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夢がない

小さい頃、将来何になりたいかを聞かれても「特にない」「さぁ、サラリーマンとかかなあ?」と答えていた。

だからといって聞かれて困ったり、無理矢理、夢を押し付けられて精神的に追い込まれる(ドリームハラスメントというらしい)こともなかった。

別に考えてなかっただけなのである。

それを答えることを強要されていると思うような繊細な子どもではなかった。

口ぐせは「別に」だった。

かといって、不機嫌な訳ではなく、ボキャブラリーが少ないのと、聞かれることが、ただただ面倒なだけだったのだと思う。

時を経て中学生になり、テレビや音楽の影響から、15歳の頃、

生まれて初めて夢ができた。


テレビやラジオを創る人(ディレクター)になりたいという夢だった。
それからずっと、何かしらの夢を持ち続ける人生を歩んでいる。

でも、その中でも、2回だけ、夢がない期間がこれまでにはあった。(その期間もまあまあ長いが…)

(1回目)

大学卒業前の1月17日に、阪神大震災があった。
その頃の夢は、

「いろんな生き方考え方を持つ方々の人生のドキュメンタリー番組制作をしたい」
「それを観た方が、自分の生き方考え方の参考にして幅を広げてほしい」

だった。

つまり、

間接的に人の役に立つ仕事をしたい

と思っていたのだ。

しかし、報道を見聞きしていて、災害時にマスコミは無力だと感じた。いや、むしろ邪魔だと感じてしまうことの方が多かった。どう見ても被災した方々の役に立ってるようには、私には見えなかった。

今から思えば、この時に大きく、生き方考え方が変わった。

#直接、人の役に立っていると感じられる仕事がしたい

と思うようになり、直接、人の役に立つ仕事を探した。

約2年半、夢がなかった。


社会福祉士、公務員、社会福祉協議会等のことを調べたり、とにかく直接人の役に立つ仕事を、テレビ、新聞、雑誌、本…などで常に目を通すようにした。

いろんな情報を、アンテナ高くして、自分の興味関心を感じるものをひたすらに探した。

ちなみに、その当時はインターネットはまだ草創期だった。(あ、パソコンも買ってやってみたが、ハマれなかったし、生かしきれなかった。)

そうして、2年半かかって
「引きこもり相談機関で働きたい」という夢を見つけた。

どんな手段でもいいから関わろうと思い、押しかけた。手紙を送り、訪問して、ボランティアとして関わることが決まった。

関西の実家から東京に引っ越し、他でアルバイトしながら、ボランティアを始めた。
そのエネルギー、バイタリティーたるや、当時の自分に拍手を送ってあげたい。

夢が見つかるまでは、何のために生きているかも、どう生きていくかもはっきりできなかった。先が見えない生活というのは苦しかったし、バイトは毎日してたが、日々ダラダラ過ごしてて、自己否定するしかなかった。

今から思えば、大学卒業して、アルバイトをして、将来どうするかも決まっていない、そんな不安定極まりない生活を2年半も見守ってくれた両親に感謝しかない。

また、しっくりくるまで諦めず、夢を、したい仕事を、見つけた自分を褒めてあげたい。

(2回目)

念願の、引きこもり相談機関で働く夢を叶えて3年後、
何が起きるかはわからないもので、専門的知識のなさや経験の少なさからくる壁、結婚して間もない妻の体調不良等、今後どう生きていくかを考え、最終的に辞める決断をした。

やりたかった仕事を辞めるというのは、思った以上に大変だった。なかなか決断しにくく、精神的に病みつつ、時間をかけてようやく決断できた。

その後は、クリーニング工場勤務、心理検査販売営業を経て、通信教育で教員免許を取得し、小学校の先生になるのだが、

引きこもり相談機関を辞めて、教員免許取得の勉強を始めるまでには、約5年かかっている。

つまりは、

約5年もの間、夢がなかった。


その間、どうしていたかというと、よく言えば、仕事をしながら、「夢探し」していた。悪く言えば、ダラダラ何の目的もなく過ごし罪悪感に苛まれていた。

・引きこもり相談機関での経験を生かすために産業カウンセラーの資格を取得
→やってきたことを形と実績にするため

・役所が行う就農講座に参加
→農業してみる?

・引きこもり相談していた頃の役所等関係機関の方々と、異業種異年齢の飲み会をする。
・「京都の30歳」という雑誌のオフ会に参加
→いろんな仕事のいろんな価値観の話聞く。人脈づくり。楽しいから。

・新聞、テレビ、携帯、ネット、等で情報収集
・求人広告や、転職情報誌等読み漁った。

いろんなところで、どんな時でも、自分が興味あること、気になることに、高くアンテナを張って過ごしていた。

以前から、妻の友達に小学校教員が多く、採用倍率も高くないし、引きこもり相談してたのなら教員免許取って目指してみたら…というような事を誘われたりしていた。

学校の先生は悪くないけど、「小学校は一番ないわ〜。全教科だし、1年から6年って、ムリムリ。」と思ってた。

でも、1年2年と過ぎていく中で、気持ちに変化が出てきた。

引きこもりの青年達が、小学校の頃に、学校に行くのが嫌になり不登校→引きこもりというケースが多かったということを思い出した。
先生に嫌なこと言われた、えこひいきされた、友達とのトラブルから、など、小学生で何かあっだ時に、解決まで寄り添ってあげる先生になりたい、引きこもりになる人を1人でも減らしたい。という想いから、小学校の先生になってみようかな、なりたいな、と思うようになっていった。

もう覚えてはいないが、心の中で固まってきて、通信制大学の資料を取り寄せ、実際通い始めるまでも、結構時間を要したように思う。

※通信制大学に通い始めた頃のことはコチラに書いてます。(お時間ある時に読んでいただければ幸いです)↓

正直、この5年は長かった。
その間に30歳を過ぎ、子どもができたこともあり、自分のキャリアの方向性も鑑みて、次の転職は軽々しくできないな。という想いが強かった。

夢を諦めて、現実的に働く、趣味に生きる、などと考えることもできた。

考える上で大事にしたのは、

「自分がしっくりくるかどうか」

「動こうと思えてから動く」

つまり、自分の感覚を研ぎ澄ませて信じること。

20代前半に固まった自分の生き方である
「人の役に立つ仕事をして生きていく」
「後悔しないように決める」


誰に何を言われようと、上記のことに沿って生きてきた。

今後も、夢がない時が訪れるかもしれない。

それでも、変わらずに夢とともに生きていく。

死ぬまで夢を見て生きていく。

しっくりこない言葉ではあるのだが、
それが「自分軸」なのかな。

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