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教師のバトン

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小学校の先生になるまでのお話や、小学校の先生としてのお話をまとめてあります。
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小学校

小学校

子どもの頃、大人になって教頭になるなんて、これっぽっちも思っていなかった。
いや、そもそも30歳過ぎるまで、小学校の先生になることすら考えたこともなかった。できるともやりたいとも思わなかった。異次元の世界だった。

私の小学生の思い出の話とにかく学校が遠かった。大人の足で20分強。

小学一年生の頃は、集団登校で30分ぐらいで行っていたと思うが、帰りは個々に帰るので、寄り道しながらで40〜50分は

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スタートライン

スタートライン

私の夢は、子どもと大人が一緒に通えて、学び合える学校(サードプレイス)をつくることである。

ただ、まだ何も始まってもいないし、決まってもいない。計画すらない。仲間もいない。全くのゼロ。むしろマイナス?

でも、焦ることはないし、先が見えないなりに、今できることを粛々と進めて、先が見えるようにしていくだけだ。

この一年で、やりたいことが漠然とではあるが、見えてきただけでもすごい進歩だなと我ながら

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ほめる

ほめる

私は、今でこそ、平気で人を褒めるし、褒められても素直に喜ぶ、と、ストレートに感情表現している。

でも、10年前ぐらいまでは、褒めることも褒められることも、あまりなかったし、意識したこともなかったように思う。

それが、なぜ、褒めることが日常生活の中で増えてきたのか?

20〜30代の頃、異業種交流の集まりや、教員免許取得の為、通信大学のスクーリングで知り合った方等、あらゆる経験をしている人と出会

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先生になろう

先生になろう

「日本の教育」や「学校」を十把一絡げに、現状を否定する持論を展開されると、虚無感に襲われる。

何のために学校や先生が存在しているのかわからなくなる。

どこにモチベーションを、どこに「自己肯定感」を持てばいい?

先生たちが、矛盾や葛藤を抱えながら、自分と向き合い、子どもと向き合い、毎日、毎分、自分が最適と思う判断をして、指導をして、一生懸命生きていることを知ってほしい。そして認めてほしい。

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FOR THE BRAND-NEW DREAM

FOR THE BRAND-NEW DREAM

15歳からずっと、明日何してるかわからない人生を歩みたいと思って生きてきた。

もちろん、今もそう思ってる。いまだにそう思えていることに、そして、そのことにワクワクできることが何よりも嬉しい。

夢その1「大人と子どもの学校(サードプレイス)」づくり
職場(学校)と家族、それ以外の居場所を必要としている人は多い。
それが部活動だったり、地元の友達だったり、勉強や習い事仲間だったり、地域の集まりだっ

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素敵な誕生日

素敵な誕生日

3月生まれなので、誕生日が卒業式になることが何年かに一度ある。

誕生日だった昨年度の卒業式後、職員室に、保護者が私を訪ねて来た。4〜6年に学年主任をした学年で、4.5年に担任した女の子のお母さんだった。三人姉弟の末っ子が卒業したから、もう小学校に来ることないだろうからと、挨拶をしに来てくれた。

「〇〇高校に行けて、今がんばってます。」と。
私が担任の時に、漢字テスト100点連続を続けてがんばる

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別室登校(リソースルーム)

別室登校(リソースルーム)

教室に入れなくなり休みがちになった男の子がいた。

担任が家庭訪問していたが、だんだん休みが増えてきて、担任への不信感も募ってしまっていたので私が家庭訪問し、保健室や職員室近くの部屋(来客や会議で使う)で、一緒に勉強しないかと誘った。

それから、休みがちではあるが、彼は保健室に登校をしだした。そのうち、保健室だけで対応するには元気過ぎて手を焼き出したので、私が職員室近くの部屋で預かることにした。

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別れ

別れ

今年3月末の転勤前、今までお世話になった方々とのお別れがあった。

その中でも、6年担任をした2回ともPTA会長をしていただいた方と、最後の日に30分ぐらいお話をすることができた。

教育や子育て、思い出等について話ができて心底嬉しかった。戦友といえる、お互いに敬う何とも言えない関係性が嬉しかった。

また、最後に4〜6年と担任した高校生の子たちが10数人集まってくれた。これも本当に嬉しかった。

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「夢と現実」その狭間で…

「夢と現実」その狭間で…

4〜6年の担任を全てを賭けてやり切ったという思いが強く、今後、他の子どもたちを担任しても、この子たち以上に愛情をもって接する自信が持てないかもな、と感じていた。

そんな時に教頭試験を受けないかと当時の校長から誘われた。今から思えば自然な流れだった。

当時、年齢的にも教頭が足りてない状況なのはわかっていたし、いつかならなくてはならないとは思っていたので、そんなに抵抗なく、認められたことの方が嬉し

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夢の思い出

夢の思い出

4〜6年生、心身共に成長する時に、持ち上がりで担任したので、その過程を思い返して、今でも、「感慨深いなあ」と思い出すことがある。

漢字テスト10点ぐらいしか取れなかった子が100点とれるようになったり、遅刻ばかりしてた子が運動会以降、卒業まで全く遅刻しなくなったり、すねてかたまったりしていた子が6年になって目覚ましい成長を遂げたり、チック症状で咳をしたり自信もてなかった子が、卒業式で堂々と大きな

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かけがえのない夢の時間

かけがえのない夢の時間

4〜6年の3年間、持ち上がりで担任となった。結果的に最初で最後の学年主任となった。

相方の担任は新任で、男性30代。企業の営業からの転職。何もわからないので一から教えなければいけない。ただ、とにかく前に進む、とてもいい人だった。結果的に2人で3年間担任することになった。彼には本当に助けられた。文字通り、苦楽を共にした同志となった。

1学期始めから毎日が勝負!崖っぷち!命懸け!だった。

上手く

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夢中

3年担任となり、初の4月の学級開きからのスタートで、学級担任向けの本をたくさん買って読み漁って、いろいろ試して、上手くいったり、反応があまりよくなかったものは修正したりして、やっていった。

1人、45分集中するのが難しい落ち着きのない男の子がいた。喧嘩も絶えなかった。
やってはいけないことをわかっていても、やりたい気持ちの方が勝ってしまう、そんな子だった。

だから、なんか友達を叩いてしまったり

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夢が現実になったら…

夢が現実になったら…

思わぬ友人の紹介から小学校教員になった。転職経験の多い私でも、37歳で全く違う知らない仕事に変わるのは想像以上にキツかった。

1日の授業の流れ、学校全体、行事等に関する仕事、担任しているクラスの事務仕事…全て知らないゼロからのスタートでした。

わりと転職してきたほうなので、仕事に慣れるのは大丈夫だろうと思ってたけど、想像以上の大変さに戸惑い、現実逃避したくなり、電車を乗り過ごしたくなったりもし

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dreams come true

dreams come true

教員免許の勉強は順調に進み、2年目に教育実習に行くことになった。4週間もあるので仕事を辞める覚悟をしていた。

で、ダメ元で上司に教育実習に行くと言ったら…何と!休ませてくれた。本当に感謝である。

その時、息子3歳、そして、娘3ヶ月!?
当時はそんなに何も思わなかったが、振り返ってみると計画通りだったとはいえ、なかなか無謀な決断だったと思う。

教育実習は、母校ではなかったが、実家近くの地域の学

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