きく分けて3つある。 読書家デビュー 3月末、たくさんの段ボール箱が届いた。中身は、校長の私物の教育書やビジネス書等だった。凄い読書家で毎週のようにAmazonから学校に本が届く。 そして、その校長室の

      • 田村淳の大人の小学校公式クラブ「夢を語るクラブ〜Dreamin〜」2周年❣️

        田村淳の大人の小学校というオンラインサロン にて 夢を語るクラブ〜Dreamin〜という公式クラブを主催している。 どんな活動をしているかというと 夢を持つ大人が いくつになっても たくさん夢を持ち 夢を語り合い お互いアドバイスし合い 応援し合うことで 1人ではできないことを みんなで ひとりひとりの夢を共有して 前に進めていく 夢は言葉にすることで 誰かに話すことで 「夢を語る」ことで 実現に向けて大きな一歩を踏み出す また 夢を語るクラブでは 安心して参加

        • 弱音と自慢

          とある方が、人に弱音を吐くことと、自慢することが苦手だと言っているのを聞いて、さて、自分はどうなんだろう?と改めて考えてみた。 わりと平気に、吐きたいところで弱音吐けるし、自慢も、いわゆる心理的安全性がある程度守られてる場所なら、そこそこ謙虚な感じを入れながらできてるなぁと思った。 でも、10年前まではできなかった。ほんの一部の仲良い人にしか、弱音も自慢もできなかった。それもごくたまに、一年に一回ぐらいだった。 それが徐々に、少しずつ時間をかけて変わっていったように思う

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          人の役に立つために生きる

          私は17歳から人の役に立つために生きてきた。 …と言うと最もらしく聞こえるが、ただ、高校生の頃に受験勉強を怠って、どう生きていくかを常に考えてた時期があって、その時に熟考して決めたってだけのことです。 それは、富や名誉、名声のために生きるのか、つまり自分の私服を肥やすために生きるのか、それとも、人の役に立つために生きるのか、 自分はどうしたいのだろう? 考えた末に人の役に立つために生きることにした。お金持ちにもなってないくせに、なった後のことを考える変な奴でした。

          人の役に立つために生きる

          自信

          学生時代。 そんなに勉強もできなかった。小学4年生から塾に通ったり、高校受験で志願変更したり、高校で赤点取ったりしながらも、どうにかこうにか凌いで大学まで行った。 スポーツも、球技が苦手で、中高とかで、球技大会とかが嫌でたまらなかった。 クラスで人気もなく、目立ちもせず、パッともしなかった。 でも、いつか何か一発当てて、ビッグになりたいと思ってた。そんな日が来ると、大器晩成を信じて疑わなかった。良く言えば自分の可能性を信じる子ども、悪く言えば、蒼い、世間知らずな、身の程

          大海は芥を択ばず〜イメージとフィルター〜

          以前から私は、年齢や職業、性格や出身など、出会う前から事前に聞いてる情報でイメージしていて、実際会って全然違う人だと、ドキドキワクワクしてしまう♫そんな変な奴でした。 まぁ、いわゆるギャップ萌えってやつですかね。 そもそも、年齢、性別、職業、出身地、在住地、肩書き等、そんなもんだけで、データだけで、イメージだけで、「こんな人」って決めたくないし、決められたくもない。 人を、イメージで、フィルターかけて、思い込んで見ないようにしている。 そう心がけて生きてきた。 でも

          大海は芥を択ばず〜イメージとフィルター〜

          夢がない

          小さい頃、将来何になりたいかを聞かれても「特にない」「さぁ、サラリーマンとかかなあ?」と答えていた。 だからといって聞かれて困ったり、無理矢理、夢を押し付けられて精神的に追い込まれる(ドリームハラスメントというらしい)こともなかった。 別に考えてなかっただけなのである。 それを答えることを強要されていると思うような繊細な子どもではなかった。 口ぐせは「別に」だった。 かといって、不機嫌な訳ではなく、ボキャブラリーが少ないのと、聞かれることが、ただただ面倒なだけだった

