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弱音と自慢

とある方が、人に弱音を吐くことと、自慢することが苦手だと言っているのを聞いて、さて、自分はどうなんだろう?と改めて考えてみた。

わりと平気に、吐きたいところで弱音吐けるし、自慢も、いわゆる心理的安全性がある程度守られてる場所なら、そこそこ謙虚な感じを入れながらできてるなぁと思った。

でも、10年前まではできなかった。ほんの一部の仲良い人にしか、弱音も自慢もできなかった。それもごくたまに、一年に一回ぐらいだった。

それが徐々に、少しずつ時間をかけて変わっていったように思う。

じゃあ、どうして変わったのか?


歳をとって、いろんな職種で様々な経験してきて面の皮が厚くなり、誰に何を言われようと、思われようと、全く気にならなくなっていったからなのかな。

人の顔色見たり、誰かと比べてしんどくなることよりも、
自分が楽しいか、しんどくないか、充実してるか、やりたいことをやれているか、ということの方が大事だし、

何より、自分が感じたまま、感情に素直に表現すればストレス溜まらないし、集中できやすく、やりたいことができやすい。
と思えるようになり、意識してできるようになっていった。

そう。この10年…。

教員になって、崖っぷちの3年を経験して、大概のことでは動じなくなったということが一番大きいのかな。

↓その時のことを綴ってます。


その最強の経験をもとに教頭になり、覚悟を決めて、変わろうとしている教育に携わっている。いつやられても、いつ辞めても、いつ病んでも、いいと思ってやっている。

弱音を吐くということは、自分を曝け出すということ。
自慢するということは、誰にどう思われようと、自分の良いところ、がんばってきたことを人に伝えるということ。

それは、言い換えると自己開示と自尊心。

ありのままの自分で、等身大の自分で、いつでもどこでも誰に対しても、自己表現できるようありたい。

つい最近、徐々にではあるが、それができるようになってきた。

そう。それは、人がどう思うかではなく、自分がどう思うかが全て。

意識して、弱音を吐き、自慢話できるような安心した場づくりをしていく。

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