          SNSと私

          みなさん、SNSやってますか? 私は約10数年前、通信制大学での教員免許取得時に、情報交換目的にmixiを紹介してもらったのがはじまりです。(そういえば紹介制だったな。) 何人もの方々と繋がった。が、そのうちにあまりしなくなって疎遠になっていった。(ハマるのも飽きるのも早い) つい数年前までは、LINEすらやってなかった。嫌なわけではなく、ただただ必要に迫られてませんでした。 あと、Facebookは、リアルな知り合い10数人と繋がる程度でした。 それが今や、Twitt

          孤独

          最近、気づいたら、肩書き多い人になっていた。 昔の自分では全くありえない。 子どもの頃は、学級委員や生徒会、部活動の部長など、リーダーや、そういう人をまとめる、上に立つポジションとは全く無縁に生きてきた。 かといって、問題ある人でもなく、中心に立って常に楽しく人気ある人でもなく、地味に影から斜に構えて、「自分だっていつかやればできるんだ」と思ってるような、"あまちゃん"だった。 それが今や先生になり、教頭になり、オンラインサロンで部長までやっている。 子どもの頃の私

          会って、話すこと。

          〜自分のことはしゃべらない。相手のことも聞き出さない。人生が変わるシンプルな会話術〜 ほぼ全編、会話が繰り広げられている本である。ただ、会話したものをただただ並べているだけではなく、そこに、人間の本質が見事に透けて見える。そのうえ、ウィットに飛んだ会話で仲良いんだなって思う。 「意見をぶつけることが会話ではなく、関係ありそうななさそうなことを返すこと。」と筆者は言う。まさにそれを体現していて、すごく共感できるし、できてる時はできてると思えた。 そして、期待せず、見返

          ゼロからイチヘ

          noteを始めたのが10月23日。それにしちゃぁ、がんばったと思う。 田村淳の大人の小学校というオンラインサロンの投稿で書き溜めた文章だとはいえ、よく書いてきた。もっと書けないかなと自分では思っていた。 嬉しかったのは、オンラインサロン内より、評価していただいていることである。 実際のところはわからないが、いいねをそんなにしてもらえるとも思っていなかった。 でも、それなりに想いを持って書いた文章はちゃんと伝わるもんなんだなって思った。 それなりに自分を文章で表現でき

          スタートライン

          私の夢は、子どもと大人が一緒に通えて、学び合える学校(サードプレイス)をつくることである。 ただ、まだ何も始まってもいないし、決まってもいない。計画すらない。仲間もいない。全くのゼロ。むしろマイナス? でも、焦ることはないし、先が見えないなりに、今できることを粛々と進めて、先が見えるようにしていくだけだ。 この一年で、やりたいことが漠然とではあるが、見えてきただけでもすごい進歩だなと我ながら思う。 そして今、すべきことは、知識、情報のインプットだ。 教育、福祉、まち

          ほめる

          私は、今でこそ、平気で人を褒めるし、褒められても素直に喜ぶ、と、ストレートに感情表現している。 でも、10年前ぐらいまでは、褒めることも褒められることも、あまりなかったし、意識したこともなかったように思う。 それが、なぜ、褒めることが日常生活の中で増えてきたのか? 20〜30代の頃、異業種交流の集まりや、教員免許取得の為、通信大学のスクーリングで知り合った方等、あらゆる経験をしている人と出会い、ただただ自分の人生にはない、自分にはできないことを経験をしてきている人を称賛

          小学校

          子どもの頃、大人になって教頭になるなんて、これっぽっちも思っていなかった。 いや、そもそも30歳過ぎるまで、小学校の先生になることすら考えたこともなかった。できるともやりたいとも思わなかった。異次元の世界だった。 私の小学生の思い出の話とにかく学校が遠かった。大人の足で20分強。 小学一年生の頃は、集団登校で30分ぐらいで行っていたと思うが、帰りは個々に帰るので、寄り道しながらで40〜50分はかかっていたと思う。 それが6年生の頃には、1年生の頃の半分の時間で帰れるんだ